メッセージ - 201102のエントリ

礼拝説教メッセージ音声:約束の子と奴隷との争い(ガラテヤ4:28-5:1):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

主イエスを信じた私たちは主に愛された者たちであり、それは妬まれ、嫉妬されるほどである。

イサクの時代のように、奴隷の子と自由の子の争い、神から離れた者達対神の子達の相克は、ずっと続けられており、私たち自身も身近に経験する。
地上においては確かに苦難があるが、奴隷の者たちは追い出され、約束の子達は全てを相続し受け取る事が約束されている。

サタンは自分の裁きが確定しており、教会が愛され、守られ、必要が満たされているのを見て歯軋りするのである。
サタンは地上に投げ落とされたため、地に住む私たちもその影響を受けるが、私たちには打ち勝つ手段がある。
「兄弟たちが勝利する根拠は、子羊の血と、あかしの言葉である。」黙示12:7-12
あかしとは、イエスキリストが確かに生きておられ、私たちの主であると証言する事である。
サタンは教会における麗しい交わりをめちゃめちゃにしようと虎視眈々と狙っているが、私たちはその時、主にある立場を宣言すべきである。

天における裁判の情景がゼカリヤ3章に出てくる。
大祭司ヨシュアが民の代表として裁判の席に立たされているが、主はサタンに対し
「サタンよ、お前が攻められている」と言われる。

私たちは肉においては諸々の罪を犯すかもしれないし、罪の負債をいまだに引き摺っているかもしれない。
しかし主が責められるのは、サタンに対してであり、私達にではない。
そもそも、私達は元々愛されるべき者として創られており、人類を罪へ引きずり出したのは元々サタンだからである。

主は私達の穢れた衣を脱がせ、聖なる衣を着させ、聖なる冠をかぶらせて下さった。(4節)
私たちはこの立場を宣言すべきである。

「略奪した国々に。私の民に触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ。」(ゼカリヤ2:8,9)
私たちは主にとって瞳のように大切な存在であるが故、聖徒達を攻め立て略奪する者たちに対しては、逆に略奪されるままにされるのである。(9節)
神は善人と認めた者には恵みを与えられるが、あ悪人にはひたすらその主が義と認めた人達に渡すために積み上げる事を勤めとされる。(伝道者2章)

日々の諸々の障害に対しては、イエスの血を宣言し、悪人たちの積み上げた富を得る皆さんでありますように。
イエスの名によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

昨日はある事で、暗闇に対し、偽りに対し、悪霊に対して、イエスの名をもって対応しましたが、ヤツらって本当、イエスキリストの御名を覆い隠すものですね。

御言葉には光が必ず勝利すると書いてありますし、事実勝利したのですが、もっと確信を持って大胆に御言葉を宣言する者になりたいと思いました。

礼拝説教メッセージ音声:大胆に御言葉を語らせて下さい(使徒4:23-31):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

ペテロとヨハネは、釈放されるとコイノニヤ(主の集まり)の元へ戻り、祭司長達に言われた事を残らず報告した。
結局祭司長らは二人に何もする事が出来なかったが、もはやイエスの名によって語ったり何かを成す事も禁じられた。
弟子達は次のように祈り始める。
「天と地と海とそれらの中のすべてのものを造りたもうた主よ。」
私達の主は、天と地と海とそれらの中のすべてのものを造りたもうた主。
被造物よりも遥かに尊く、全ての人よりもはるか高い主。
これが、私達のバックについておられるお方である。

ペテロ達は「神に聞き従うよりもあなたたちに聞き従うほうが神の前に義しいかとうか、判断して下さい。」と言う事によって、
天と地と海とそれらの中のすべてのものを造りたもうた主の御前で、逆に尋問した。
人の目から見れば、主の集まりは国家権力によって脅され、尋問を受け、働きを制限されたかのように見えるが、天的にはむしろ、国家権力の方こそ、迫害され、尋問される

立場なのである。

キリストも、その弟子達も、地上の者達に逆らわれる事は定められており、使徒の時代以来現代に至るまでそれはずっと続いている。
私達はどのように祈るべきか。
「今、主よ、彼らの脅迫をご覧下さい。」(29節)
この続きは「彼らから守って下さい」でも「敵を滅ぼして下さい」でもない。
確かに主は守って下さるし、敵を滅ぼして下さるが、御言葉を語る事抜きに、守って下さいとか敵を滅ぼして下さいと祈るのは、順番が違う。

まず告白すべきは、「あなた(キリスト)の奴隷」である事と「大胆な態度で御言葉を語らせて下さい」である。
奴隷は自身の意のままには出来ず、主人の意に添うものである。
私達は以前、世の奴隷であり、暗闇の支配下にあったが、御父は私達を闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださった。(コロサイ1:13)
主イエスの奴隷であるという事は、とても麗しく、甘い事である。

「同時にあなたの御手を伸ばし、あなたの聖なる僕イエスの名によって、癒しと徴と奇蹟とを行なわせて下さい」(30節)
何の考えも目的も無く単に癒しや徴、奇跡を求めるべきではないが、「御言葉を大胆に伝えるために」であれば、躊躇無く求める事ができるし、現に与えられる。

現代に至るまで、世は相集い、国家権力さえも用いてキリストに逆らい続けてきたし、我々もそのようにされている。
時には支配者を相手にする事になるかもしれないが、私達のバックには天と地と海を創られたお方がおり、このお方にあって御言葉を語り、世を罪に定める事さえできる。
私達はもはや暗闇や死の奴隷ではなく、麗しく慕わしい御子の奴隷であり、そうであるからには私達は主の保護の内にあって御心を成すのみである。

このお方にあって大胆に御言葉を伝え、癒しと徴と奇跡とを行い、暗闇を光に、死をいのちへと満たして行く皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

再び父親が横浜に滞在しているので、昨日は父親をみなとみらいに連れて行こうと思ったのですが、海風が冷たかったので思うような所に案内出来ませんでした。

でも夜、韓国料理屋をしている姉妹が、サムギョプサルを私の父親に、と、もてなして下さいました。

色々な人からもてなしを頂いて、いいんだろうかと思いつつも、嬉しい毎日です。

暖かくなったら、桜のきれいな所、夜景のきれいな所に案内したいなあ。

礼拝説教メッセージ音声:捨てられた石が(使徒4:8-22):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

イエスこそ人々から捨てられた隅の親石(詩篇118:22)であり、彼の名によって人は癒され、また彼の名以外には救いは与えられていない。
この名を信じる者には罪の赦しと、体のよみがえりと、永遠のいのちが与えられ、ペテロ達を大胆に造り替えた聖霊も与えられる。
これこそ、私達がなすべきメッセージである。
ペテロとヨハネは、祭司長達の前であろうと、群集の前であろうと、「イエスの名によってでなければ救われない」と同じく宣言し、誰の目にも明らかに生まれつき足が利か

なかった者は、癒された。
この出来事の故に、多くの人達は「神様を賛美し」、イエスを信じる者はこの素晴らしい事が人に起こるのだと希望を持ち、五千人以上が仲間に加わった。
悔い改めて立ち返るならそのような素晴らしいプレゼントが与えられるが、悔い改めるという事をあくまでしない者もいる。
サドカイ派の人達の主張は、復活もよみがえりもなければ、死後の裁きも無い。
彼らは今生きている現世こそ全てだと考えている故、いかに既得権を守り、保つか、という事に苦心している。
そのような主張は、何も彼らだけの専売特許ではなく、いつの時代でも、どこにでもいる。

多くの人達は癒しの御技に希望を持ち、神を賛美したが、彼らがそれを喜ばないのには訳がある。
自分達が「上」であるために、「下」である人間が必要で、
「あなたは神殿に入れない劣った者、私達は入れる優れた者」といった、目に見える比較対照が欲しかったのだ。
生まれつき足が利かずにいる者は、神殿に一生入れないまま癒される事無く、ずっと物乞いをしていて欲しかったのである。
下の奴はいつまでも下に留まって欲しい、と思って、伸びようとする者を叩く人間は、今も会社組織に珍しくない。

彼らは、その下の階級である元漁師のペテロとヨハネに、何も言い返す事ができず、互いに評議し合って言った。
「あのような著しい徴が全住民に知れ渡ってしまった。だから、どうしよう。」
ペテロ達がイエスの名を通して人間業ではない事が行われたのを見た事は見たものの、悔い改めるという事は、頭に全く無かった。
それどころか、多くの者達がこの二人を支持したから、もし彼らを鞭打ち処刑したりすれば、自分達のほうが悪人になる、といった事を心配しているのである。
そういうわけで、彼は何も出来ず、脅した上で釈放しようという結論に至った分けである。

イエスというお方の前に、人は真っ二つに道が分かれる。
それまでの自分の道を捨てる者、固持する者。
自分を固持する者は後に失い、捨てるものは後に得る。

ペテロたちは言った。
「神に聞き従うよりもあなたたちに聞き従うほうが神の前に義しいかとうか、判断して下さい。」
彼らは尋問されているようで、逆に尋問したのである。

イエスの名によって徴が現れているのは誰も否定しようが無い。
それでもなお、イエスを否定しているあなたたちは、神の前に正しいかどうか。判断して下さい、と。
神の国の大使として、その事を立派に提言したわけである。

ペテロとヨハネは元々お調子者で、カッとなりやすい、裏切った、弱く卑怯な者達であった。
しかし彼らのこのような一連の言動と、大胆さと、知恵とは、とても人間業ではない。
御霊に満たされれば、誰でも造り替えられるのである。

御霊に満たされ、イエス様を大胆に証しする皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

礼拝説教メッセージ音声:ヘタレなヤラレキャラでも(使徒4:1-14):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

サドカイ派が闊歩している神殿で、イエスキリストや死者の復活を語るというのは、十分逮捕されうる行為だったが、それでもペテロとヨハネは堂々とイエスをのべ伝え、五

千人以上を獲得した。
御言葉と聖霊にキャッチされているなら、イエスを伝えずにはおれない衝動に突き動かされ、そのような危険など霞んで見えたのである。
御言葉を伝える者は全てそうである。
そしてペテロ達は捕らえられて行った。

政治・宗教の上流階級であるサドカイ派は、民衆の捧げ物を独占的に管理し、思うままに税率を決め、時には搾取していた。
彼らが信望していたのはモーセ5書で、死者のよみがえり、死後の裁き等は彼らの信条には無く、現世的な生き方をしていたため、イエスキリストの教えとは真っ向から反す

るものだった。
彼らは健康や富が与えられる事が神の祝福であるとしていたため、生まれつき足が不自由で神殿の外で物乞いしている者は、神に呪われた者の典型だった。
そんな彼が、イエスの名によって癒され、永遠のいのちについて語られたのだから、サドカイ派からすればたまったものではない。

ペテロとヨハネは捕らえられ、そうそうたる面々の前に引きずり出されていった。
祭司長達とその一族、現代で言えば、大臣と教団長を足して割ったような地位の高い人達が召集され、大いに威儀を正し、
「一体何によってこのような事をしたのか」と、二人の元漁師に詰め寄ったのである。
普通の人間なら、それだけで震え上がるものだが、

彼らは物乞いであろうと大祭司であろうと「あなたがたが十字架につけたキリスト」を大胆に伝えた。
どんな立場であろうと、人間が救われる名前は、天の下において十字架につけられたキリストの他には誰もいないのである。
彼らがあまりに大胆に真理を語るので、祭司長達は何も言い返す事が出来ず、そして、彼らが無学な普通の人間であった事を知って驚いた。
彼らがそのように出来たのは、人間業ではなくまさしく聖霊の力による。

イエス様が本当によみがえったかどうかの根拠を見たい時は、どうしたら良いだろうか。
それは、福音書の前と後の弟子達を見ていると、良く分かる。

あれだけお調子者で3回も裏切ったペテロが、このように偉い人達の前で大胆に証しする事ができるように造り替えられているのだ。
もしイエス様が、有史以来、幾多もの現れては消えていった宗教の教祖の一人であったなら、死刑にされた時点で歴史の闇に葬り去られるものだし、ペテロのようなヘタレキ

ャラなど、裏切った時点で再び登場するわけが無いのである。
しかし主は、そんなヘタレなヤラレキャラさえも用いて、大胆な者へと造り変えて下さるお方である。

聖霊に満たされるにはどうすれば良いか。
それは、聖徒達の交わりから離れず、例え3度主を否んだとしても、再び立ち返るほどのしつこさが大切である。

イエス様にあくまで付いて行って大胆に造りかえられる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

 

礼拝説教メッセージ音声 言葉の力と用い方(創世記3章) :右クリックで保存

※ 途中の写真は、音声メッセージ中に話題に上った、ナゾの液体です。

神様ははじめに、天と地すべてをことば(ロゴス)によって生じさせた。(ヨハネ1:1)
世に向かってことばを投げ、光や陸地、生き物など、色々なものを生え出でさせた。
神のことばは種、世の全ては畑のようなもので、神はあらゆる良い言葉を蒔き、世は良き実を結ばせて来た。

言葉には力がある
言葉は唇から出る音声や文字に限らず、音楽でも、人の動作でも、物の配列でも、立派な言葉である。
私達の周りは、環境も、人間関係も、人生経験も、全て言葉によって成り立っていると言って過言ではない。
良い人、良い物でも、言葉によって印象が大いに汚らわしく歪曲されうるし、悪い人、悪い物でも、言葉によって印象が大いに清らかに歪曲されうる。
中睦まじい恋人であっても、何か一つの言動によって生理的嫌悪を覚え二度と見たくない程になるのは大いにあり得るし、ある人が意図を持って石ころを並べ、それを見た別の人が感動し涙する事も在りうる。

ことばの恐いところ−エデンの園における失敗
エバは食べてはならぬと命じられていたものを食べてしまい、人類に罪と死を招いてしまった。
なぜ食べたら必ず死ぬと言われていた木の実を、取って食べてしまったのか。
それはエバが、サタンの意図を持った言葉に聞き入り、元々エバの内に宿っていた主のことばが掻き乱され、その結果、自分の中に新しく生じてた「異質のいのち」の衝動に突き動かされてしまったからである。
「ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。」(2コリント11:3)

悪しき言葉に勝つには
この戦いは、能力の問題ではなく、誰のことばを信仰に混ぜ込み、何を思い巡らすか、という問題である。
私達の戦いは血肉のものではなく、御言葉の剣によって、闇の世界の支配者や、天にいる悪の諸霊を相手にするのである。(エペソ6:12)
主はサタンの誘惑を、全て御言葉で撥ねつけた。
そのように、エバもサタンの言葉が来た時、単に御言葉(ロゴス)をそのまま語れば良かったのだ。
そのためには「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」(コロサイ3:16)
御言葉の剣で撥ねつけるタイミングはいつか?それはサタンの言葉が来た、その時である。
エバのようにサタンの言葉を思い巡らしたりして「異質のいのち」という苦い根を生じさせてはならない。
私達という種袋の中を満たすべきは、御言葉であり、いつでも御言葉を取り出して振り蒔くべきである。

言葉の用い方
「舌は火です。舌は「不義の世界」です。わたしたちの体の器官の一つで、全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、自らも地獄の火によって燃やされます。」(ヤコブ3:6)
私達は語る唇に、よくよく気をつけなければならない。誰かの噂や悪口を言いふらす事は、偽りの印象を振り蒔き、滅びの実に栄養を与える事である。
「口数が多ければ罪は避けえない。唇を制すれば成功する。神に従う人の舌は精選された銀。神に逆らう者の心は無に等しい。神に従う人の唇は多くの人を養う。無知な者は意志が弱くて死ぬ。」(箴言10:19)
神の子なら神の子らしく、信仰の篭った御言葉である「いのち」を振り蒔き、いのちを刈り取るべきである。
神は世に向かって「なれ」と言って、その通り成った。
私達は神の子であるので、信仰を持って「なれ」と命じる事ができる。
御言葉をたっぷり蓄え、至る所、あらゆる機会で御言葉の種を蒔き、その唇の実であるいのちをたっぷり刈り取る皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

 

礼拝説教メッセージ音声:ノアの時代と今(創世記6:9-22):右クリックで保存

ノアは箱舟を建造した。
人類が創造された初期、地上ははなはだ堕落していたが、ノアは主から離れず、その邪悪な時代にあって御心にかなった生活をしていた。
彼は主から命じられ、箱舟を造った。
舟とは水の上を行き来する乗り物であるが、ノアは水の全くない場所に、誰の目にも見える巨大な舟を、親子で100年もかけて建造した。

人の目から見れば実に無意味でばかばかしい事である。
多くの人々の嘲笑を買った事だろう。
しかし後には、人々がその舟の中に入って救われたいと死ぬ程願いつつ水に溺れていく時が来たのだ。

現代の我々は、死からの勝利、よみがえり、永遠のいのちである主イエスを説いている。
ノアの時代のように、人々からは嘲られるかもしれない。
しかし私達が大真面目に福音を伝えるのは、イエスこそ私達を救う箱舟のようなお方であり、信じてそのお方の”からだ”の一部となる者は、後に来る火の裁きの時、いのちを得るからである。

この終わりの時代にあって、キリストのからだの各器官として、次々と永遠のいのちを生みだす事により、救いの箱舟を建造していく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

濡れた背中

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » パスター日記
執筆 : 
pastor 2011-2-18 16:30

早天のいつものメンバーは私含めて6人いるのですが、今朝も激しい雨と風という悪天候だったのに、一人も欠かさず来て下さいました。
会堂の椅子で、前かがみで祈るその濡れた背中からは、「ああ、来るのは大変だったけれど、これから神様と親しく交われる」という嬉しさがいっぱい滲み出ていました。
彼女らに嬉しさと祝福がいっぱいありますように!
 

礼拝説教メッセージ音声:待ち望んでいた安息(使徒3:17-26):右クリックで保存
韓国語通訳有 한국어예배

今回の癒しの徴は、かなりインパクトがあった。
およそ20年以上も毎日神殿の門前にいて施しを求めていた、神殿に行く者達にとってはいわば目印のような者が、癒されたのである。

今回のペテロのメッセージもペンテコステの時と同じで、預言者に予め語られていたキリストが中心である。
モーセは自分のような預言者が神によって立てられる事を示し、その彼に聞き従うよう命じた。
変貌山において天から語られた言葉も、モーセでもエリヤでもなく「彼(イエス)に聞け」と言っている。
モーセ以降、全ての預言者達が語っていた事が、キリストにあって実現した。
アブラハムの子らである私達は、信仰によって不完全なからだは完全にされ、罪は拭い去られ、主の御前から安息の期間が来る。

かの癒された者は、40年もの間、不完全な体のため、美しく装飾された「美しの門」の前に20年毎日運ばれても、決してその中に入ることは出来ず、捧げ物をする事も禁じられていた。
ずっと安息できていなかったが、イエス様を信じる信仰によって安息を得た。
イエスの名によって癒され、ペテロと一緒に門を入っていったその喜びは、いかほどであっただろうか。

第7日、すなわち安息日の祝いは、私達のために残されている。(ヘブル4:9-11)
安息に入るのは信仰の故であり、安息に入れない者は福音に信仰を混ぜない故である。(ヘブル4:2-5)

この足の不自由だった者は、創造のみわざが再び完成する必要があった。
みわざの完成は、イエスを信じる信仰によって成る。

不完全さは、キリストの名によって完全にされなくてはならない。
病は、キリストの名によって癒されなくてはならない。
貧しさや不足は、キリストの名によって満たされなくてはならない。

信じて、創造のみわざを完成させる皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!

横浜天声キリスト教会 copyright 2011

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