メッセージ - 全能の神 エル・シャダイ(創世記17:1-8)
礼拝説教メッセージ音声:全能の神 エル・シャダイ(創世記17:1-8):右クリックで保存
前回の時点から13年が過ぎ、アブラムは99歳になった。
アブラムが75歳で召されて10年、神と共に歩み、実に様々な体験をして来た記録が、創世記12章から16章の間に記されているが、この16章の最後から17章1節まで間、一切の記録が無い空白の13年がある。
『アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」』(創世記17:1)
アブラムは前回、肉の力でイシュマエルを産んでしまい、それ以来、神は13年も沈黙されたが、いよいよアブラムの肉体が死んだも同然の99歳になった時、神は「全能の神(エル・シャダイ)」という名で現れた。
「あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」と言われたが、人間はアブラムのように間違いを犯すし、罪を犯す。
人はとうてい完全になる事は出来ず、その事は神も当然ご存知であるが、ここで重要な事は、「あなたはわたしに従って歩み」なさい、という事である。
人は神に従って歩んでこそ、神の目に全き者となって行くのである。
ダビデは言っている。
「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、”私は全き者となり”、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。」(詩篇19:13)
私達が気をつけるべきは、傲慢の罪に陥らぬよう神に依り頼みつつ生きる事である。
アブラムはかつて、神の言葉を超える傲慢の罪を犯し、失敗をした。アダムやエバの失敗もまた同じである。
神の御前に全き者になるとは、罪も間違いも無い完全な者となる事ではない。それは不可能である。むしろ、神の御前にへりくだり、神に従って歩む事によって、全き者へと、造り替えられていくのである。
アブラム99歳、サライ89歳。もはや人間的に子を生むことは絶望的になった時、神は新しい事を命じられ、約束された。
「あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。」(創世記17:5-6)
アブラムという名は単に「父」という意味だが、もはやその名は捨て今度はアブラハムすなわち「多くの父」という名を名乗るように、という事である。
これから子を産み「多くの父」となる、という約束は、99歳の者に対しては余りに手遅れ、絶望的な約束かもしれないが、神は「全能の神」である。
単に多くの子が生まれるばかりでなく、子達の中からは王たちが生まれる、というのである。
そして事実、後の歴史を見ると、その通りになった事がわかる。
神の言われる事は、その時には人の目に絶望的、不可能に見えるかもしれないが、神に不可能は無い。
むしろ、人の目には絶望的に見え、もはやあきらめるしか無いような時にこそ、神は「全能の神」として現れて下さり、全てを成して下さるのである。