メッセージ - ほとばしる命の泉の呼び水とは(ヨハネ4:7-15)
ほとばしる命の泉の呼び水とは(ヨハネ4:7-15)
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週報/メッセージ(説教)概要
前回、聖霊のご性質の、流れる川のように人を潤し清める性質を学んだ。今回も続いてそれを学びたい。
『イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、渇く事がないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、湧き上がるであろう」』(ヨハネ4:13) 私達がこれを頂くためには、どうしたらよいだろう。
暫く使っていない井戸を、再び水を出すようにするためには「呼び水」が必要であるが、イエス様からこんこんと湧き出るいのちの水を私達も頂くために「呼び水」が必要である。イエス様ははじめに「水を飲ませて下さい」(7節)と女に言われた。イエス様は、罪深いこんな私達にも言われる。「あなたの水を飲ませて下さい」と。では、私達がイエス様に「呼び水」となるべき水を、飲ませて差し上げるためには、どうしたら良いか。
この記事中、女がイエス様に飲ませた記述は、見あたらない。しかし後の記述を見ると、どうやら彼女、イエス様から「生ける水」を頂いて、腹の奥底から水が川となって流れ出たようすである。一体彼女、いつイエス様に「呼び水」を飲ませたのだろう。彼女がイエス様に飲ませた「呼び水」とは、おそらく、次の言葉だ。
「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」(15節)
イエス様への、「その水をわたしに下さい」という、お願い。これこそ、無限に流れ出て来るいのちの水を、イエス様から引き出す「呼び水」である。この言葉をイエス様へ発した瞬間、イエス様は「呼び水」を得て、その人の「渇きの問題」を解決をする支配権がイエス様へ移り、イエス様はその人を潤す働きを開始する。
彼女は、渇きを覚えていた。喉の渇きより、もっと深刻で根本的な「心の渇き」「人生の渇き」を。彼女はその渇きを、結婚や安定、異性という「水」によって癒やそうとしたが、それは、飲めば飲む程渇く水だった。
人は色々な「水」で渇きを癒やそうとする。異性、結婚、金銀、仕事など。それらの「お祭り騒ぎ」(ヨハネ7:37) は、やがて誰もが渇く時が来る事を、前回学んだ。そうした世のものに潤いを求め続けるなら、渇きは癒やされないどころか、もっともっと渇いて行き、そしてそれを手に入れるために奔走した過程で、失敗や恥、破産、人への迷惑、身体の傷などなどの”負の実績”をも積み上げて行く。
それら全ての負の実績を、サマリヤの女のようにイエス様に持って行くなら、神の栄光を現すものへと大転換する。つまり彼女のように、イエス様に向かって、「あなたがくださる水、飲んだら腹の奥底から流れ出るという、その生ける水を、わたしにもください!」と言う事こそ、あらゆる問題解決の呼び水なのだ。
イエス様がこれを「飲む」時、問題が私達の側からイエス様の側へと移り、イエス様が動いてくださる。
彼女がイエス様に、あなたの水を飲ませてください、と言った時、イエス様は働く機会を得、結果的に、彼女は決して今まで満たされなかった霊の空洞が、満たされた。そして、彼女自身の渇きが癒やされただけでなく、その水は川々となって、彼女の住んでいたサマリヤ・スカル地方全体へと流れて行き、その一帯の人々を、根こそぎイエス様へと導いて、この地方一帯が、いのちの水で溢れた。
『祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。』(ヨハネ7:37) この、イエス様が下さる水、すなわち「聖霊」が私達に宿る時、流れる川のごとく私達を潤し、私達がいかに、世との摩擦ですり切れ、汚れしまっていても、その聖霊の川の流れに身を置いているなら、どんどん癒やされ、きれいになって行く。その御霊が働くためには、御言葉が必要である。
御言葉という全く純粋なきよめの水に浸され続け、聖霊のきよい流れにひたされ続けるなら、どんどん清らかになって行く。御言葉を習慣的に口ずさみ、自分の中に取り入れる「テフィリン」が、まさにそれである。
いつも御言葉に浸され、馴染んでいる内に御言葉と一体化し、きよめられ、そして天地を創造した神の言葉による再創造が、その人の中に構築されて行き、その人の中に、神のかたちが出来上がっていくのだ。
御言葉なるイエス様こそ「在りて在るお方」であり(ヨハネ8:24,58)、全ての存在の源である。(コロサイ1:17)
その御言葉を、テフィリンによって自分の中に豊かに住まわせるほどに、自分の存在根拠、生きる根拠、そしてこのお方を伝える伝道の根拠が、くっきり土台づくりされて行く。それでその人は、心も、人格も、ことばも、人生全ての面において、安定して行く。その取っ掛かりは、全存在の根拠であられるイエス様の所に行って、あなたが下さるという水を、わたしにも下さい!と、お願いする事だ。イエス様は、今生きておられる。このお方に呼び求め、全ての面で潤い、安定した人生を送っていく皆さんでありますように!