メッセージ - そしてイスラエルへ(創世記35:6-15)
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ヤコブは、エサウの脅威が無くなった時、霊的に油断して、身勝手な場所に住居を買い、身勝手に祭壇を建て、そこに身勝手な名前を付け、結果、ひどい目に遭った。(33-34章)
そこで彼は、本来あるべき信仰へと戻り、主が示された正しい場所で主を礼拝した結果、祝福が与えられた。(創世記35:6-7)
そうしてヤコブがかつてベテルで約束した事を果たした時、はじめて神は、パダン・アラムからの旅に「終了宣言」を出したわけである。(9節)
『時にリベカのうばデボラが死んで、ベテルのしもの、かしの木の下に葬られた。これによってその木の名をアロン・バクテと呼ばれた。』(創世記35:8)
ここに突然、リベカの乳母・デボラが登場する。彼女の名が出てくるのは、後にも先にもここだけである。
リベカの乳母は登場するのに、リベカ本人が登場しない、という事は、恐らくヤコブを寵愛していた母リベカは既に亡くなり、そのゆかりの人・乳母のデボラが生きていたので、ヤコブは寂しさを紛らわせるために、彼女を連れて旅をしていたのだろう。
その彼女が死んだ時、そこを「アロン・バクテ(嘆きの樫の木)」という名をつけた所から、ヤコブの悲しみが非常に大きかった事、ヤコブにとって彼女はとても大切な人だった事を伺わせる。
昔からヤコブをかわいがり、かばっていたリベカやデボラが死んだこの時、彼は心細く悲しかったかもしれない。
神がアブラムに「アブラハム」という新しい名を与えた時も、まさに似たような状況だった。
アブラムが99歳、もはや人の目から見れば死んだも同然の時に、神は「全能の神」(エル・シャダイ)という名で現れ、新しい名で呼ばれるようになった。
同じようにヤコブも、デボラが死に、もはや守ってくれる肉親が死んだ時、新しい名が与えられたのだ。
『神は彼に言われた、「あなたの名はヤコブである。しかしあなたの名をもはやヤコブと呼んではならない。あなたの名をイスラエルとしなさい」。こうして彼をイスラエルと名づけられた。』(10節)
彼はこの時以来、イスラエルと名乗る事になった。
この新しい名、イスラエルは、「神と戦う」「神に支配される」という意味である。
自分の力に頼らず、ただ神の力に頼り、神の支配の内に生きる。それこそ「イスラエル」のアイデンティティであり、私達・霊的イスラエルのアイデンティティでもある。
彼は神と格闘し、ももを打たれ、歩く時はびっこを引くようになり、自分を寵愛し守ってくれる身内も死に絶えた。
しかしこれからは、全能の神が彼のバックを守り、先頭を進んで守って下さるのだ。
『神はまた彼に言われた、「わたしは全能の神(エル・シャダイ)である。あなたは生めよ、またふえよ。一つの国民、また多くの国民があなたから出て、王たちがあなたの身から出るであろう。』(11節)
彼自身から多くの国民が出て、王たちが出る、という約束は、アブラハムにも与えられた約束だが、「生めよ、ふえよ」という祝福の命令は、アブラハムやイサクにも与えられていない、堕落前の人類とノアに与えられた命令である。
事実、イスラエルの代で、家族は70人の群れとなり、そこからさらに多くの群れへと増えていった。
そしてさらに、土地を受け継ぐ約束も与えられた。(12節)
『そこでヤコブは神が自分と語られたその場所に、一本の石の柱を立て、その上に灌祭をささげ、また油を注いだ。そしてヤコブは神が自分と語られたその場所をベテルと名づけた。』(創世記35:14-15)
灌祭とは、飲みものを注ぐ供え物で、それは、私達自身の全てを神に注ぎ尽くす事を意味する。(レビ23:13)
ヤコブはそこで全面的に主に捧げ、その場所を改めてベテルと呼んだ。
かつては杖一本しか持たないヤコブだったが、今や多くを持つ者となった。
それは、彼が主に約束されたことを信じ、主に命じられた事を、紆余曲折はありながらも、守り行ったからである。