メッセージ - 義の枝の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 5/9(エレミヤ23:1-8)
義の枝の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 5/9(エレミヤ23:1-8)
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- 執筆 :
- pastor 2018-10-24 14:20
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義の枝の問題 - エレミヤ書の9つのGolden Key 5/9(エレミヤ23:1-8)
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この終わりの時代を読み解く上で非常に重要なエレミヤ書の9つの鍵、その第5番目は、「義の枝」の問題である。
エレミヤ23:5 見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝「ツェマフ・ツェデク(聖なる枝、義なる枝)」を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この国に公義と正義を行なう。
エレミヤ書22章において、ダビデ-ソロモンから続いた王たちは、代が降るにつれ、主の御言葉に聞き従わず、主の警告を無視し、人々を虐げ搾取した。
それで主は言われた。
23:1 主は言われる、「わが牧場の羊を滅ぼし散らす牧者はわざわいである」。
23:2 それゆえイスラエルの神、主はわが民を養う牧者についてこう言われる、「あなたがたはわたしの群れを散らし、これを追いやって顧みなかった。見よ、わたしはあなたがたの悪しき行いによってあなたがたに報いると、主は言われる。
ソロモンから続く歴代の王たちは、牧者として失格な事ばかりして来て、あまりにも警告に従わないことを続けたため、ついに主は、バビロン捕囚直前の王、エコヌヤに宣言した。
「この人を、子なき人として、またその一生のうち、栄えることのない人として記録せよ。その子孫のうち、ひとりも栄えて、ダビデの位にすわり、ユダを治めるものが再び起らないからである。」(エレミヤ22:30)
実際、エコニヤ以降、ダビデ-ソロモンの家系に、王は出ていない。
主は、ダビデ-ソロモン以降続いた王位を、エコニヤの代で終わらせたのだ。
さて、ここで疑問が起きる。
エコヌヤ以降は「王は出ない」と宣言されたなら、王の王・主の主であられるイエス・キリストは、どうなるのか。
マタイ1章の系図には、ダビデ以降エコニヤに至るまでの14代が、歴代の王として記されているが、実際、エレミヤの預言どおり、エコニヤからは王は出ておらず、一般人の系図となっており、そしてイエスの父ヨセフへと系図が続いている。
イエス・キリストは、王の王であるが、エコニヤ以降、王は出ないのではなかったのか?
そもそもである。イエス・キリストは、聖霊によって処女マリヤから生まれたため、マリヤの夫ヨセフの血は継いでいない。
それでは、イエス様は王族ではないのか?ダビデの子ではないのだろうか?
いいや、ダビデの子であり、王族である。
ルカの福音書三章に、もう一つの系図があるが、この系図は、ダビデ-ソロモン,,,エコヌヤ,,,ヨセフへと続くマタイ系図とは全く別の系図、すなわち、マリヤの家系の系図である。
実際、マタイ一章の”ヨセフ系図”では、ダビデの子はソロモンであるが、ルカの”マリヤ系図”では、ダビデの子はナタン(バテ・シェバの子でソロモンの兄:1歴代3:5)となっており、それ以降のマタイとルカの系図は、分岐している。
つまり、イエスの母マリヤは、歴代の王族の家系ではないものの、れっきとしたダビデの子孫であり、そして悪に染まった王族の血を継いでもいない。つまりイエス様は、法的なヨセフの子、すなわち法的には歴代の王族の子であり、血筋としては、悪しき王達の血を継がない、純粋なダビデの子孫なのだ。
ルカの系図は、マタイの系図とは逆で、新しい時代から古い時代へとさかのぼって行き、しかもマタイ系図の一番最初・アブラハムよりもさらにさかのぼって、人類最初の人アダムへと行きつき、最後は、神へと行き着く。(ルカ3:38)
マタイの系図は、最初がアブラハムで始まる、イスラエル人の父・イスラエルの王族の家系図であるが、ルカの系図は、神の子、人の子、ダビデの子の系図である。
そういうわけで神は、エレミヤの預言どおり、エコヌヤという「決して王は出ない家系」とは、全く別の、「ダビデの若枝・ツェマフ・ツェデク(聖なる枝、義なる枝)」を興し、すなわち、ダビデの子・ナタンからの系図から、決して廃れる事の無い、永遠に王となって公平と正義を行う王・イエス・キリストを起こされたのだ。
この枝、すなわち、義なるイエス・キリストこそ、私達・異邦人の望みである。
ダビデの系図の中には、異邦人ルツが、またラハブが、信仰告白によってこの栄光の家系へと嫁入りし、ダビデ王朝の先祖になった事が記されている。
この「義の枝」であるキリストに、信仰告白によって接ぎ木されて来る異邦人は、皆、救われるのである。(ローマ11:13-27)
23:3 わたしの群れの残った者を、追いやったすべての地から集め、再びこれをそのおりに帰らせよう。彼らは子を産んでその数が多くなる。
23:4 わたしはこれを養う牧者をその上に立てる、彼らは再び恐れることなく、またおののくことなく、いなくなることもないと、主は言われる。
23:5 主は仰せられる、見よ、わたしがダビデのために一つの正しい枝(ツェマフ・ツェデク)を起す日がくる。彼は王となって世を治め、栄えて、公平と正義を世に行う。
23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義(ジェホバ・チヅケヌ)』ととなえられる。
この、主が起こされたダビデの若枝(ツェマフ・ツェデク)、すなわちキリストに接ぎ木された者は、「義」とされるのである。
それ故、その名は『主はわれわれの正義(ジェホバ・チヅケヌ)』ととなえられる。
イザヤ60:21 あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう。彼らはわたしの栄光を現わす、わたしの植えた枝。わたしの手で造ったもの。
60:22 最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。
どんな罪人であっても、このツェマフ・ツェデクへと、信仰告白によって接ぎ木されるなら、「義」とされるのである。
たとえ、十字架刑の真っ最中の強盗であっても。
それは何という驚くべき恵み、驚くべき救いであろうか。
23:6 その日ユダは救を得、イスラエルは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。
23:7 主は言われる、それゆえ見よ、人々は『イスラエルの民をエジプトの地から導き出された主は生きておられる』とまた言わないで、
23:8 『イスラエルの家の子孫を北の地と、そのすべて追いやられた地から導き出された神は生きておられる』という日がくる。その時、彼らは自分の地に住んでいる」。
これはまさに、現代のイスラエルにおいてそれが起きている。
バビロン捕囚からおよそ2500年後、1948年5月14日にユダヤは見事、あの土地に独立し、国を再興した。
その日、まさに『イスラエルの家の子孫を北の地と、そのすべて追いやられた地から導き出された神は生きておられる』という日が来たのだ。
主は、まことに真実なお方である。