メッセージ - 20210217のエントリ

詩篇 講解説教

何のために主の御名は近くにあるのか(詩篇75篇)

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詩篇75篇表題『聖歌隊の指揮者によって、「滅ぼすな」というしらべにあわせてうたわせたアサフの歌、さんび』
 
この詩篇では、主は、悪しき者がいつまでも栄えてほしいままにふるまう事は許さず、やがて必ず公正な裁きをして下さる、という事を示している。
続く76篇の表題は、70人訳聖書では「アッシリヤについての歌」とあるため、この75篇も、ヒゼキヤの時代のアッシリヤが、傲慢にも主を侮ったものの、たった一晩で主に打ち砕かれた事を背景としているのかもしれない。
 
預言者ハバククも、悪い者がいつまでも力を振るって栄え、弱い人々がいつまでも虐げられている状況について、主に叫んだ時、主は答えられた。
 
ハバクク2:2 主はわたしに答えて言われた、「この幻を書き、これを板の上に明らかにしるし、走りながらも、これを読みうるようにせよ。
2:3 この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。
2:4 見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる。
2:5 また、酒は欺くものだ。高ぶる者は定まりがない。彼の欲は陰府のように広い。彼は死のようであって、飽くことなく、万国をおのれに集め、万民をおのれのものとしてつどわせる」。
 
悪い者が永遠に栄え、弱い者が永遠に虐げられ続ける、という事は、ない。
主のさばきは、必ず来る。
世の歴史でも、悪がいつまでも永遠に栄えた歴史は、無かった。
 
その理由は、まさに、裁き主である神が、生きておられるからだ。
もしも神がいない、とするなら、この世は、騙しにおいて、卑怯さにおいて、腕ずくにおいて、強い者が、延々と延々と栄え続け、弱い人々は、延々と虐げられ、搾取され続ける、という世界がずっと広がり、酷い状況になっているはずだが、そうなっていないのは、悪を裁かれる神が生きておられるからだ。
神を知らない世の人も「正義は必ず勝ち、悪は必ず滅びる」と言っている通りである。
 
もし、悪しきものが延々とはびこっている、とするなら、その国民全体が「神はいない」とする共産主義国であったり、偶像崇拝国であったりする場合だ。
主は、そのような、主を呼び求めない人には、救いの御手を伸ばしようがない。
しかし、主に救いを求める人に、主は確かに答えてくださる。
 
そこで1節では、先取りして、主に感謝が捧げられている。
 
75:1 神よ、われらはあなたに感謝します。われらは感謝します。「われらはあなたのみ名を呼び」、あなたのくすしきみわざを語ります。
 
この「われらはあなたのみ名を呼び」の部分は、新共同訳では「御名はわたしたちの近くにいまし」、KJVでは「thy name is near」である。
 
そう、主の御名は、近くにあるのだ。
 
何のために、主の御名は、近くにあるのか?
 
それは他でもない。
 
私達が、すぐに、主の御名を呼ぶため、である。
 
アッシリヤの王セナケリブが、主に対して驕り高ぶり、神の民イスラエルに向かって傲慢な汚しごとをわめき散らした時、また、傲慢な手紙を送りつけて来た時、ヒゼキヤ王はそれをそのまま、主のもとに差し出し、主の御名を呼んで祈った。
すると、主が動いて下さり、アッシリヤの軍勢18万5千人を、たった一晩で全滅させた。
主は、主の御名を呼び求める人に答え、助けを送ってくださるが、神に逆らう者に対しては、裁き主として現れてくださる。
 
2節以降、主こそ裁き主であり、そのさばきの時と方法は、主が定めておられるという事が、記されてある。
 
75:2 定まった時が来れば、わたしは公平をもってさばく。
 
主は、定めておられる。御手を動かして裁かれる時を。
 
75:3 地とすべてこれに住むものがよろめくとき、わたしはその柱を堅くする。〔セラ
 
地が揺れ動く、という時がある。
それは実際に、地震という形かもしれないし、あるいは、悪辣な勢力が、地を轟かすような形で世を動かしている形であるかもしれない。
しかし、御言葉をもって天地の基を造られた主は、御言葉という「柱」でもって、揺れ動く地に対しては秩序を固く立て、地を轟かせている悪辣な者達は、平定してくださる。
 
75:4 わたしは、誇る者には「誇るな」と言い、悪しき者には「角をあげるな、
75:5 角を高くあげるな、高慢な態度をもって語るな」と言う。
 
高慢な者は、何も起きないと、どんどんつけあがって高慢になって行く。
それが、強力な国家の元首であったりするなら、世の人は、全く手がつけられない。
しかし主が「誇るな」「角をあげるな」「高慢な態度をもって語るな」と命じられるなら、その者達は、退場せざるをえない。
次のように書いてあるとおりである。
『神は時と季節とを変じ、王を廃し、王を立て、知者に知恵を与え、賢者に知識を授けられる。』(ダニエル2:21)
 
75:6 上げることは東からでなく、西からでなく、また荒野からでもない。
75:7 それはさばきを行われる神であって、神はこれを下げ、かれを上げられる。
 
「上げること」(ルーム)は、高く上げる事の意味で、KJVではプロモーションと訳されている。
プロモーションといえば、自分のものを広く知らしめる活動、として知られているが、他にも、進級や昇進などの意味がある。
私達を世においてプロモーションし、高く上げて下さるのは、主である。
 
その、高く上げる事は、東からでなく、西からでなく、また、荒野からでもない。
東(モーツァー)の原意は、出ること、噴出することで、そこから、太陽が出てくる東となった。
西(マアラーブ)は、陰る事の意味から、太陽が沈む西を意味するようになった。
荒野(ミドバル)は、KJVでは「南」と訳されており、牛を放牧する地、荒野の意味がメインである。
私達を高くする事の源は、東西南北のどこからでもないし、また、世の何者によってでもない。ただ、主が源である。
高く上げられる事も、低くされることも、またプロモーションも、全てをさばかれる、主から来るのだ。
 
75:8 主の手には杯があって、よく混ぜた酒があわだっている。主がこれを注ぎ出されると、地のすべての悪しき者は/これを一滴も残さずに飲みつくすであろう。
 
杯は、聖書では多く登場するキーワードで、主に、災いや裁きを意味している。(エレミヤ25章、黙示録14:10,16:19)
主は、地のすべての悪しき者に、さばきの杯を飲ませる。
 
イエス様は、十字架につけられる前の晩、
「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ26:39)
と祈られた。
 
イエス様は、父なる神から与えられた災いとさばきの杯を、私達の代わりに、飲み尽くして下さった。
それは、全て罪を持つ全人類の、身代わりとして、十字架にかかられるためであり、そのイエス様を、救い主として信じる人は、もはや、裁きにあう事はなく、永遠のいのちを得て、救われるのである。
 
75:9 しかしわたしはとこしえに喜び、ヤコブの神をほめうたいます。
75:10 悪しき者の角はことごとく切り離されるが/正しい者の角はあげられるであろう。
 
作者はこの詩篇の最後にも、主は救いを与えてくださる事の故に、先取りして、賛美を捧げている。
 
主の御名は、近くにある。
 
なんのために近くにあるのか?
 
それは、いつでも、どこでも、私達が呼び求めるため、であった。
 
悪がはびこる場面に出くわす度に、また、悪しき者が政権を取って、不当な政治を行っているのを見聞きする度に、主の御名を呼び求めるのだ。
主は、公正に裁かれるお方である故に。
 
イエス様に贖われ、救われ、王かつ祭司とされた者として、積極的に主を呼び求め、私達の身の回りに、そしてこの時代に、世界に、主のさばきと助け、そして、主の支配を呼び込む皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
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