メッセージ - 主こそわたしの相続である、とした人の幸いの数々(詩篇16篇)

主こそわたしの相続である、とした人の幸いの数々(詩篇16篇)

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執筆 : 
pastor 2018-9-20 8:15

主こそわたしの相続である、とした人の幸いの数々(詩篇16篇)
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ダビデのミクタムの歌
16:1 神よ、わたしをお守りください。わたしはあなたに寄り頼みます。

ミクタムは、意味の説明として,「苦しめられている」「攻撃を受けている」「黄金の」「宝石の」「書き記されている」「隠されている」「重要な意味を持ったもの」等あるが明確ではない(実用聖書注解)
16篇もまたダビデの詩篇であり、どうやら彼は、再び困難な状況にあるようである。

困難な状況の中でこそ黄金のような、宝石のような「賛美たち(テヒリーム=詩篇)」が誕生する事が多々あるが、この詩篇もまさに宝石のような詩篇である。

16:2 わたしは主に言う、「あなたはわたしの主、あなたのほかにわたしの幸はない」と。

彼は苦しみの状況で、「あなたはわたしの主、あなたのほかにわたしの幸はない」と宣言した。
主を「わたしの主」と主に対しまた世に対し宣言し、主を自分との個人的で親密な関係へと持ち込む事こそ、あらゆる助けの源となるのだ。
どんなにひとりぼっちでも、どんなに弱くても、どんなに何も無いように見えても、主が自分の親しい主人であり、助けであるなら、どんな人生の荒波も、困難という山の頂も、安全に乗り越える事が出来、そして、素晴らしいゆずりの地へと導かれるのだ。

16:3 地にある聖徒は、すべてわたしの喜ぶすぐれた人々である。

日本ではクリスチャンを見つけるのはまれで、他の神々を選ぶ者のほうが多い。
そんな中で、主を拠り所とすし助けとするクリスチャンを見つけると、大きな喜びが沸き起こってくる。
ダビデもそうである。

16:4 おおよそ、ほかの神を選ぶ者は悲しみを増す。わたしは彼らのささげる血の灌祭を注がず、その名を口にとなえることをしない。

主を拠り所とするクリスチャンは、威厳があるのだが、もしクリスチャンと言われている人に、威厳が無いとするなら、彼は拠り所を主だけにしていないからだ。
例えば、聖書は同性愛を容認していないのに容認したり、イエス・キリストのみが道であり真理であり命であるのに、イエス以外に救いがあると言うなどの、聖書に混ぜものをした思想を持っているとするなら、その人からは威厳も守りも逃げ去ってしまうのだ。

16:5 主はわたしの嗣業、またわたしの杯にうくべきもの。あなたはわたしの分け前を守られる。

主の働き人であるレビ族は、土地の分与がなかった。なぜなら、主がゆずりの地だからだ。

民数記18:20 主はまたアロンに仰せられた。「あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。イスラエル人の中にあって、わたしがあなたの割り当ての地であり、あなたの相続地である。

そしてイエス・キリストを主としてる私達にとって、主イエス様こそ受ける分であり、私達のゆずりの地である。
主はアブラハムにも仰せられた。

15:1 「アブラムよ恐れてはならない、/わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、/はなはだ大きいであろう」。

KJVでは「I (am) thy shield, (and) thy exceeding great reward. 」、つまり神は、「わたしがあなたの盾、そしてあはたへの飛び抜けて素晴らしい報酬だ。」と言っておられるのだ。
だからここは、主を信じた事の報いとして莫大な富や栄誉を得られる、などとというレベルの話ではない。
「主ご自身が莫大な報い」であり、それは世のいかなる栄光や富を得るよりはるかに優れた報酬である。
主を主とし、主を私達のゆずりの地とするなら、私達もアブラハムの子孫である。

16:6 測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た。

測りなわは、「この縄の内側は、私の土地ですよ」という事を示す境界線である。
ダビデには、自分にとって好ましく思える相続地を、主が与えて下さった事を喜んでいる。
主ご自身がゆずりの地であるなら、この地上において、主が好ましい所へと導いて下さるのだ。

16:7 わたしにさとしをさずけられる主をほめまつる。夜はまた、わたしの心がわたしを教える。

主は私達キリスト者に聖霊を授けて下さり、その聖霊が、暗闇の中でも私達を導いて下さる。

16:8 わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。
16:9 このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。

ダビデはいつも主を前に置き、主を羊飼いとした。
羊は、羊飼いの前を行くものだろうか。それとも、羊飼いの後を行くものだろうか。
もちろん羊飼いの後を従って行くものだである。
しかし、なんと多くのキリスト者がイエス様を後に従えて「主よ私の為す事をに成功を与えて下さい」と言って本末転倒を演じているだろうか。
私達は主をこそ前に置き、主に従って行くべき者である。
そして、あらゆる考え方や道の選び方において、主を前に置き、主というフィルターを通して物事を見、判断すべきである。

この主を私達の力とし、右に置くなら、私達は決して揺るがされる事は無い。
預言者イザヤも言っている。

イザヤ41:10 恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。
41:11 見よ、あなたにむかって怒る者はみな、はじて、あわてふためき、あなたと争う者は滅びて無に帰する。
41:12 あなたは、あなたと争う者を尋ねても見いださず、あなたと戦う者は全く消えうせる。
41:13 あなたの神、主なるわたしは/あなたの右の手をとってあなたに言う、「恐れてはならない、わたしはあなたを助ける」。
41:14 主は言われる、「虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。

詩篇16:10 あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。
16:11 あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。

ここはパウロも宣教の時に引用した。主は十字架において死なれたが、陰府に捨て置かれる事は決してなく、よみがえられた。
イエス様に望みを置いている聖徒たちも同様である。イエス・キリストにある聖徒達は、必ず復活するのだ。
この主にあって、私達は、死を前にしても、陰府を前にしても、決して揺るがされる事は無い。

詩篇103:1 わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。
103:2 わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
103:3 主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
103:4 あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、
103:5 あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。

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