礼拝説教メッセージ音声:イエスを前に分かれる人々(ヨハネ19:12-15):右クリックで保存
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人はイエス様の前に、色々なタイプに分かれる。
ピラトは何とかしてイエスを解放しようとし、イエスについて「ユダヤ人の王」という言葉にこだわった。
彼は確かにユダヤ人の王と認めるのだが、周りの人や空気に負けて、この王を死に定め、人殺しを解放してしまった。
ユダヤ人は、イエスがどういうお方であるのかを見、彼が自由に行動されるのを嫌がり、歯軋りし、その者の死を声高に叫ぶ。
彼らは「自分を王とする者は皇帝に逆らう」(ヨハネ19:12)と言った。
自分が自分の王座を下りる、という所までは聖書的であるが、その王座に座っていただく者が問題である。
座っていただく者がこの世の王であると、ユダヤ人達がそうであったように、その王に搾取された挙句、滅ぼされてしまうのである。
またヘロデ・アンティパスはイエスに出会って大いに喜んだが、それは彼が徴を成す事で有名で、興味があったからである。(ルカ23:6-12)
ヘロデは色々と興味本位で質問したり促したりするが、それに対するイエス様の応答は、何もせず黙っている、というものであった。
結局ヘロデがイエスに成した行動は、兵士達と一緒に侮り、なぶり、けばけばしい衣を羽織らせて放り出す事だった。
イエス様を単に興味本位で質問し、はでに飾り立てたり、面白おかしくなぶりものにする者たちに対しては、イエス様は何の反応もされず一言も発しないのである。
イエスはこの場面においては弱々しくみっともなく、誰も「この人の仲間です」と言いたくないような状況であるが、イエスは王の王、主の主、誰も近づく事のできない光の中に住まわれるお方であり、このお方を主とする者は力を得、勝利を得る。
弟子達はこの時点、逃げ隠れして震えていたが、十字架後のイエスによって大胆にイエスを証し、力を得た。(使徒4章)
私達が留まるべきは、イエスの名の内である。
十字架の言葉に留まる者は一時敗北のように見えるが、十字架の向こうには復活と勝利、栄光がある。
イエスの名によって癒しと徴と奇跡を行い、大胆に神の言葉を語るみなさんでありますように。