メッセージ - 収穫感謝礼拝 - 種と実と収穫と(マルコ4:26-29)礼拝メッセージ音声
神の国のたとえ(マルコ4:26-29)
神の国(バシレイア・トゥー・テウー)は、一定の国ではなく、神の統治領域であり、「神が王であること」である。
それ故「神の国」は、神の支配が行き届いているまさに人間の中にあり、そのような人がいる場所や集会、経営する会社なども含まれる。
この箇所では、神の国は土に種を蒔いたもののようであると書いてあるが、種はどのように育つだろうか。
夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らないし、仕組みは知らなくても良いし、理解する必要も無い。
種が育つための必要条件は、「種が蒔かれている状態にある事」(スポロス)である。
そうれば種はおのずと成長していくものであり、そこには人間の働く余地はない。
蒔かれた状態にある種の力
「スポロス」は蒔かれた状態にある種を意味するが、その他にも、人を援助できる資力という意味もある。
人を助けたり御霊の実を結ばせたり、神の国を成長させるためには、「蒔かれた種」である事が大切である。
太陽と雨の恵みを受けていれば何の苦労も無く自然すぎるほど自然に実を結ぶものである。
神から産まれた人は、神の種が宿っているから罪を犯さない。(1ヨハネ3:9.10)
罪も犯したとしても、神の種が宿っているなら、罪を犯し続けるということはできないのは、神の種が宿ってから、罪を犯し続けると苦しくなるのである。
それに対し、悪魔の子達は罪を犯し続けても何とも無く、正しい生活を続けられない。たとえ神を信じると言っていても、兄弟を訴え続けたり、分裂を促したりしているようでは、神の種が宿っているとは言えない。
世の始まる前から隠されていた奥義
神の国のたとえは、世の始まる前から隠されていた奥義であると主は語った(マタイ13:35)。
目に見える種、実、土は、全て目に見えない世界の写しであり、成長する種蒔きのたとえは、世の始まる以前から隠されていた奥義である。
1ヨハネ3:9に出てくる神の種「スペルマ」は種、精子を意味し、子孫という意味もある。
神の種が蒔かれるというのは、男性が女性に精子を植えるのに似ている。
「アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して「子孫たちとに」とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この「子孫」(スペルマ)とは、キリストのことです。」(ガラテヤ3:16)
つまり、「人類」という土地に、ひとつのスペルマが蒔かれた。それがイエスキリストであり、それによって新しいいのち、すなわち永遠のいのちが生まれ、育ち、良き実を結ぶ。
そしていずれは、まことの夫であるキリストは、まことの花嫁である教会をめとり、二人は一体となって永遠に生きるのである。
神が人を男と女とに造られたのも、種を結ぶ実を創られたのも、天の形を世において示すためだ。
結ぶ実 - 御霊の実
神の種を植えられた人は、以下の良き実を結び、より健やかに、より豊かになって行く。
「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です。」(ガラテヤ5:22,23)
それらの良き実は収穫の時に天の倉に納められ、永遠に残る。
悪い種によって生った実は永遠に消えない火の中に投げ込まれる。
実には色々な色、形、大きさ、味、効用があるように、人それぞれが結ぶことの出来る実もバラエティに富、それぞれ違うが、いずれも主イエスの素晴らしさを表現し、父なる神の栄光を現する。
みことばに留まり、豊かな実を結び、収穫の時に主にたくさんの良き実を捧げられる皆さんでありますように、イエスの名によって祝福します!