くすぶる灯心を消さない − 聞かずに裁かず、自分の目から梁を取り除く(ヨブ記18章)

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くすぶる灯心を消さない − 聞かずに裁かず、自分の目から梁を取り除く(ヨブ記18章)

メッセージ音声

【概要】

ヨブ記18章のビルダデの2回目の論説を通し、相手を聞かずに裁く危険と、自分の目から「梁」を取り除くことの大切さを学ぶメッセージです。

【聖書箇所】

  • ヨブ18:1-4

  • ヨブ18:5-21

  • ヨブ8(言及)

  • マタイ7:1-5

  • ヤコブ1:19-20

【戒めの言葉】

  • 口で語るより、まず耳で聞くことから始めなさい。

  • 自分は100%正しく、相手は100%間違っているという思い込み(梁)を取り除きなさい。

  • 人の怒りは神の義を実現しない。怒りによって自分の土台を揺るがし、焼き壊してはならない。

【勧めの言葉】

  • 聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。

  • 相手の目のちりを取り除く前に、まず自分の目の梁を取り除きなさい。

【悔い改めの促しの言葉】

  • 人の置かれた悪い状況を見て、その人が悪いからだと決めつけて裁くことをやめ、イエス・キリストにあって憐れみを求めなさい。

  • 責め立てる口は悪魔サタンの業であることを認め、悔い改めなさい。

【詳細(AIによる文字起こし)】

本日恵みをいただく御言葉はヨブ記18章です。まず1節から4節までを宣言いたします。

「シュアハ人ビルダデが答えた。いつになったら、あなたがたはその話にけりをつけるのか。まず理解せよ。それから語り合おうではないか。なぜ私たちは獣のように見なされ、あなたがたの目に愚かに見えるのか。怒って自分自身を引き裂く者よ。あなたのために地が見捨てられるだろうか。岩がその場所から移されるだろうか。」

新しい一週間が始まりました。皆さんもこの月曜の朝、ヨブ記から恵みを得ていただきたいと思います。ヨブ記から恵みをいただくのは難しいと思っている方も多いかと思いますが、特に人を指導したり教えたりする立場にある私たちには、たくさんの教訓と恵みが備えられています。

今日の箇所18章は、シュアハ人ビルダデによる2回目の論説です。ここで不思議なのは、2節、3節でビルダデがヨブ一人に対してではなく、そこにいる複数の人々に対して「あなたがた」と複数形で呼びかけていることです。「いつになったら、あなたがたはその話にけりをつけるのか」。ビルダデの1回目の論議は8章でしたが、そこでも同じように「いつまで」という言葉で始めています。

ビルダデは、ヨブを含めそこにいる複数の人々に対して、話がなかなか決着しないことにイライラしています。彼はこの忌まわしいやり取りを早く終わらせたいと結論を急ぐあまり、そこにいる人々をターゲットにして、このイライラをぶつけるのです。

「まず理解せよ、それから語り合おうではないか」。イライラが募るあまり、相手を切り捨てるような言葉を発してしまい、かえって議論を複雑化し、長期化させてしまうという罠が、ここから見て取れます。特に教会に来ていつまでもぐずぐずと言う人に対し、こちらの時間やリソースが奪われていくように感じるとき、この罠に陥りやすいのです。

相手がもっと激しくなってしまうなら、まず私たち自身がクールダウンする必要があります。イライラして怒りが込み上げると、まるで水しぶきがかかっただけで怒り、自分の家の壁や柱を蹴って、かえって火事を起こしてしまう馬のような状態になってしまいます。

私たちがヨブ記18章まで学んできた第一の教訓は、口を用いるよりも、まず耳を用いるべきだということです。まず口で喋るよりも、聞くことから始めるべきなのです。

このビルダデがいかに聞いていなかったかは、5節以降を見るとわかります。18章は実にシンプルな構造で、1節から4節が呼びかけ、5節から21節が悪人が受ける因果応報について延々と語られています。

5節を見ますと、「まことに、悪しき者の光は消え、その火の炎も輝くことはない。彼の天幕のうちでは光が暗くなり、彼の上のともしびは消える。彼の力強い歩みは狭められ、自分のはかりごとが彼を倒す。」しかし、もうすでに何度も見ている通り、神様はヨブに対して「これほど悪から遠ざかっている者を見たことがあるか」と、サタンに向かって自慢されたほど、ヨブは敬虔な人でした。その人に対して「悪しき者の光は消え」と言っているのです。東大を卒業した人に「2×2は4なんだよ」と言っているようなものです。

神様は最後の章においてもヨブに軍配を上げられ、ヨブがとりなしをするなら、この3人の友人たちは赦されると言われました。初めからヨブを悪人と決めてかかり、ボタンの掛け違いを最後まで続けていく過ちを犯しているのです。

8節以降では「彼は自分の足で網にかかり、網の目の上を歩き回る。罠は彼のかかとを捕らえ、仕掛け網は彼を捕まえる」と、悪人は罠にかかって捕らえられると言っています。議論が難しいときは動詞に注目するとよくわかります。ヘブル語は動詞の言葉だと先生がおっしゃっていました。

11節から13節の動詞を見ると、悪人は「おびえ」「追い立てられ」「衰え」「災いに遭う」とわかります。14節から20節を見ると、悪人の家も子孫も、ついには子々孫々もいなくなり、消え失せると言っています。長文読解は動詞に注目すれば、どんなに長くてもまとめてわかるようになります。

そして21節、「まことに、これが不正を行う者の住まい、これが神を知らない者の住む場所である。」ヨブに対して、また複数の聞いている人々に対して言っているのでしょう。ヨブは何度も「私は不正をしてこなかった」と言っているにもかかわらず、なお悪人と決めつけています。ヨブはついさっきまで、食ってかかるような口調ではあっても神様と向き合っていたのに、「神を知らない者」呼ばわりされています。結局、相手の言うことを聞いていなかったのです。

私たちに必要なことは何でしょうか。冒頭で宣言した山上の垂訓、マタイ7章1節から見ますと、「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたが量るその秤で、自分にも量り与えられます。また、なぜあなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、あなたの目からちりを取り除かせてください、と、どうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からちりを取り除くことができます。」

イエス様が言われた「梁」とは、小さな縫い針ではなく、家を支える最も太い柱のことです。ヨブ記で物事をややこしくしている梁とは、「自分は正しい」という思い込み、「相手は間違っている」という思い込みです。そしてまた、怒りやイライラという梁です。これは無意識的に相手が悪いと決めてかかっている前提条件が、物事を見えなくさせている梁なのです。

ヤコブの手紙1章19節、20節にはこうあります。「私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。人はみな、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。人の怒りは、神の義を実現しないのです。」人の怒りは、むしろ自分の家にあたり散らし、土台を揺るがし、火で焼き壊してしまいます。

もし聞くことに早く語るに遅いことを身につけていなければ、行く先々で問題を巻き起こしてしまいます。子どもに対しても、教会に来てぐずぐず言う人に対してもそうです。河合先生が金曜日の証のときに語られました。人が全く来ない教会に、やっと来た人が一日中ぐずぐず言うのを、ある牧師が「ああ、そう。うん、そう」とただ聞いていたら、その人が街中に「あそこの牧師さんは素晴らしい」と触れ回り、誰もいなかった教会が人でいっぱいになったという証がありました。

本当に私たちは、聞くのに早く、語るのに遅くありたいものです。まず聞かないという梁、自分は100%正しく相手は100%間違っているという梁、人の怒りという梁を、よく取り除くべきです。

今日学ぶべきことはただ一つ。自分の目の中にある梁をまず取り除きなさいということです。そうすれば、ようやく相手の目のちりを取り除くことができるとイエス様はおっしゃいました。自分の目に梁があると、相手の目からちりを取り除こうとして、目ごと引っこ抜かんばかりの勢いになってしまいます。

人を養育し、立て上げる働きをする私たちです。まず自分の目から梁を取り除いていただき、よく見える目になって、本当の意味で多くの人を立て上げていく皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福いたします。

(祈り)主よ、あなたは私たちの忌まわしい判断力をことごとく直しなさいと教えてくださり感謝します。私たちの節穴の目は、人の出している結果を見て「悪いから、その人がやってきたことはすべて悪いに違いない」と判断してしまいます。しかし、私たちにまつわりつくすべてのものは、必ずしも私たち自身の過ちの対価ではないことを知るべきです。なぜなら人は神に似せて造られ、神様は「非常に良かった」と宣言してくださった方だからです。

人が置かれている状況が悪いからその人が悪いのだ、と判断する立場に私たちはいません。責め立てる口はキリストによるものではなく、悪魔サタンの手先による業です。自分も他人も責め立てず、「あなたの憐れみが必要です」と祈る私たちでありますように。罪に定められるべきは、その人を陥れた悪魔サタンそのものであることを、イエス様は十字架を通して教えてくださり感謝します。すべてのことをキリストにある真の知識で判断し、捉えることができますように。私たちの王であり主であるイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【結論】

ビルダデはヨブの言葉を聞かず、「自分は正しく相手は悪人だ」という思い込みと怒りの「梁」を抱えたまま裁き続けました。私たちも、人の結果や状況だけを見て裁くのではなく、まず自分の目から梁を取り除き、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くあることが求められます。責めるのではなくキリストの憐れみに拠り頼み、真の知識をもって人を立て上げる者となりましょう。