十字架上の平和に溢れた一面(マルコ15:40-41) 礼拝説教メッセージ音声 한국어예배 韓国語通訳有

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イエス様の十字架の場面において、ヨハネ以外の弟子達は皆散り散りになってどこかへ隠れていたものの、多くの女達がその場に立ち会っていた。

当時、女性達は低い地位にあったため、イエスの知り合いだという事で捕らえられさえしなかったが、彼女達は最後の立会いができる幸いがあった。
キュレネ人シモンは実際に十字架を背負ったが、彼女達は”イエス様と共に来てただ泣いている”という、彼女達にしか負えない十字架を背負い、イエス様が本当に孤立する事からイエス様を守ったわけである。

十字架上において、イエス様は母マリヤにヨハネを示して「子である」と伝え、ヨハネに対してマリヤを「母である」と示し、イエスが天に昇られた後の母マリヤをよろしく、と、ヨハネに委ねた。(ヨハネ19:25-27)
神様が、12弟子の中で唯一ヨハネを十字架の場面に立ち会う事が出来るように配剤したのは、もちろん彼が十字架の様子を記すためでもあったが、この母マリヤを養うためでもあった。

ヨハネは続けて、イエス様の最後の様子を平和に満ちた文面で記している。
別の福音書は、苦しみ、叫びの後に息を引き取った様子が書かれてあるが、ヨハネはむしろ、思いやりと平安に満たされた全く別の視点で書いた。
イザヤ53章にてイエス様が苦しみの後をみて満足する事が預言されている。
十字架のイエスを描く絵画は多くあり、多くは苦しみにゆがんだ暗い表情をしているが、十字架の上で平安に満ちた表情を描いても良いのでは、と思う。
彼の祈り、願い、情熱、苦しみ、全てが焼き尽くす捧げ物の煙として御父の前に立ち上り、御父はそれによってなだめられ尽したため、最後に「成し遂げられた」と言って、満足と平安の内に逝ったのである。
ヨハネにおける最後の言葉は「成し遂げられた」であるが、「I paid all」(全て支払い尽くした)という英語の珍しい訳もある。

福音書は4つあるが、4人の視点から見る十字架の場面は非常にバラエティに富み、ヨハネが立ち会って福音書を書いてくれた事によって、この平和と思いやりに満ちた十字架の場面を、我々は知る事が出来たのは、実に、女性達やヨハネをその場に配置してくださったためである。
私達も取るに足りない存在かもしれないが、私達一人一人に与えられた場において、与えられた賜物を用い、それぞれにしか表現できない福音を伝える者でありたい。

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