メッセージ - 弱いときにも強い(使徒16:19-24)
礼拝説教メッセージ音声:弱いときにも強い(使徒16:19-24):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배
パウロ達は今までユダヤ人から苦難を受けていたが、今回は異邦人からの苦難である。
彼らは「ローマ人が受け入れることも、実行することも許されない慣習を宣伝して」町をかき乱したかどで逮捕され、牢に入れられ、鞭打たれた。
その口実は明らかに腹いせであり、本心は利益を得る望みが無くなってしまったからである。
彼らを訴えた者達は、どうやって利益を得ていたかというと、彼ら自身が働いてではなく、女奴隷に働かせて、である。
女奴隷は何をして働いていたかというと、占いの霊に引き摺り回され、占いをしながら、である。
その女は、霊による束縛の他、主人達にも搾取されていたのだ。
現代のわが国民も、時代の霊に引き摺り回され、多くの中間マージンを国や会社から搾取されている者は多い。
搾取する側は、儲ける望みが無くなるとあれば、パウロ達にやったように、あらぬ言いがかりをつけて攻撃する。
福音が伝えられて不利益をこうむる商売というのは、大体穢れた商売である。
ゲラサ地方の住人がイエス様を追い出したのは、穢れた商売である豚飼いが損失を被ったのを見て、自分達もそうなるかもしれないと恐れたからであるし、アルテミスの偶像を作る職人達も、パウロ達が伝える福音に反対して民衆を扇動し、大声で2時間も叫び続けるよう仕向けた。
しかしそのような諸々の苦難を経たからこそ、それらを忘れさせるに余りある喜びと栄光を受ける事ができるのだ。
「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。
わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(2コリント4:17)
パウロ達はスーパーマンのように強靭だから石を投げられても鞭打たれても痛くない、と思うだろうか。
そんなことは無い。
パウロはそうした外側からの災いばかりでなく、信徒達を心つかう内側からの心配にも日々悩まされている。(2コリント11:24-30)
きっと捕らえられた時、リュデヤの家族はどうしてるだろう、自分達が捕まったことによって福音から離れたりしていないだろうか、など、信徒のために心配したに違いない。
私達も同じく弱い存在で、実際に鞭打たれれば痛いし、信徒に何か躓きになりそうな事が起これば心が痛い。
パウロはそんな弱い自分の「弱さ」を誇った。
『「私の恵みはあなたにとって十分である。なぜならば、力は弱さにおいて完全になるのだからである」。そこで私は、むしろ大いに喜んで自分のもろもろの弱さを誇ることにしよう。それは、キリストの力が私の上に宿るためである。
それだから私は、もろもろの弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、そして行き詰まりとを、キリストのために喜ぶ。なぜならば、私が弱い時、その時にこそ私は力ある者なのだからである。』(2コリント12:9,10)
私達も日々、外からの困難や内部からの困難があるかもしれない。
しかし弱さの内にこそ働く、キリストの絶大な力を体験し、圧倒的な勝利をいただく皆さんでありますように。
イエスの名前によって祝福します!