メッセージ - 201810のエントリ

あらゆるコンテストでトップになる人の性質(詩篇18:37-50)
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ダビデの人生を象徴的に表す詩の最終部分において、彼はそれまでして来た戦いについて、そして敵に対し、主がどのようにされて来たかを記している。

18:37 わたしは敵を追って、これに追いつき、これを滅ぼしつくすまでは帰らなかったのです。
18:38 わたしが彼らを突き通したので、彼らは立ちあがることができず、わたしの足もとに倒れました。
18:39 あなたは戦いのためにわたしに力を帯びさせ、わたしに立ち向かう者らをわたしのもとに、かがませられました。
18:40 あなたは敵にその後をわたしに向けさせられたので、わたしは自分を憎む者を滅ぼしました。

ダビデは敵を追いかけて、追いつき、滅ぼしつくした。
私達が戦う敵とは、血の通った人間ではなく、私達の家族や人生を、そして、信仰生活を脅かす、あらゆる主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊である。(エペソ6:12)
だからもし、家族や人生を、そして、信仰生活を脅かす人がいるとするなら、その「人」をそそのかしている主権や闇を攻撃するのであり、その人に対しては、その主権や闇から解放されるように執り成すべきである。

もし、「敵」が私達の内に潜む、罪、愚かさ、あるいは自堕落なくせや性質であるとするなら、ダビデのようにそれを攻撃し、追いかけ、徹底的に打ち砕き、二度と立つことができないまでに、滅ぼし尽くすべきである。
そうしないと、敵はすぐにまた体制を建て直して戻ってきて、悩まされるからだ。
戦いも、追いかける事もある種のしんどさがあるが、それを面倒臭がっていると、やがてはその敵は居座って、出て行かなくなってしまう。
しかし、しっかり敵を追いかけて滅ぼし尽くすならば、生涯安泰である。

ギデオンは、三百人で十万以上の敵に勝利する快挙を成し遂げた直後、それで安住せずに、そのまま休まず追撃しに行った。
彼らは同国民から気落ちさせるような事を言われても、追撃の手を休ませず、川を超え、敵が一息ついている所を急襲し、滅ぼし尽くした故に、敵は二度と立ち上がれなくなり、ギデオンの生きている間、ずっと安泰だった。(士師記6-8章)

ヨシュアも、邪悪な先住民たちを滅ぼし尽くすために戦った時、主は太陽や月の動きを止めてまでして、ヨシュア達を助けられた。(ヨシュア記10章)
私達も、自分の肢体に住みついている罪の性質を滅ぼし尽くす努力をし、追撃するなら、主は、太陽や月さえ動かす程の力で助けて下さるのだ!

18:41 彼らは助けを叫び求めたが、救う者はなく、主にむかって叫んだけれども、彼らに答えられなかったのです。
18:42 わたしは彼らを風の前のちりのように細かに砕き、ちまたの泥のように打ち捨てました。

ダビデは、主に叫び求めたら、主が答えて下さり、主は、天を押し曲げて降りてまでダビデを助けられた。
しかし、ダビデを攻めてきた敵は、主にむ向かって叫んでも答えがなかった。
この差は一体、何だろう。
これは、主と主の言葉に対する態度の差である。

詩篇18篇は、ダビデが特にサウルの手から救われた時に記したが、サウルはまさに、主に向かって叫んでも、答えはなかった。
彼は最大の危機に瀕した時、主に伺おうとしたが、祭司にも、預言者にも、夢によっても何の導きも得られなかった。
それはサウルは、祭司を虐殺し、預言者を軽んじ、常々主に対して不誠実だったからだ。
彼は、主からの答えがないと、一晩中悔い改めの祈りをする事もせず、その夜のうちにさっさと口寄せ女に導きを求に行ってしまった。
このような、主に対して不誠実な者は、いくら主を呼んでも答えは無い。
しかし、ダビデのように普段から主を恐れ敬う人は、この詩の通りに、主が盾となり、救いの岩となって下さり、彼が主に助けを呼び求める時、主は天を押し曲げて降りてこられ、速やかに救い出して下さるのだ。

18:43 あなたは民の「争い(リーブ)」からわたしを救い、わたしをもろもろの国民のかしらとされました。わたしの知らなかった民がわたしに仕えました。
18:44 彼らはわたしの事を聞くと、ただちにわたしに従い、異邦の人々はきて、わたしにへつらいました。
18:45 異邦の人々は打ちしおれて、その城から震えながら出てきました。

「争い(リーブ)」は競争、コンテストの意味がある。
スポーツや、あらゆるコンテストなどで、クリスチャンが優勝し、主に栄光を捧げている場面はよく聞くし、よく目にする。
主が彼らを勝利させて下さるのは、彼らが勝利した時に、彼らは主に栄光を捧げるという事を、主が知っておられるからであり、もし、自分の欲や名誉のために「優勝させて下さい」と願うなら、それは虫が良すぎる願いである。

18:46 主は生きておられます。わが岩はほむべきかな。わが救の神はあがむべきかな。
18:47 神はわたしにあだを報いさせ、もろもろの民をわたしのもとに従わせ、
18:48 わたしの敵からわたしを救い出されました。まことに、あなたはわたしに逆らって/起りたつ者の上にわたしをあげ、不法の人からわたしを救い出されました。
18:49 このゆえに主よ、わたしはもろもろの国民のなかであなたをたたえ、あなたのみ名をほめ歌います。
18:50 主はその王に大いなる勝利を与え、その油そそがれた者に、ダビデとその子孫とに、とこしえにいつくしみを加えられるでしょう。


ダビデは主に信頼し、主に守られるたびに主に感謝を捧げ、詩と賛美をつくって主を褒め称えた。
ダビデは、勝利すれば勝利する程、彼は主に栄光をささげ、主の栄光が増し加わって行った。それだから主も、ダビデをもっともっと勝利させて行ったのだ。
そうして、あらゆる外国人はダビデを恐れるようになり、そして、ダビデが仕える主を恐れ敬う心が、国々へと広がって行った。
私達も、主に信頼して歩むなら、相手がいかに強者であったとしても主は勝利させて下さり、まだ見ぬ敵さえ恐れさせ、ますます主の栄光のために用いられて行くのだ。

勉強というコンテストで、ビジネスというコンテストで、主から上を行かせてくださる皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

暴虐をもたらす姦淫の罪(2サムエル記11:16-27)
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2サムエル記11:16 ヨアブは町を囲んでいたので、勇士たちがいると知っていた場所にウリヤを置いた。
11:17 町の人々が出てきてヨアブと戦ったので、民のうち、ダビデの家来たちにも、倒れるものがあり、ヘテびとウリヤも死んだ。

創世記6:1 人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
6:3 そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」。
6:4 そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。
6:5 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
6:11 時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。
6:12 神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。

2サムエル記11:26 ウリヤの妻は夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のために悲しんだ。
11:27 その喪が過ぎた時、ダビデは人をつかわして彼女を自分の家に召し入れた。彼女は彼の妻となって男の子を産んだ。しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた。

レビ記18:2 「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしはあなたがたの神、主である。
18:3 あなたがたの住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない。またわたしがあなたがたを導き入れるカナンの国の習慣を見習ってはならない。また彼らの定めに歩んではならない。
18:19 あなたは月のさわりの不浄にある女に近づいて、これを犯してはならない。
18:20 隣の妻と交わり、彼女によって身を汚してはならない。
18:21 あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。
18:22 あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである。
18:23 あなたは獣と交わり、これによって身を汚してはならない。また女も獣の前に立って、これと交わってはならない。これは道にはずれたことである。
18:24 あなたがたはこれらのもろもろの事によって身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い払う国々の人は、これらのもろもろの事によって汚れ、
18:25 その地もまた汚れている。ゆえに、わたしはその悪のためにこれを罰し、その地もまたその住民を吐き出すのである。
18:26 ゆえに、あなたがたはわたしの定めとわたしのおきてを守り、これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行ってはならない。国に生れた者も、あなたがたのうちに宿っている寄留者もそうである。
18:27 あなたがたの先にいたこの地の人々は、これらのもろもろの憎むべき事を行ったので、その地も汚れたからである。
18:28 これは、あなたがたがこの地を汚して、この地があなたがたの先にいた民を吐き出したように、あなたがたをも吐き出すことのないためである。
18:29 これらのもろもろの憎むべき事の一つでも行う者があれば、これを行う人は、だれでもその民のうちから断たれるであろう。
18:30 それゆえに、あなたがたはわたしの言いつけを守り、先に行われたこれらの憎むべき風習の一つをも行ってはならない。またこれによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である』」。

詩篇51:3 わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。

詩篇32:1 そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。
32:2 主によって不義を負わされず、その霊に偽りのない人はさいわいである。
32:3 わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。
32:4 あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによって/かれるように、かれ果てた。〔セラ
32:5 わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ
32:6 このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にも/その身に及ぶことはない。

目に見えるものを根拠とする物理的論理計算と、共にいます主を根拠とする霊的論理計算(申命記1:21-33)
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エジプトでの奴隷状態から解放して下さった主は、最初、最短ルートで約束の地へと導き、あと山ひとつ超えれば約束の地だというカデシュ・バルネアに来た。

申命記1:21 見よ、あなたの神、主はこの地をあなたの前に置かれた。あなたの先祖の神、主が告げられたように、上って行って、これを自分のものとしなさい。恐れてはならない。おののいてはならない』。

この言葉を信じてそのまま進み行けば、約束の地はものに出来たのであるが、しかし民は別の提案を付け加える。

申命記1:22 あなたがたは皆わたしに近寄って言った、『われわれは人をさきにつかわして、その地を探らせ、どの道から上るべきか、どの町々に入るべきかを、復命させましょう』。
1:23 このことは良いと思ったので、わたしはあなたがたのうち、おのおのの部族から、ひとりずつ十二人の者を選んだ。

ところが、これが荒野の40年の元になってしまった。
彼らはモーセと同じ計算方法・評価基準ではなく、共にいます主を除外した、肉的・物理的な論理計算をしたのだ。

1:24 彼らは身をめぐらして、山地に上って行き、エシコルの谷へ行ってそれを探り、
1:25 その地のくだものを手に取って、われわれのところに持って下り、復命して言った、『われわれの神、主が賜わる地は良い地です』。
1:26 しかし、あなたがたは上って行くことを好まないで、あなたがたの神、主の命令にそむいた。

彼らは目に見えた相手と、自分とを比較した。共にいます主を除外して。
そればかりでない。

1:27 そして天幕でつぶやいて言った。『主はわれわれを憎んでアモリびとの手に渡し、滅ぼそうとしてエジプトの国から導き出されたのだ。
1:28 われわれはどこへ上って行くのか。兄弟たちは、「その民はわれわれよりも大きくて、背も高い。町々は大きく、その石がきは天に届いている。われわれは、またアナクびとの子孫をその所で見た」と言って、われわれの心をくじいた』。

彼らは天幕の中でつぶやいた。公にではなく、ひそひそと。
Num 13:32 そして彼らはその探った地のことを、イスラエルの人々に「悪く言いふらし(ディバー)」て言った、「わたしたちが行き巡って探った地は、そこに住む者を滅ぼす地です。またその所でわたしたちが見た民はみな背の高い人々です。
ディバーはダバル(言葉)の変形で、特にひそかな話、悪意ある話を意味する。
だから彼らは、公な言葉ではなくひそひそ話をして、あるいは、天幕の中で、あるいは、心の中で、ひそかにモーセに、カレブをばかにし、その言葉はありえないと、現実的でないと、彼らはつぶやいたのだ。
しかも、主は自分たちを愛して、共にいて共に戦ってあの地を占領させてくださる、ではなく、主は自分たちを憎んで、相手に渡すのだ、と、真逆の評価をした。

1:29 その時、わたしはあなたがたに言った、『彼らをこわがってはならない。また恐れてはならない。
1:30 先に立って行かれるあなたがたの神、主はエジプトにおいて、あなたがたの目の前で、すべてのことを行われたように、あなたがたのために戦われるであろう。
1:31 あなたがたはまた荒野で、あなたの神、主が、人のその子を抱くように、あなたを抱かれるのを見た。あなたがたが、この所に来るまで、その道すがら、いつもそうであった』。

モーセは、霊的論理で説き伏せようとした。すなわち、「神あり」の前提で。

1:32 このように言っても、あなたがたはなお、あなたがたの神、主を信じなかった。
1:33 主は道々あなたがたの先に立って行き、あなたがたが宿営する場所を捜し、夜は火のうちにあり、昼は雲のうちにあって、あなたがたに行くべき道を示された。

残念ながら彼らは信じなかった、ゆえに、荒野での40年が確定してしまう。

1:34 主は、あなたがたの言葉を聞いて怒り、誓って言われた、
1:35 『この悪い世代の人々のうちには、わたしが、あなたがたの先祖たちに与えると誓ったあの良い地を見る者は、ひとりもないであろう。
1:36 ただエフンネの子カレブだけはそれを見ることができるであろう。彼が踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えるであろう。彼が全く主に従ったからである』。

私達は、相手の富んでいる様を見てはならない。

詩篇49:16 人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。

人はどういうわけか、相手が富むと、恐れをなす性質がある。比較するから、卑屈になるのだ。

49:20 人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。

カナン人は、けものに等しかった。神を知らず、恐れなかったからだ。
しかし人は滅び失せる獣に等しい彼らを恐れた。そのため、40年の荒野での不便を体験しなければならなかった。

ダビデの時も同じである。
彼以外の大人たちは、ペリシテ人の体の大きさや武力に長けた様、武器や防具を見て、恐れ、40日の屈辱を味わい続けた。
ダビデはどう評価したか。

1サムエル記17:26 ダビデはかたわらに立っている人々に言った、「このペリシテびとを殺し、イスラエルの恥をすすぐ人には、どうされるのですか。この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか」。
17:36 しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。
17:45 ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。

大人たちはどう評価したか。
17:4 時に、ペリシテびとの陣から、ガテのゴリアテという名の、戦いをいどむ者が出てきた。身のたけは六キュビト半。
17:5 頭には青銅のかぶとを頂き、身には、うろことじのよろいを着ていた。そのよろいは青銅で重さ五千シケル。
17:6 また足には青銅のすね当を着け、肩には青銅の投げやりを背負っていた。
17:7 手に持っているやりの柄は、機の巻棒のようであり、やりの穂の鉄は六百シケルであった。彼の前には、盾を執る者が進んだ。
17:33 サウルはダビデに言った、「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです」。
17:38 そしてサウルは自分のいくさ衣をダビデに着せ、青銅のかぶとを、その頭にかぶらせ、また、うろことじのよろいを身にまとわせた。

主を考慮に入れず、ただ相手と自分を比較して、相手が持っているもの、自分が持っていないものを、ひがむ、卑屈な、奴隷根性。
これが、40という数字の放浪を呼び込む。
私達はヨシュアのように、カレブのように、ダビデのように、霊的な計算をはじき、大胆に進み出て、勝利し、祝福を勝ち取るものでありたい。

従順という要塞を打ち破る武器(詩篇18:30-36)
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18:30 この神こそ、その道は完全であり、主の言葉は「真実:ツァラフ」です。主はすべて寄り頼む者の盾です。

「真実」と訳された語ツァラフは、元々「金属等を溶かす、ためす、純粋にする」の意味である。
神の御言葉は、人がどれほど試したとしても、一切不純なものが出てこない、完全に純粋なものである。

銀が、土の炉で何度もためす内に、どんどん純化され、美しさと価値を増して行くように、私達も、私達という「土の炉」で御言葉をよく咀嚼し吟味して行くなら、御言葉は私達の内でどんどん光を放ちって行く。
そして神の目の前に、純粋さ、高価さを増して行く。

そのような人が宣言する御言葉には、剣のような鋭さと恐ろしさがあり、力と権威があり、そして、愛と憐れみがある。
御言葉を信じ、その通り行う時には、癒やしが起こり、物事の解決や必要の満たしが起こり、奇跡も起きる。
主の言葉こそが、たとえ世が滅んだとしても決して滅びることのない、永遠を耐えるものであり、その素晴らしさと尊さを知ったダビデは、以下のように続ける。

18:31 主のほかに、だれが神でしょうか。われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。

まさにそうである。ひと度、良いものを味わってしまったなら、不純なものには戻れなくなってしまう。
この御方の完全な力と愛、憐れみに、ひと度ひたされてしまったなら、もはや、他に何かを頼りにする必要性を覚えることがなくなり、ただ主だけを求めるようになって行くのだ。

18:32 神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。
18:33 神はわたしの足をめじかの足のようにされ、わたしを高い所に安全に立たせ、
18:34 わたしの手を戦いに慣らされたので、わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。

これらの優れた力と武器は、御言葉に服従した人のものである。

2コリント10:4 わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、
 10:5 神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、
 10:6 そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。

この箇所に「服従」という言葉が繰り返し出てきたように、服従こそ、要塞をも破壊する力ある武器だ。
それは、神の知恵に逆らう者、すなわちサタンに対抗し、敵から来るあらゆる災いや呪いを打ち砕く。

この「服従」が完成した時、ダビデが言ったように、主が、その彼の足を雌鹿のようにし、彼の腕を青銅の弓を引くようにされる。
雌鹿は、岩山を難なく飛び跳ね登って、あっという間に高い所へ上って行くが、同じように、主は、主の御言葉に服従する人の人生を、いかなる岩場をもたやすく乗り越える力を与えて下さり、決して揺るがされない土台に立たせ、高い所へと導いて下さる。
青銅の弓を絞るには、かなりの力が要るばかりでなく、ターゲットに当てるコントロール力も必要である。
「罪」(ハマルティア)の元々の意味は「的外し」であるが、主に信頼するなら、青銅の弓を引けるほど力強くして下さるばかりでなく、的を外して来た罪の歩みを卒業させ、きれいに的を射抜くような、真実な道を歩ませて下さるのだ。

18:35 あなたはその救の盾をわたしに与え、あなたの右の手はわたしをささえ、あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。

主を頼りとしている人の人生は、救いの盾を得ている状態であり、その盾はたとえ目で見えなくても、確実に主のささえがその人を守っているのだ。
主を頼りとしない人は、盾なしの、丸腰で人生を戦っているようなもので、ただ自分由来の資源だけで戦わなくてはならない。

18:36 あなたがわたしの歩む所を広くされたので、わたしの足はすべらなかったのです。

御言葉に従順して行くなら、その人生は、広い所へと導かれていく。
強い敵が跳梁跋扈している所では、堂々と歩けず、狭いところで縮こまっていなければならないが、日々、御言葉に服従し、その人が構築してしまった小さな要塞を日々、打ち破って行くなら、敵はどんどん制圧され、どんどん自由な領域が拡大して行くのだ。

御言葉を蓄え、従順という武器をもって、あらゆる敵に立ち向かい、勝利し、力も知恵も富も増し加わって行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

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