メッセージ - 日々主に委ねて
※今回の祈祷会音声にはプライベートな内容が含まれたため、音声配信は行いません。代わりに、概要を投稿します。
神は高ぶる者を退けられる。
当然、人を人とも思わず平気で心を踏みにじるような者の願いをいちいち叶えていたら世の中は混乱する。
私達は他人の願いを聞いて「それは身勝手だ」と量ったりするものだが、実は、自分自身がそのように身勝手な願いをしている事には、なかなか気付かない。
もちろん、正当な願いはあり、その願いを神様は聞いて下さる。
神様がすぐに願いを叶えてくださらない時は焦るかもしれないが、後になって見れば、より有意義な事が自分の身に起きていた事がわかるものだ。
人は自分の最善が何かすら知らないものであり、神様は人の願いを全部が全部そのまんま叶えて下さるわけではない。
しかしもっと後になってから、あの時それで良かったと分かる。
神様は唯一、私達の最善をご存知だからである。
詩篇23編「あなたのむちとあなたの杖が私の慰めです。」
羊は目が見えず、一寸先は見えないものだが、私達も一寸先は闇であり、危ないところへも突進するような事もあるが、主はそのような私達を守り、例え私達の愚かさゆえに崖から落ちても降りてきて助けて下さる。
主を羊飼いとしていれば、決して乏しい事は無い。
死の陰の谷のような危ない所を通らされる事もあるが、守られる。
さらに主は、敵の前で宴を設けて下さり、頭に油を注いで装って下さり、恵みと慈しみとが、私達を追って来る。
しかし主を羊飼いとしていなければ、恵みと慈しみは逃げて行く。
美しくて素敵な若い女性はたくさんいるが、素敵なおばあちゃんは、真珠のように尊く珍しい。
彼女はその日その日を尊く生きてきたから、そのようになったのである。
日々、主を羊飼いとし、尊い歩みをし、美しく歳を重ねていくみなさんでありますように!