メッセージ - 十字架にかかるために赤ちゃんとなって来られたイエス(ルカ2:1-14)
主日礼拝
十字架にかかるために赤ちゃんとなって来られたイエス(ルカ2:1-14)
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成田エクレシア礼拝 音声
あと数日でクリスマス、イエス様の誕生を祝う日となる。イエス様は万物を創られる前より、神の御子として存在しておられたが、なぜわざわざ人の赤ちゃんとして来られたのか。その「基本」を改めて思い返したい。
イエス様がお生まれになった時、ちょうど皇帝が住民登録をせよという勅令を出した時で、普段は人がいない田舎のベツレヘムも、この時は混雑状態となり、ヨセフとマリヤが泊まれる部屋は、無かった。マリヤ達は祈ったかもしれない。あなたが約束された尊い子がもう生まれそうです、宿をあけて下さい、と。しかしそのようにはならなかった。『彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。』(ルカ2:6-7)
父なる神様は当然、快適な所で御子を産まれさせる事は出来た。しかし敢えてそうはされなかった。
神の御子が、あたかも人の間から締め出されるかのようにして、飼葉おけ(餌箱)の中に布にくるまれ、宿られたのは、しるし(セメイオン)のためと書いてある。『あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるし(セメイオン)である」。』(12節)
セメイオンとは、神的な意味が付与された奇跡を意味する。ただの「奇跡」は、単に人がびっくりするだけで信仰には繋がらない。しかし「しるし(セメイオン)」は、人が神へと繋がる信仰を起こすものである。
では、この「布にくるまれた赤ちゃん」というしるしには、どのような神の意図があるのか。
当時のユダヤの野では、家畜は、岩山の洞窟などで飼っていた。だからイエス様がお生まれになったのは、岩の洞窟の中であった可能性が高い。「飼い葉桶」と訳された語「ファテネー」は、日本でイメージする木箱の飼葉桶ではなく、岩に穿った凹みに、家畜などの獣の餌を入れるものである。想像して欲しい。洞窟の中に、布でくるまれ、岩の床に寝かされている・・・その姿はまさに、埋葬されたイエス様の姿と重なる。
御使いは、羊飼い達に「布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてある幼子が、あなた方のためのしるし」と言ったが、その有様は、まさに死んで葬られるキリストのしるしであり、それは全ての人々・・・博士達のような異邦人でも、羊飼いのような卑しい人であったとしても、全ての人々の身代わりに死んで下さる「救いのしるし」であり、どんな獣のような人であっても、彼のいのちにあずかれるように、飼い葉桶へ宿られたのだ。
万物は御子キリストにあって創られ、彼にあって万物が成っているのに、彼は何故、この人間世界に、貧しい夫婦の赤ちゃんとして降りて来られ、岩窟に寝かされたのか。それはこの上ない愛が全うされるためだ。
『神はそのひとり子を賜わった程に、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。』(ヨハネ3:16) 父なる神が御子を世に遣わされた理由、それは圧倒的な愛と憐れみ故である。神は人を愛し、一人も滅びる事を望んでおられないため、全人類(わたし)の罪を、独り子である彼に負わせ、処罰し、彼を信じる人が罪に定められる事がなく、永遠の天国で生きるためだ。
『神はそのひとり子を世につかわし、彼によって私達を生きるようにして下さった。それによって、私達に対する神の愛が明らかにされたのである。私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して下さって、私達の罪のためにあがないの供え物として、御子をお遣わしになった。ここに愛がある。』(1ヨハネ4:9-10)
私達・人間を救いたい、というその激情の愛がイエス様を動かし、栄光の神の御座を降りてあの貧しい所の赤ちゃんとなり、ご自身のいのちを投げ出させたのである。それで彼を信じる人は、アダム以来の死と呪いから開放され、神の子としての特権をいただき、永遠のいのちを得、永遠の天国に入る特権を得るのだ。
イエス様が赤ちゃんとなってこの世に来られたのは、愛のゆえ・・・そして十字架で死ぬため。その大きな愛が、見える形となって、赤ちゃんとしてこの世に結実した故に、御使い達は、大いに喜び、ほめ讃えた。
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように。」(14節)
彼の身代わりの死は、私達が代わりに生きるため。その救いにあずかった私達もほめ讃え、賛美するのだ。
「屠られた小羊こそ、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美とを受けるにふさわしい。」(黙5:12)
赤ちゃんとなって生まれたイエス様は、十字架への道を歩み出される。その小さな手の中に、全ての人の罪と呪いを、一手に握りしめて。この御方を喜び讃えつつ、クリスマスを迎える皆さんでありますように!