メッセージ - なりふり構わず逃げるべき時(創世記19:12-22)
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御使い達はロトに打ち明けた。
「実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」(創世記19:13)
ロトはそれを聞くと、嫁いだ娘たちの所に行き、婿たちに、逃げるようにと呼びかけたが、彼らはそれを冗談のように思って耳を貸さなかった。
ある日突然、主の裁きが降る、と、突拍子もない事を言われたのだから、冗談のように思うのは当然かもしれない。
しかし、ロトが普段から義について説いて来て、それを普段から聞き流しているようであるなら、いざ本当に裁きの時が来た時、いかに真剣な表情で最後の警告をしても、決して動かないものである。
そのような場合はあきらめて、その不信仰な者と共に滅ぼされないために、その者から離れて、逃げなくてはならない。
人は誰しも、主の御前には一人で立たなくてはならず、自分の救いは、自分でしか達成できないのだ。
ソドムの男と結婚してしまったロトの娘たちは、結局ソドムに残り、その日、滅ぼされてしまった。
滅ぼされるべき者と、一度結婚してしまったら、そこから手を切るのは余程の覚悟が必要になってしまう。
滅ぼされるべき者達とは、最初から結婚しないに限る。
ソドムの滅びの時は、刻、一刻と近づき、夜明け近くになった。
御使いたちは、ためらっているロトに「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」と通告したが、それでもロトは、ぐずぐずとためらっていた。
そこで主は、ロト、妻、二人の娘の手を取り、町の外へ避難させた。
それは主のあわれみである。
彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」(創世記19:17)
その段においても、ロトは主に願い出た。 「主よ、できません。」(創世記19:18)
恐らくその時の彼の精神状態では、そのまま山に逃げ切れた可能性は、極めて薄い。
彼はソドムに未練があり、この段においてもぐずぐずしているようでは、山地まで走り続ける事は、無理であったろう。
ロトは続けて、 「あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。」と告白し、主は命を救おうとされるお方であると、告白した結果、主は憐れんで下さり、山までは逃げなくても良いように、計らって下さった。
主は実に憐れみ深いお方である。
それはもはや、彼の信仰だけでなく、彼を執り成したアブラハムの祈りを、主が覚えておられた故である。(創世記19:19)
このように、信仰の弱い者が、立ち得なくなってしまった時でも、誰かの執り成しの祈りがあれば、主は支えて下さるのである。
主は確かに憐れみ深いお方であるが、指をくわえているだけで自動的に誰でも助けるのではなく、私達の側にも、従順し、服従すべき「分」がある。
聞いた警告を信じ、服従し、それぞれが足を使い、不従順から走って逃げるのは、人の側の責任である。
服従しなかったロトの一部の家族は、ソドムで滅んでしまった。
私たちも、自分の生来の邪悪な性質をいつまでも改めず、兄弟姉妹を平気で踏みつけたり、いつも赦してくれる親切にあぐらをかき続けたりしていると、やがてリミットが近づいて来る。
もしリミットが近づいた事を悟ったなら、なりふり構わず、生来の邪悪な性質から、逃げなくてはならない。
だらだらと、生来の自分に、未練を残してはならないのだ。