メッセージ - ポンティオ・ピラトの前で証するイエス(1テモテ6:13-16、ヨハネ18、19章) 礼拝説教メッセージ音声 한국어예배 韓国語通訳有
ポンティオ・ピラトの前で証するイエス(1テモテ6:13-16、ヨハネ18、19章) 礼拝説教メッセージ音声 한국어예배 韓国語通訳有
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- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約)
- 執筆 :
- pastor 2011-1-11 7:34
礼拝説教メッセージ音声:ポンティオ・ピラトの前で証するイエス(1テモテ6:13-16、ヨハネ18、19章):右クリックで保存
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ポンティオ・ピラトの前でのイエスは、口を開かず、辱められ、弱さの極みであったが、イエスキリストは唯一の権力者で王の王、主の主、不死なるお方であり、近づくことのできない光の中に住んでおられる力強い主である。(1テモテ6:13-16)
万物に命をお与えになったお方が、ポンティオ・ピラトの面前で証しをなさったのだ。(13節)
彼のポンティオ・ピラトの前での告白を見て行きたい。(ヨハネ18:33-38)
ピラトが最初に見たイエスは、大勢の悪意の群集に囲まれ、祭司長達に罵られ、犯罪人として縛られて引っ立てられている様子であった。
そのような状況の33歳の若造なら、本来、絶望と恐怖に満ち、卑屈に総督の前に出ているべきなのに、平安と清らかな佇まいに満たされていた彼の様子を見て、ピラトはただ者ではないと悟った。
彼がイエスと会話を交わしていくうちに、イエスが地上にいるどんな人間とも違い、全てを越えた聖なる王の性質に触れていく。
イエスの前には、総督であろうと奴隷であろうと、イエス様を王とするか、しないかの、2つに一つしかない。
そしてそれは、イエス様が輝く天の王座に座っていようとも、犯罪人のように捕縛され打ち傷に満たされた状態であろうとも、である。
「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」(ヨハネ18:37)
この部分を本の字面を追って読むだけなら「何を突拍子も無い事を」と思うかもしれないが、その場面の状況として、究極的に弱い立場の筈のイエスが、いつでも御使い達に命じて守らせる事の出来る余裕と、清らかで平安に満ちた佇まいの内にこの言葉を発したのだから、ピラトはますます、このお方は何かしらの王たるに相応しい者であると確信する。
ピラトは確かにイエスを釈放する権限も、十字架につける権限もあるのだが、ピラトも上から権力を与えられなければ何もできない事を言われ、なんとかして釈放したいと思うようになっていった。
ピラトはイエスの無罪を宣言しても、群集はバラバ釈放を要求し、あくまでイエスの十字架を要求した。
祭司長達が本来王とすべきは、唯一の神であるはずなのに、皇帝陛下の他に王は無いと言ってみたり(15節)、異邦人に支配されるのは嫌いなはずなのに、その異邦人の権力に取り入って利用してイエス様を十字架につけようとする。
外見だけの宗教者はこのように、自分の王を好き勝手に摩り替えたり、聖なるお方を罪に定めたり、邪悪なバラバを釈放したりするのである。
ピラトは「見よ、この人だ」と叫び、この聖なるお方をお前達は十字架につけていいのか?と促すが、結局ピラトはイエスを引き渡してしまうのである。
人間とは悟りが無ければ、とことん弱く愚かなのである。
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