メッセージ - 永遠の衣に何を織り込むか(黙示録19:6-9)
永遠の衣に何を織り込むか(黙示録19:6-9)
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キリストにあって忠実な働き人だったある姉妹が、天に凱旋された。
彼女の生涯は、主の御前に尊い日々で綾なされていた。子供たちを、しっかりと神の働き人として育て上げ、子や孫からは福音のための働き人たちがおこされ、その働き人達を通して、多くのキリストにある霊的な神の子達が、彼女から産まれ出て、そのいのちは、今も産んで増えて地に満ちて行っている。
彼女のその生涯は、主の御前に尊く、美しい綾織り物のような生涯であり、今や、キリストの花嫁として、新しいからだが着せられ、天のまことの夫の懐で、世の諸々の煩いや病から解放され、安息を得ている。
「花嫁は、光り輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行ないである。」(黙示19:8) 「衣」は聖徒たちの正しい行いである、と書いてあるからには、私達はこの地上で、日々の「正しい行い」をもって、天国で着るための「衣」を織っているようなものであろう。
私達はこの地上の一日一日の「行い」を、どのように正しくできるだろう。
どうしたら、天で着せて頂く永遠の衣を、より美しく完璧に仕立て上げる事が出来るだろうか。
それは、一言で言えば、主イエス・キリストと共に歩む事によって、である。
キリスト者として歩む人生は、決して平坦なものではない。キリストを信じている故の患難があり、迫害もあり、災いもある。私達もまた弱く、時に誘惑に負けて罪を犯してしまう事もある。
私達の力には限りがあるが、キリストには限り無き力があり、キリストと共に歩むなら、どんなに非道く、耐えがたいような困難でも、不思議と神からの力で守られ、平安の内に歩む事が出来るのだ。
ステパノは、常人ならばとても耐え切れないような迫害の中でも、聖なる平安の内にキリストを証した。
群衆は口々に叫びながら彼に殺到し、彼は多くの腕に掴まれ、殴られ、もみくちゃにされ、外に引き摺り出され、よってたかって石を投げつけられた。そのような暴力的な混沌の中、ステパノは御使のような面向きで、殺意に満ちた群衆をキリストのように執り成し、祈り、美しい平和の内に天に凱旋した。(使徒7:54-60)
彼に微塵の絶望も憎しみも悲嘆も無く、世のものならぬ平安に満たされつつ、眠りにつけたのは、なぜか。
それは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見つめていたからである。(55節)
世の中の人々、あるいは、呪われてしまった自然界が、殺意に燃えて私達を飲み込もうとする事があるかもしれない。そのような状況でもステパノのような平安を保つには、天を見つめ、イエスを見つめる事である。
キリストの愛と守りは、生も死も超えている。死も、命も、御使いも、支配する者も、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、私達を引き離すことはできない。(ローマ8:39)
もし私達が地上で身勝手に歩み、主イエスを無視して日々を送るなら、その分だけそこがほころびとなり、いざ天に召された時、その部分は焼きつくされ、僅かにキリストと歩んだ部分しか残らない。(1コリ3:11-15)
キリストと共に歩み、キリストにあって何かを行う時、私達の人生という織物は、キリストにあって織りなされ、それは「聖徒の正しい行い」という清い衣として栄光の内に永遠に残されるのであり、そして多くの聖徒達によって紡がれた織物が完成する時、キリストの花嫁の光り輝く衣装が完成し、花嫁として迎えられるのだ。
今や彼女は、キリストの花嫁として迎え入れられ、目の涙をすっかりぬぐい取られ、全く新しいからだを着せられ、イエス様の懐に抱かれ、安息している。(黙示録21:1-7) そして彼女のように、天では多くの信仰の先人達が、私達の地上での歩みを応援し、執り成し、天の栄光ある御国へ入れられる日を待っている。
「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:1-2)
今、地上に残されている私達も、信仰の先人達に続き、イエスから目を離さず、イエスと共に歩み、「正しい行い」という永遠の衣を、共に地上でしっかりと紡いでいく皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!