わが魂よ、主をほめたたえよ − 主がよくしてくださったことを数える(詩篇103:1-5)

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わが魂よ、主をほめたたえよ − 主がよくしてくださったことを数える(詩篇103:1-5)

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【概要】

詩篇103篇1-5節を中心に、落ち込みや不安を語りかけてくる「魂」に対し、ダビデのように「わが魂よ、主をほめたたえよ」と命じ、主がよくしてくださったことを一つ一つ数えることで、暗い人生から鷲のように力強く新しくされる歩みへと変えられる秘訣を学ぶメッセージです。

【聖書箇所】

  • 詩篇103:1-5

  • 詩篇102:6-7

  • 使徒16:16-26

  • Ⅱ歴代誌20

  • Ⅱコリント10:4-5

  • イザヤ40:31

  • Ⅱコリント4:16

【慰めの言葉】

  • 主はあなたのすべてのとがを赦し、すべての病を癒やし、命を墓の穴から贖い出してくださる。

  • たとえ外なる人が衰えても、内なる人は日々新しくされていく。

【励ましの言葉】

  • 主にできないことは何一つない。主は良くしてくださる方であり、必要を満たし、癒してくださる方である。

  • 主を褒め称えることは武器であり、力である。嫌な気分のときこそ主を賛美しよう。

  • 主がよくしてくださったことを一つ一つ数えれば、目の前の困難が小さくなっていく。

  • 主の恵みを数えて共に歩むなら、あなたの一生は良いもので満たされ、鷲のように翼を広げて高く登ることができる。

【戒めの言葉】

  • 魂(鬼が云々してくる座)の呼び声に従って怠けたり、人を憎んだりしてはならない。

  • スマホや動画に四六時中、時間・心・若さを奪われてはならない。

  • 神よりも自分を上に立て、神の良さよりも自分の悪さを上にする高ぶりに陥ってはならない。

  • 出エジプトのイスラエルの民のように、主がよくしてくださったことを忘れ、目の前の現実ばかり嘆いてはならない。

  • とがの許しや和解がないまま癒やしを祈っても効果はない。まず相手との仲直り、罪の許しが優先されるべき。

【勧めの言葉】

  • 「私」という主語を「イエス様が」という主語に転換しなさい。

  • 御霊に導かれた御言葉を魂に向かって宣言し、魂と自分を一体化させてはならない。

  • 神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、キリストへの服従によって打ち砕きなさい。

  • 魂に向かって命令し、繰り返し「わが魂よ、主を褒め称えよ」と語りかけよう。

  • 目の前の現実に文句を言うのではなく、過去に主が良くしてくださったことを思い起こそう。

  • 不安や思い煩いが来たら、御言葉で縛り、切り払おう。

【詳細(AIによる文字起こし)】

本日恵みをいただく御言葉は、詩篇103篇の1節から5節です。まず初めに1節と2節を宣言いたします。「詩篇103篇 ダビデによる。わが魂よ、主をほめたたえよ。私の内にあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わが魂よ、主をほめたたえよ。主がよくしてくださったことを何一つ忘れるな。」アーメン。

ハレルヤ、愛するイエス様。わが魂に今朝も言い聞かせます。「わが魂よ、主をほめたたえよ」と。今、我らは暁を呼び覚まし、眠い目をこすりながら、その眠気を足の下で踏みにじり、あなたをほめ称えるこの場所、このYouTube回線を開きました。主よ、どうぞこの一人一人が主をほめ称え、主がよくしてくださったこと、主が準備してくださった素晴らしい天国への道を今日も歩ませてください。取り次ぐ者の唇を清め、聞く一人一人の耳を清め、あなたの御座から流れ滴る命の御言葉を豊かに受け尽くすことができますよう助け導いてください。アーメン。これからの一切をあなたの御手にお委ねして、愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン、ハレルヤ。

詩篇103篇はとても有名で、本当に好きな方も大勢います。前回は本当は今日の箇所までやろうとしていましたが、たった1節で何十分も費やしてしまいました。この直前の102篇では、ずっと悲しむ人、魂が気落ちした人の祈りでした。その人は自分の魂に向かって「私は、私はただ惨めな私」と、今こういう状況にある私を嘆くのです。「私」で満ちていたのが詩篇102篇でした。自分の中で堂々巡りをしていると、どんどん気分が落ち込んできます。目の前の現実、将来の不安、あるいは魂の中に流れてくる言葉。駅に行くと電光掲示板に言葉が流れていますね。そのように魂の中に流れてくる言葉をずっと眺め続けていると、この102篇のように落ち込んでしまうのです。

でも103篇では、私が私の魂に向かって「魂よ、主をほめたたえよ」と呼びかけています。これが、暗い気分から明るい気分に転換するためのコツです。「私」という主語を、「イエス様が」という主語に転換する。これが暗かった魂が明るくなるコツなのです。

この魂、ヘブライ語ではネフェシュ、ギリシャ語ではプシュケーと言います。もともとどういう意味かというと、私たちの思い、心、感情、気分、そういった諸々が宿っているのがこの魂というところです。その気分が宿っている座である魂に向かって呼びかけるのです。イエス様に心を向けなさい、イエス様を見なさいと。今目の前にいる憎たらしいあいつを見るのではなく、そのように人に嫌な思いをさせている、その裏で働く悪霊・悪魔サタンをイエス・キリストの名前で縛る。そういう見方で見させてくださいと魂に言い聞かせるのです。

この魂は、だいたい霊的に良くないことを語りかけてきます。「魂」という漢字を思い描いてください。「云々する鬼」と書きますね。魂は鬼が云々と語りかけてくるところなのです。現実を見て「もうダメだ、何もしたくない」と語りかけてくる。「あの人、今ニヤッと笑っただろう。お前のことをあざ笑っているんだぞ」と語りかけてくる。「今の現状、どうせ変わらないよ。楽して生きて、あいつにやらせなよ」と、魂の中で鬼が云々してくるのです。この呼び声に従ってはなりません。

この魂には感情が伴ってきます。感情という色をつけて、自分自身を塞ぎ込ませよう、怠けさせようと塗り込んでいくのです。インスタや動画に脚色や効果音をつけられるように、魂も現実にいろいろと脚色をつけてくるのです。例えば、旦那さんが最新式のバイクを見ているのに、その手前に若い女の子が通っていて、「なんで若い女の子を見てるの」と、魂が鬼の云々で脚色して旦那さんを憎ませる方向に仕向けてくる。家庭を壊そう、今日一日を嫌な気分で塗り込もうとする鬼の云々があるのです。

魂と自分を一体化させてはなりません。御言葉は諸刃の剣よりも鋭く、魂と霊の間を切り分ける力があります。ですから御霊に導かれた御言葉を宣言してください。悪霊・悪魔サタンは魂に向かって四六時中云々してきます。スマホから次から次へと動画が流れては消え、それをじっと見続けていると、時間が奪われ、エネルギーが奪われ、若さが奪われ、健全な心が泥棒されていってしまうのです。

ダビデは、魂の言いなりになるのではなく、「わが魂よ」と命令したのです。もう一度読みます。「わが魂よ、主をほめたたえよ。私の内にあるすべてのものよ、聖なる御名をほめたたえよ。わが魂よ、主をほめたたえよ。主がよくしてくださったことを何一つ忘れるな。」2回言っていますね。「魂よ、主は良いお方だ。あなたは何もできない。主は何でもできるお方だ。私は今、本当に不健康な病気の状態。主は癒し主だ。」主にできないことは何一つありません。103篇は喜びと希望に満ちております。

私たちの戦いは、この魂に対する戦いと言っても過言ではありません。この魂を打ち破る武器、それは要塞をも打ち破る力があり、それは御言葉であり、また従順・服従です。第二コリント10章にこうあります。「様々な議論と神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し」。魂が神様よりも上に立とうとするのです。神様が希望を与えると言っているのに「いや、絶望じゃないか」という、これが高ぶりです。「神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、またすべてのはかりごとを取り押さえてキリストに服従させます」とあります。これが皆さんの仕事です。

魂は放っておくと、自動的に動画を垂れ流すように、過去の嫌な場面を次々と映し出していきます。だからこそ、皆さん自身の意思で、この高ぶりを打ち倒し、すべての計りごとを取り押さえるべきです。嫌な思いが沸き起こってきたら、それを取り押さえ、捕縛してキリストのもとに連行し、キリストへと差し出していく。これが人生をガラッと変えるコツです。

褒め称えることは武器です。パウロとシラスは、悪霊を追い出すという良いことをしたのに、逮捕され、牢獄に入れられ、鞭打たれました。でも、その夜、賛美していたのです。それによって牢屋の壁は打ち破られ、鎖が打ち砕かれました。ヨシャパテもそうでした。敵の大群が来た時に、主を褒め称える聖なる聖歌隊を前面に出しました。主を褒め称えたところ、主が伏兵を備えて、敵を打ち破らせてくださいました。嫌な気分になった時こそ、主を褒め称えてください。

詩篇103篇2節では、「主がよくしてくださったことを何一つ忘れるな」と言っています。今朝、目覚ましが鳴って、消してもまたピッと鳴る、これはスヌーズ機能です。詩篇でも、1節で「わが魂よ、主を褒め称えよ」と言い、2節でもまた言っています。この魂は、一回言って聞くような代物ではないのです。でも訓練によって、三回だったのが二回、二回だったのが一回で魂が湧き上がるようになっていきます。二回、三回続けてください。四回でも五回でもいいのです。

そして「主がよくしてくださったことを何一つ忘れるな」と命令しています。「魂さん、もしよろしければ」では言うことを聞きません。命令するのです。今の現状に文句を垂れていないで、主があの時よくしてくださった、祈ったら答えてくださった、それを思い起こしなさいと言うのです。

出エジプトのイスラエルの民の大部分がなぜ滅んだか。主がエジプト時代によくしてくださったことを忘れて、目の前の現実ばかりを嘆いたからです。でも、主がよくしてくださったことを忘れなかったヨシュアとカレブは、約束の良い地に入ることができました。ある兄弟も脳梗塞で動けなくなりましたが、みんなが祈って、主が良くしてくださいました。ある姉妹はかつて糖尿の注射を一日に三、四回打っていましたが、今はゼロ、癒されました。

賛美歌489番「数えてみよ主の恵み」を賛美しました。健康に目覚められたこと、息ができること、罪が許されていること、永遠の命が与えられていること――数え始めると、目の前の「もうダメだ」というものがどんどん小さくなっていきます。

3節を見ますと、「主はあなたのすべてのとがを赦し、あなたのすべての病を癒し」とあります。この3節以降の主語は誰でしょうか。「主」が主語です。主は癒やしてくださった、赦してくださった、贖ってくださった、冠をかぶらせてくださった、満ち足らせてくださる。全部「主が、主が」なのです。だから「わがたましいよ、主をほめたたえよ」なのです。主をほめたたえる根拠、それは主が何をしてくださったか、その一つ一つを数えることです。

真っ先に来ること、それは咎の赦しです。癒やしの前に赦しがあります。あの人に悪意を持っておきながら「私の風邪を癒やしてください」と祈っても効果がありません。何か捧げ物をしようとしているとき、兄弟に恨まれていることを思い出したら、捧げ物はそこに置いて、まず仲直りしなさいとイエス様もおっしゃいました。イエス様は中風の人に向かって、真っ先に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われ、その後に「起きて床を担いで家に帰りなさい」と言われました。この順番が大事なのです。主は一部だけでなく、「すべての咎」「すべての病」を赦し、癒やしてくださるお方です。

次に4節。「あなたのいのちを穴から贖われる。主はあなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ」。この穴とは、墓、黄泉の穴のことです。「贖う」はヘブル語でガアルと言い、救う、買い戻すという意味があります。ルツ記にも買い戻しの権利のある者が出てきますね。それはイエス様が身代わりになって死んで墓に葬られたからです。皆さんが本来死んで葬られるべきところを、イエス様がその身代わりとなって死に、葬られ、その贖いによって、皆さんは死から贖い出されたのです。そしてよみがえって死に勝利してくださいました。

5節では「あなたの一生を良いもので満ち足らせる。あなたの若さは、わしのように新しくなる」。満たしてくださるのは主です。皆さんが主に向いて、いつも主の恵みを数え、主と共に歩むならば、一生は良いもので満ち溢れ、若さは鷲のように新しくなります。鷲のように翼を広げて高く登ることができるようになるのです。

前の詩篇102篇6節、7節では「私は荒野のみみずく、廃墟のふくろう。屋根の上のはぐれた鳥」と書いていました。夜の暗がりでポツンと一羽だけ寂しそうにしている鳥。これが、魂の好き放題に染まっている姿です。畑の雑草を放置したら覆われてしまうように、放置してはならないのです。「わがたましいよ、主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と、御言葉のカッターでバサバサ切っていくのです。すると皆さんはふくろうから鷲になるのです。

冒頭で宣言したイザヤ40章31節「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、わしのように翼を広げて上る。走っても力衰えず、歩いても疲れない」。確かに私たちは日々年齢を重ね、外見はシミやシワが増えていくかもしれません。でも、内なる人は日々イエス様によって新しくされていくのです。第二コリント4章16節に「たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされていきます」とあります。

今日私たちが学ぶべきこと。それは大事なことを魂に命じることです。思い煩いが来たら、それを「わがたましいよ、主をほめたたえよ」という言葉で縛り、主が良くしてくださったことを一つ一つ数えていくのです。主を褒めたたえること、主が良くしてくださったことを数えること。これを今日も一日、瞬間瞬間実践して、皆さんの人生が暗がりから日の下へ、みみずくやふくろうから鷲へと、翼を広げて凛々しく高く登っていく人生でありますように、イエス様のお名前によって祝福いたします。

【結論】

私たちの気分や思いが宿る「魂」は、鬼が云々と語りかけるように、絶望や怠惰、人への憎しみを脚色して迫ってきます。しかしダビデのように「わが魂よ、主をほめたたえよ」と魂に命じ、「私」という主語を「イエス様が」へと転換し、御言葉と服従という武器によって神に逆らう高ぶりを打ち倒しましょう。嫌な思いを取り押さえてキリストに差し出し、主を賛美すること――それは牢の壁をも打ち破る武器です。そして、まず罪の赦しがあり、そこから癒やしが起こります。主が赦し、癒やし、贖い、冠をかぶらせ、満たしてくださった恵みを一つ一つ数えるとき、困難は小さくなり、みみずくのような暗い人生から、鷲のように翼を広げて高く登る新しい人生へと日々変えられていきます。