メッセージ - 先だって進む主の契約の箱(民数記10:29-36)
礼拝説教メッセージ音声:先だって進む主の契約の箱(民数記10:29-36):右クリックで保存
モーセは義理の兄弟であるホバブに、一緒に行くよう勧めた。
彼は、モーセが40歳から80歳の時までの長きに渡って、ミデヤンの荒野で親しくしていた身内である。
「わたしたちは、かつて主がおまえたちに与えると約束された所に向かって進んでいます。あなたも一緒においでください。あなたが幸福になられるようにいたしましょう。主がイスラエルに幸福を約束されたのですから。」(民数記10:29)
モーセの言葉は、自分の身内への立派な伝道をしているように見える。
「主がイスラエルに幸福を約束されたのだから。」だから、私達と一緒に来れば、あなたも必ず幸せになれる、と。
しかしホバブは、自分はやはり国の親族の元に帰ると答えた。
彼はきっと不安があったのだろう。長らく住み慣れた、勝手知ったる土地を離れ、モーセと共に、全く新しい人生に飛び込む事に対して。
そして、神様の祝福の「約束」はあっても、現実的には、主の御助けが一時でも途絶えてしまったら、すぐに死んでしまうであろう荒野の状況に対して。
モーセはそんな彼に、今までの彼らしからぬ発言をする。
『モーセはまた言った、「どうかわたしたちを見捨てないでください。あなたは、わたしたちが荒野のどこに宿営すべきかを御存じですから、わたしたちの目となってください。もしあなたが一緒においでくださるなら、主がわたしたちに賜わる幸福をあなたにも及ぼしましょう」。』(民数記10:31-32)
主が、視覚でも聴覚でも、具体的に分かる導きを与えて下さり、それに従って実際、イスラエル二百万の人々が動き始めた所なのに、モーセはなんと人間であるホバブに「見捨てないでください」「わたしたちの目となってください」と願っている。
これは一体どうした事だろう。
モーセはもしかしたら、実際に動き出した大きな事に不安になって、長い間頼りにしてきた義兄弟に、頼りたくなったのかもしれない。
あるいはそうではなく、ただ単に親しい義兄弟を自分達の所に繋ぎとめ、彼も祝福にあずからせようとしたいがために、あえて、そのように言っただけなのかもしれない。
事実、モーセのこの時の説得によって、ホバブはイスラエルの民と共に、荒野を行ったようであり、その事は、後の時代にホバブの子孫たちがユダ族の土地に一緒に住んでいる事からわかる。(士師記4:11、1:16)
モーセの言葉の真意は分からない。
しかし、その後に主が為して下さった以下の事は、モーセとイスラエルの民全体の不安を、大いに払拭させ、勇気づけさせたに違いない。
『主の契約の箱は、その三日の行程の間、彼らに先立って行き、彼らのために休む所を尋ねもとめた。』(民数記10:33)
なんと、主の契約の箱が先立って進んで行き、彼らのために、休む所を探し求めてくださったのである。
前回の箇所を見ると、契約の箱の位置はケハテ族の所で、隊列のもっとも真ん中で守られていたはずだった。
ところが、それは先頭に立って進み行き、イスラエル全体を導いたのだ。
『契約の箱の進むときモーセは言った、/「主よ、立ちあがってください。あなたの敵は打ち散らされ、/あなたを憎む者どもは、/あなたの前から逃げ去りますように」。またそのとどまるとき、彼は言った、/「主よ、帰ってきてください、/イスラエルのちよろずの人に」。』(民数記10:35-36)
この短いシンプルな祈りの中から、主を全面的に頼りとするモーセの信仰がにじみ出ている。
主の契約の箱は、かつてエジプトの軍団に対しても、紅海に対しても、そして荒野の至る所においても、将来のヨルダン渡河においても、エリコ攻略の際でも、主は先んじて進み、イスラエルの歩むべき道を拓いて下さった。
主の契約が、主の約束が、主の御言葉が、先んじて進む。これ以上の安心はあるだろうか。
私達もモーセのように、行くにも帰るにも、主の守りと導きを祈る時、人生という荒野の旅を、安心して進み行く事が出来るのだ。