メッセージ - 約束の子と奴隷との争い(ガラテヤ4:28-5-13)
礼拝説教メッセージ音声:約束の子と奴隷との争い(ガラテヤ4:28-5:1):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
主イエスを信じた私たちは主に愛された者たちであり、それは妬まれ、嫉妬されるほどである。
イサクの時代のように、奴隷の子と自由の子の争い、神から離れた者達対神の子達の相克は、ずっと続けられており、私たち自身も身近に経験する。
地上においては確かに苦難があるが、奴隷の者たちは追い出され、約束の子達は全てを相続し受け取る事が約束されている。
サタンは自分の裁きが確定しており、教会が愛され、守られ、必要が満たされているのを見て歯軋りするのである。
サタンは地上に投げ落とされたため、地に住む私たちもその影響を受けるが、私たちには打ち勝つ手段がある。
「兄弟たちが勝利する根拠は、子羊の血と、あかしの言葉である。」黙示12:7-12
あかしとは、イエスキリストが確かに生きておられ、私たちの主であると証言する事である。
サタンは教会における麗しい交わりをめちゃめちゃにしようと虎視眈々と狙っているが、私たちはその時、主にある立場を宣言すべきである。
天における裁判の情景がゼカリヤ3章に出てくる。
大祭司ヨシュアが民の代表として裁判の席に立たされているが、主はサタンに対し
「サタンよ、お前が攻められている」と言われる。
私たちは肉においては諸々の罪を犯すかもしれないし、罪の負債をいまだに引き摺っているかもしれない。
しかし主が責められるのは、サタンに対してであり、私達にではない。
そもそも、私達は元々愛されるべき者として創られており、人類を罪へ引きずり出したのは元々サタンだからである。
主は私達の穢れた衣を脱がせ、聖なる衣を着させ、聖なる冠をかぶらせて下さった。(4節)
私たちはこの立場を宣言すべきである。
「略奪した国々に。私の民に触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。」(ゼカリヤ2:8,9)
私たちは主にとって瞳のように大切な存在であるが故、聖徒達を攻め立て略奪する者たちに対しては、逆に略奪されるままにされるのである。(9節)
神は善人と認めた者には恵みを与えられるが、あ悪人にはひたすらその主が義と認めた人達に渡すために積み上げる事を勤めとされる。(伝道者2章)
日々の諸々の障害に対しては、イエスの血を宣言し、悪人たちの積み上げた富を得る皆さんでありますように。
イエスの名によって祝福します!