メッセージ - 信仰の偉人を辿る事の罠(創世記33:12-20)
礼拝説教メッセージ音声:信仰の偉人を辿る事の罠(創世記33:12-20):右クリックで保存
ヤコブとの平和な再会を果たしたエサウは、彼の居住しているセイルへ一緒に行こうとヤコブに誘ったが、ヤコブは行かなかった。
彼は、幼い子供達や乳を飲ませている羊や牛をたくさん引き連れていたからである。
エサウはその日、ヤコブと別れて先にセイルへ帰って行った。
ヤコブは14節で、後でセイルへ行きます、と言ったのに、彼がその後、セイルへ行ったという記録は、聖書には無い。
後に父イサクが死んだ時、ヤコブとエサウは共に父を葬り(創世記35:29)、その後二人は、互いに持ち物が多くなりすぎたため、別々に住むようになった、と記録されているのみである。(創世記36:6-7)
ヤコブがその後、セイルへいつ行ったにしろ、行かずじまいだったにしろ、彼らはその後、平和に栄え、互いに冨が増したため離れ離れに住んだ。
神を敬うヤコブと、神を軽んじるエサウが共に住むというのは、互いが互いにとって居心地良いものではないし、ヤコブ一家にとっても、霊的に悪影響を及ぼす事だからである。
キリスト者も、家族に良くない影響を及ぼすような俗悪な環境からは離れ、俗悪な者とは付き合わず、接点を極力最小限に留める努力は、必要である。
ヤコブはシェケムの町に移動し、そこの土地の一部を買い、祭壇を建て、「エル・エロヘ・イスラエル」(イスラエルの神である神)という名を、祭壇につけた。
シェケムといえば、彼の祖父アブラハムが、神様の導きに従って故郷を出、カナンに入った時、最も最初に祭壇を築いた所である。(創世記12:1-7)
ヤコブは、祖父であり信仰の偉人であるアブラハムのあしあとを訪ね、そこに祭壇を築いたのかもしれない。
それらは一見、信仰深い行動のように見えるが、実は、そうではない。
信仰の先人たちは私達に「手本」とはなるかもしれないが、私達が慕うべきお方、ついていくべきお方はキリストであり、私達が規範とすべきは、聖書である。
信仰の偉人のあしあとを追い、聖人ゆかりの地を訪ねても、また、信仰本やキリスト教作家の小説をいかに沢山読んでも、生活の中にキリストの喜びや感謝が無かったり、行動が不信者と全く変わらなかったり、悔い改めの実という「実体」が見られないようであるなら、その信心は「もどき」である。
ヤコブにとっての信仰の原点は、ベテルである。
アブラハムの信仰の原点と、ヤコブの信仰の原点は違うように、あなたの尊敬する先人の信仰の歩みと、あなたの信仰の歩みとは、違って然るべきである。
ヤコブは、エサウから逃れて一人パダン・アラムに行く途中のベテルで、初めて神が現れた時、ヤコブは誓いを立てて言った。
「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。(創世記28:20-22)
ヤコブがそのように誓いを立てていたからには、彼がエサウの脅威から開放された時、シェケムではなく、真っ先にベテルに行って、誓ったことを果たすべきだったのである。
それなのに彼は、その誓い通りには行わず、祖父の跡を辿り、シェケムの土地を買って祖父のようになったかのように錯覚し、また、自己顕示欲の強い校長が自分の銅像を校舎に飾るように、自分で建てた祭壇に、自分自身の名前を入れたのだ。
その結果、父親ヤコブにとって、最も起こって欲しくない事、あってはならない事が、シェケムにおいて起こってしまう。(次章)
彼の人生で一番の脅威だった兄の心配が無くなったとたん、かつて神に約束した事を忘れ、身勝手な信仰の道を作って、歩もうとしたからだった。
彼のパダン・アラムから帰る旅の「終了宣言」はいつ出されたか。それは後に、ヤコブがベテルに到着して、祭壇を築き、礼拝した時であった。(35章)
その時神は彼に現れ、再び彼をイスラエルという呼び名で呼ばれ、祝福された。
人は、癒しや祝福、あるいは奇跡を求めるが、それが為された途端、成して下さったお方を忘れるようでは、祝福の子とは言えない。
かつて神に約束しておいて、果たしていなかった事は、無いだろうか?
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:1-2)