メッセージ - 言い訳をして戦いに行かない一部のヨセフ族達(ヨシュア記17:14-18)
言い訳をして戦いに行かない一部のヨセフ族達(ヨシュア記17:14-18)
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- 執筆 :
- pastor 2014-8-2 19:27
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『ヨセフの子孫はヨシュアに言った、「主が今まで、わたしを祝福されたので、わたしは数の多い民となったのに、あなたはなぜ、わたしの嗣業として、ただ一つのくじ、一つの分だけを、くださったのですか」。』(ヨシュア記17:14)
ヨセフ族、すなわちエフライム・マナセ族には、既に広大な土地が与えられており、その領地の広い境界線も、既に定められている。
それなのに、ヨセフ族の”ある人達”は、ヨシュアの所に来て、くじは”ただ一つ”しかもらえなかったと、不服を申し立てている。
御心にかなった事や、御約束の成就を「求める」事は、大いに推奨されるものではあるが、今回の彼らの要求は、それとは異なるものである。
なぜなら、彼らには既に広大な良き地が約束として与えられ、あとは、彼らがそれを手に入れるための行動を起こすだけなのに、彼らはそれをせず、約束として与えられたものにケチをつけているからだ。
『ヨシュアは彼らに言った、「もしあなたが数の多い民ならば、林に上っていって、そこで、ペリジびとやレパイムびとの地を自分で切り開くがよい。エフライムの山地が、あなたがたには狭いのだから」。ヨセフの子孫は答えた、「山地はわたしどもに十分ではありません。かつまた平地におるカナンびとは、ベテシャンとその村々におるものも、エズレルの谷におるものも、みな鉄の戦車を持っています」。』(ヨシュア記17:15-16)
彼らが自分の口で告白した通り、主に祝福され、多く増え、また多くの力も与えられているのだから、その力を用いて、まだ敵がのいる相続地を切り開いて行きなさい、と、ヨシュアは言っているのだが、彼らは、いえ、相手は鉄の戦車を持っているから、できません、と言うのだ。
『ヨシュアはまたヨセフの家、すなわちエフライムとマナセに言った、「あなたは数の多い民で、大きな力をもっています。それでただ一つのくじでは足りません。山地をもあなたのものとしなければなりません。それは林ではあるが、切り開いて、向こうの端まで、自分のものとしなければなりません。カナンびとは鉄の戦車があって、強くはあるが、あなたはそれを追い払うことができます」。』(ヨシュア記17:17-18)
現代のキリスト者の中にも、このヨセフ族の”ある人達”のように、「主が与えた」という御言葉の約束を頂いておきながら、そして、あとは行ってそれを勝ち得るだけでありながら、色々な言い訳ばかりをして、それをせず、かえって文句を言ったり、別のものを求めたりする”霊的怠け者”の信仰者がいる。
『なまけ者は、「道にししがいる、ちまたにししがいる」という。・・・なまけ者は手を皿に入れても、それを口に持ってゆくことをいとう。』(箴言26:13)
私達の内には、生まれながらの肉なる性質や、過去の傷、抱えている病といった、滅ぼすべき”ペリジびと”や”レパイムびと”、鉄の戦車を持った”カナン人”がいる。
しかしそれらは、私達の内におられる、まことのイエシュアであるイエス様と共に「滅ぼし可能」なのだ。
それなのに、「自分の病は鉄のようだ」とか、「自分のトラウマは戦車級だ」とか言い訳して、他人には「自分に合わせてくれ」と要求ばかりしている人は、いつまでも改善されない。そればかりか、やがてはそれらに飲み込まれてしまうのだ。
事実、士師記1章を見ると、ヨセフ族はヨシュアから言われていた通りに敵を滅ぼさなかったため、その者達は後々、力をつけてしまい、苦々しい事になってしまった。
パウロは言っている。
『こういうわけで、あなたに注意したい。わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。』(2テモテ1:6-7)
ヨシュアも、ヨセフ族に言った。あなたには既に大きな力が主から与えられている、それをもって、鉄の戦車を制圧せよ、と。
そして主イエスは、私たちに言っている。
『これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。』(ヨハネ16:33)
『全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。』(マルコ16:15-18)
『わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、/わたしのたましいはこれを喜ばない」。しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。』(ヘブル10:38-39)
私達に与えられた聖霊は、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊である。
それを奮い立たせ、私達の内に元から住んでいる滅ぼすべきもの、すなわち、病や過去のトラウマなどの”鉄の戦車”を、信仰によって戦いを仕掛け、追い払い、勝利し、私達の内には、ますます広大な安息の地を得て行く皆さんでありますように!
イエス様の名前によって祝福します!