メッセージ - 理解できない苦しみ、悩みを負わされる時(ヨブ記30章)

理解できない苦しみ、悩みを負わされる時(ヨブ記30章)

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執筆 : 
pastor 2018-6-15 11:45

理解できない苦しみ、悩みを負わされる時(ヨブ記30章)
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前章とは対象的に、30章で、ヨブは現在の悲惨な状況を嘆いている。

30:1 しかし今はわたしよりも年若い者が、/かえってわたしをあざ笑う。彼らの父はわたしが卑しめて、/群れの犬と一緒にさえしなかった者だ。
30:2 彼らの手の力からわたしは何を得るであろうか、/彼らはその気力がすでに衰えた人々だ。
30:3 彼らは乏しさと激しい飢えとによって、/かわいた荒れ地をかむ。
30:4 彼らは、ぜにあおいおよび灌木の葉を摘み、/れだまの根をもって身を暖める。
30:5 彼らは人々の中から追いだされ、/盗びとを追うように、人々は彼らを追い呼ばわる。
30:6 彼らは急流の谷間に住み、/土の穴または岩の穴におり、
30:7 灌木の中にいななき、いらくさの下に押し合う。
30:8 彼らは愚かな者の子、また卑しい者の子であって、/国から追いだされた者だ。

この時、ヨブには、彼にひっきりなしにまとわりついて、いじめている”悪童ども”がいたようである。
その彼らは元々、人々から賤しめられ、軽んじられ、貧しい者達、国から追い出された者たちであるが、なぜ彼らがそうなったのか、それは、彼らの低劣な性質ゆえである事が、ヨブの言葉から伺い知れる。

30:9 それなのに、わたしは今彼らの歌となり、/彼らの笑い草となった。
30:10 彼らはわたしをいとい、遠くわたしをはなれ、/わたしの顔につばきすることも、ためらわない。
30:11 神がわたしの綱を解いて、/わたしを卑しめられたので、/彼らもわたしの前に慎みを捨てた。
30:12 このともがらはわたしの右に立ち上がり、/わたしを追いのけ、/わたしにむかって滅びの道を築く。
30:13 彼らはわたしの道をこわし、わたしの災を促す。これをさし止める者はない。
30:14 彼らは広い破れ口からはいるように進みきたり、/破壊の中をおし寄せる。
30:15 恐ろしい事はわたしに臨み、/わたしの誉は風のように吹き払われ、/わたしの繁栄は雲のように消えうせた。

彼らは、神から低められているヨブを笑いぐさとし、ヨブの顔につばきをし、ヨブにつきまとっていじわるをした、とヨブは告白している。
かつては町の長老達さえヨブに起立して敬意を払い、彼の言葉に聞き入ったものだった。
しかし今や、彼はこのような低劣な者たちから、落ちぶれてしまった事を「ねた」にされ、からかわられてしまっている。
それのみならず、瞬間瞬間悩まされている全身にできた腫物の問題もある。

30:16 今は、わたしの魂はわたしの内にとけて流れ、/悩みの日はわたしを捕えた。
30:17 夜はわたしの骨を激しく悩まし、/わたしをかむ苦しみは、やむことがない。
30:18 それは暴力をもって、わたしの着物を捕え、/はだ着のえりのように、わたしをしめつける。
30:19 神がわたしを泥の中に投げ入れられたので、/わたしはちり灰のようになった。

ヨブは、悪性の腫物によって、ひっきりなしに痒みに悩まされ、その様はもはや着物のようにまとわりついてしまっているほどの有様だ。
そこで彼は、再び、神に向かってつぶやく。

30:20 わたしがあなたにむかって呼ばわっても、/あなたは答えられない。わたしが立っていても、あなたは顧みられない。
30:21 あなたは変って、わたしに無情な者となり、/み手の力をもってわたしを攻め悩まされる。
30:22 あなたはわたしを揚げて風の上に乗せ、/大風のうなり声の中に、もませられる。
30:23 わたしは知っている、あなたはわたしを死に帰らせ、/すべての生き物の集まる家に帰らせられることを。

ヨブは災難が降された時、神に向かって不平不満をぶちまけた。それを私達は責められない。
なぜなら私達はヨブほどの災難に遭ったことは無いし、私達も、ヨブほどの災難は経験していないにしろ、神に向かって不平不満をぶちまけた事が無きにしもあらず、だからだ。
ただ、心と思いが神に向かっているのは、まだ良い。一番良くないのは、本人の神との関係を自ら断つ事だ。イスカリオテのユダが、自らの命を断ったように。

30:24 さりながら荒塚の中にある者は、/手を伸べないであろうか、/災の中にある者は助けを呼び求めないであろうか。
30:25 わたしは苦しい日を送る者のために/泣かなかったか。わたしの魂は貧しい人のために/悲しまなかったか。

ヨブは神を責めている。
人でさえ、貧しい人や災難に遭っている人に助けの手を差し伸べるのに、そしてヨブ自身、貧しく苦しい人たちに今まで助けの手を差し伸べて来たのに、それなのに神様、あなたときたら、憐れみの手を差し伸べなどころか、あなたに向かって叫び求めても、全くもって沈黙しておられるではないか、と。

30:28 わたしは日の光によらずに黒くなって歩き、/公会の中に立って助けを呼び求める。
30:29 わたしは山犬の兄弟となり、/だちょうの友となった。
30:30 わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち、/わたしの骨は熱さによって燃え、
30:31 わたしの琴は悲しみの音となり、/わたしの笛は泣く者の声となった。

ヨブは受けている賤しめと苦しみについて、不平不満をぶちまけた。
こんなになっても、神に対して全くしおれてしまわない。本当に強いと思う。
しかし、その「強さ」が実は、仇になっているのだ。
次章でヨブは、怒涛のごとく自分の正しさを主張するが、結局その自己義が、神の知識を暗くし、神との関係を貧しいままにしてしまっている。

それにひきかえ、ダビデはすぐに自分の側に非がある事を告白して赦しを求めた。
ヨブはなかなか、それをしない。それだから神は彼を取り扱っておられるのだ。

私達も、私達の中の高慢や、あるいは硬く強い思い込みが、主との関係を邪魔する時、主から厳しい扱いを受け、賤しめられる時もある。
そのように賤しめられた場合、どういう態度でいるべきか。
エレミヤが、哀歌の中で示唆を与えている。

哀歌は、神の民・イスラエルが自身の罪ゆえに酷い災難に遭って悲惨になっている様を嘆いている歌である。
哀歌の3章1節から19節を読んでいくと、全くヨブと同じような状況で悩んでいる事が分かる。
しかしエレミヤは、そのどん底の苦しみの中でも、なお主に望みを置いている。

哀歌3:20 わが魂は絶えずこれを思って、わがうちにうなだれる。
3:21 しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。
3:22 主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。
3:23 これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。
3:24 わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。

絶望のどん底に陥った時こそ、主を呼び求めるべき時である。
その時、たとえ言葉がきれいでないとしても、主に正直に申し上げる叫びを主は聞いていてくださり、その心が真実であればあるほど、主はとても近く親しく臨んで下さるからだ。

3:25 主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。
3:26 主の救を静かに待ち望むことは、良いことである。
3:27 人が若い時にくびきを負うことは、良いことである。

理解のできない苦しみ、悩み。それを負わされる時、主は無意味にその事をしておられるのではない。
その理由を、人は、知らないかも知れない。
しかし、主からきびしく扱われている、と思えるような時、いかに振る舞えば良いかが、次に続く節に記されている。

3:28 主がこれを負わせられるとき、ひとりすわって黙しているがよい。
3:29 口をちりにつけよ、あるいはなお望みがあるであろう。
3:30 おのれを撃つ者にほおを向け、満ち足りるまでに、はずかしめを受けよ。
3:31 主はとこしえにこのような人を/捨てられないからである。
3:32 彼は悩みを与えられるが、そのいつくしみが豊かなので、またあわれみをたれられる。
3:33 彼は心から人の子を/苦しめ悩ますことをされないからである。

ちり、それは人間の組成である。
ヨブは賤しめられた時、卑しい人たちから、理不尽な仕打ちを受けた。
ヨブは、自分は正しいと主張したが、結局、その人達も、ヨブも、組成はちりである。
人からの理不尽な仕打ちを受ける時、ちりの味を味わうのだ。
そしてその時、自分の中にも同じ卑しい性質がある事を学ぶのであり、そして、そんな人間を憐れんでくださる神の恵み深さを知るのだ。

主は、愛する者がいつまでも卑しいまま捨て置かれる事を、お許しにならないお方である。

3:34 地のすべての捕われ人を足の下に踏みにじり、
3:35 いと高き者の前に人の公義をまげ、
3:36 人の訴えをくつがえすことは、主のよみせられないことである。
3:37 主が命じられたのでなければ、だれが命じて、その事の成ったことがあるか。
3:38 災もさいわいも、いと高き者の口から出るではないか。
3:39 生ける人はどうしてつぶやかねばならないのか、人は自分の罪の罰せられるのを、つぶやくことができようか。

ヨブは、自己義が強すぎた。自分は、あくまで、悪くない、と、友人が黙ってしまう程に強く主張した。
それ故、そのプライドを砕くためのハンマーも、また強かった。

塞がれていた主の助けが再び流れ出す鍵は、自分の罪の告白する事と、悔い改めであり、罪を認めないなら、いつまでもその追求が続く(1ヨハネ1:8-10)。
呪いにつきまとわれるコツ、いつまでもそこから脱出できないコツは、「自分の悪さを認めない事」である。

ダビデはすぐにしおれて自分の罪をゆるして下さいと求めたので、救いもすぐだった。
「自分は正しい」「自分には罪がない」という前提条件は、速やかに捨てて、主の赦しと憐れみと慰めを速やかに得る者でいたい。

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