御言葉に根拠を置いて主を知る − 怒るのに遅く憐れみ深い父なる神(詩篇103:6-14)

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御言葉に根拠を置いて主を知る − 怒るのに遅く憐れみ深い父なる神(詩篇103:6-14)

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【概要】

詩篇103篇を通して、主がどのようなお方であるかを自分の思い込みや感情ではなく、御言葉と証の言葉に根拠を置いて知り、子羊の血と証の言葉によって霊的戦い(悪魔サタンの訴え)に勝利することを語るメッセージ。主は怒るのに遅く、憐れみ深く、私たちの罪を東から西へと遠く離れさせてくださる父なる神である。

【聖書箇所】

  • 詩篇103:6-14

  • 黙示録12:11

  • 黙示録12:17

  • 出エジプト34:6-7

  • 創世記(ノアの箱舟・金の子牛の出来事に関連)

  • ルカ15(放蕩息子のたとえ)

【慰めの言葉】

  • 主はいつまでも争ってはおられず、とこしえに怒ってはおられない(詩篇103:9)。

  • 主は私たちが土の塵に過ぎないことを心に留め、父が子を憐れむように憐れんでくださる(詩篇103:13-14)。

  • 東が西から遠く離れているように、主は私たちの背きの罪を遠く離れさせてくださる(詩篇103:12)。

【励ましの言葉】

  • 主は義と裁きを、すべての虐げられている人々のために行われる方である(詩篇103:6)。

  • 子羊の血と証の言葉によって、巨大な竜(サタン)にも勝利できる(黙示録12:11)。

  • 主は憐れみ深く情け深く、怒るのに遅く、恵み豊かである(詩篇103:8)。

  • 条件反射的に怒りや絶望に陥るのではなく、条件反射的にイエスの血を宣言し勝利する癖を身につけよう。

【戒めの言葉】

  • 自分の思い込みや感情(魂・鬼の云々)が描く偶像の神様像を握りしめてはならない。

  • 竜の外見や強そうな様子に恐れて、自分の感覚によって敗北してはならない。

【勧めの言葉】

  • 悲観的になりそうな時は、主がどういうお方であるか、主が良くしてくださったことを思い出すこと。

  • 自分の思い込みではなく、御言葉にしっかりとした根拠を置くこと。

  • 自分の魂(鬼の云々)は死に明け渡し、子羊の血と証の言葉を取ること。

  • 気分に支配されず、御言葉に支配され、主がよくしてくださった証を宣言すること。

【詳細(AIによる文字起こし)】

今朝、恵みをいただく御言葉は詩篇103篇6節から14節です。はじめに6節と7節を宣言いたします。

「主は義と裁きを、すべての虐げられている人々のために行われる。主はご自分の道をモーセに、その御業をイスラエルの子らに知らされた方。」アーメン。

一言お祈りします。今、私たちはイエス様、あなたの御前に進み出ました。御言葉なるキリストを豊かに受け入れ、イエス様から豊かに命の恵みが流れ溢れ出ますように。私たちのうちにその命の泉を宿し、これから始まるこの一日、またこれからの人生、あなたから豊かに、くめどもくめども尽きせぬ命を豊かにいただき尽くすことができますように導いてください。今、取り次ぐ僕の口を清め、預かる人々の耳を清めてください。これからのすべてを、ただあなたの支配の御手にお委ねし、私たちの主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン、ハレルヤ。

今朝も素晴らしい主の御名を褒め称え賛美いたします。詩篇103篇です。本当に喜びと楽しみ、勇気が湧き起こってくる詩篇です。102篇のほうは本当に暗く、悲しくて悲観的な雰囲気が漂っておりました。102篇は、自分の内に湧き起こってくる自分の魂の声に聞いた人の、その悲観的な内容が記されております。

けれども、主が良くしてくださったことを何一つ忘れない人というのは、6節のように宣言できます。「主は義と裁きを、すべての虐げられている人々のために行われる。」102篇のほうは、もう自分はダメだと、限られた自分、今の悲しい現状にいる自分だけを見て悲観的になってしまっているのですが、主はすべて虐げられている人々のために正しい裁きを行ってくださるお方だと、ここで宣言しております。

皆さんも何か悲観的になっている時、あるいは「今日のあのプロジェクト大丈夫かな」「あの人とまた会わなきゃいけないのか」と悲観的になりそうな時は、主がどういうお方であるのか、主が良くしてくださったこと、それをぜひ思い出してください。前回も言いました。主は良いお方、その良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主がどういうお方であるのかという根拠を、皆さんの思い込みに頼ってはなりません。御言葉に頼るべきです。魂という漢字は、云々する鬼と書きます。皆さんは、鬼の云々が言う神様像を思い描いてはなりません。思い込みの神様像、これを握りしめていると、出エジプトして荒野で滅んだあの民のようになってしまいます。荒野の民は「神はどうして私たちを殺すために荒野に連れ出したんだ」と言いました。神様が乳と蜜が流れる土地だと言っていたけれども、「あそこの民は私たちを飲み込む民だ。その民に比べれば、私たちはイナゴのように見えた」と言いました。主がエジプトにおいてどれほど素晴らしい奇跡を行われたのか、それを一切無しにして、鬼の云々に心を留めた人たちは荒野で滅んでしまいました。

主がどういうお方であるのか、自分の鬼の云々に聞いてはなりません。この世が過ぎ去ったとしても、なおも残る神の言葉に根拠を置くべきなんです。

続く7節に書いてあります。「主はご自分の道をモーセに、その御業をイスラエルの子らに知らされた方。」主はモーセにご自分の道、すなわち御言葉を授けられました。永遠に残る御言葉をモーセを通して授けられました。そしてその御業をイスラエルの子らに知らされました。エジプトにおいて、頑なに奴隷として縛り付けようとするエジプトに対して、十の災いを行われたのをイスラエルの子らは見ました。

この私たちは、主が良くしてくださったこと、証をしっかりと握りしめるべきなんです。けれども荒野の民は握りしめないで、自分の魂の戯言、鬼の云々に聞いて、神様の言葉よりもそちらを重んじて、滅んでしまいました。私たちはしっかりと、この主が語られた言葉と、主がなされたことの証の言葉、これをしっかりと握りしめるべきなんです。

冒頭で宣言したのは黙示録12章11節でした。「兄弟たちは、子羊の血と自分たちの証の言葉のゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分の命を惜しまなかった。」この竜、ドラゴンに勝利する秘訣が二つあります。勝利の秘訣その一は「子羊の血」。二つ目は「自分たちの証の言葉」。この二つのゆえに竜に打ち勝つのです。悪魔サタンは巨大な竜として皆さんに迫ってくるとしても、イエス・キリストの子羊の血と証の言葉によって勝利できるのです。

皆さん、竜ドラゴンの外見、その巨大さ、強そうな様、鬼の云々によって敗北してはなりません。11節の後半に「彼らは死に至るまでも自分の命を惜しまなかった」とあります。ここの命は実は「魂」です。プシュケーというギリシャ語で、サイコロジー、心理学の心理です。心が病んだ人は精神科に行き、カウンセリングにも行きます。「私はこうだと思っていたのに、こうなった、あの人が悪い、時代が悪い、会社が悪い」と、他人の鬼の云々をずっと聞かされ続けるのです。

でも聖書は言います。この魂を否みなさいと。キングジェームズバージョンでは「they loved not their lives unto the death」とあります。彼らのlives、命、このプシュケー、彼らの心の魂を愛さなかった。むしろ死に明け渡した。自分の魂は死に明け渡して、子羊の血と証の言葉の方を取った。それによってドラゴンに勝利したと書いてあるのです。

皆さん、自分の魂、鬼の云々は死に明け渡してください。イエス様は十字架の上で血を流され、その血潮によって自分たちは買い戻されたのだ、その証の言葉をする。そのことをしたゆえに、サタンに勝利したと書いてあります。自分の感情、感覚、御言葉に根拠しない神様像、偶像、これは死に明け渡してください。それによって皆様は勝利できるのです。

黙示録12章17節にこう書いてあります。「すると竜は女に対して激しく怒り、女の子孫の残りの者、すなわち神の戒めを守り、イエスの証を固く保っている者たちと戦うために出て行った。」終わりの時代における主人公は、この神の戒めを守り、イエスの証を固く保っている者たちです。神の御言葉と証、主が何をしてくださったのか、この二つによって勝利するのです。

詩篇103篇、続いて8節に書いてあります。「主は憐れみ深く情け深い。怒るのに遅く、恵み豊かである。」これも出エジプト記34章で主がモーセに宣言してくださった内容です。この「怒るのに遅く」は、ヘブライ語でエレク・アパイムと言います。直訳すると「鼻腔が長い」という意味です。ヘブライ語で怒りと鼻は同じアフという言葉です。鼻が長いというのは、怒りに火がつくまでの導火線がとても長いということです。

怒りの導火線が短い人がいます。ある人が笑っただけで、すぐに爆発する。しかし主は、怒りの導火線が長い、エレク・アパイムなお方なのです。鼻の管の通りが長い牛さんのタイプの人は、心の中で怒りが燃え上がったとしても、鼻の長い管を通っていくうちに怒りがどんどん小さくなって消えてしまうのです。どういう話か知りたい方はぜひ私の月曜日のYouTubeをご覧になってください。牛さんタイプの人は、本当に主の有用な器になることができます。けれども導火線が短い人は、すぐに爆発して自分の感情に流され、結局、馬さんのように火で焼かれて死んでしまいます。

続いて9節を見ますと「主はいつまでも争ってはおられない。とこしえに怒ってはおられない。私たちの罪に従って私たちを扱うことをせず、私たちの咎に従って私たちに報いをされることもない。」私たちはすぐに瞬間湯沸かし器のように沸騰してしまいます。だから私たちは、神様も私が何かしでかしたらすぐに怒りがバッと燃え上がって、とこしえに怒っているんじゃないかと、勝手な思い込みをしてしまいがちかもしれません。「自分があんなことをしたから、神様はまだ怒っているのではないか」と思うことがあるかもしれません。しかしダビデはどう宣言したでしょうか。「主はいつまでも争ってはおられない。永遠に怒ってはおられない。」アーメン。主は怒りがすぐに沸き起こって処罰されるようなお方ではありません。

ある人はこう思うかもしれません。「創世記でノアの箱舟の時、神様は怒って民をたちまち滅ぼしたではないか」。いいえ。神様はどれほど人類を待たれたと思いますか。アダムは900何歳まで生きました。その子供たちも900歳といった年を生きました。アダムからノアに至るまで、何千年と経っていたのです。それほどまでに長く待って、ようやく全人類が殺人をし、あくどいことをし、性的にも堕落し、義人はノアとその家族だけになってしまった時になって、「一度、人類は全部真っさらにするしかない」と、本当に悲しみながらそうされたのです。

思い込みに頼ってはなりません。御言葉をよく読むべきです。御言葉と証しの言葉に従って神様がどういうお方であるのかを測るべきなのです。

ダビデは思い込みで宣言したのではありません。しっかりと出エジプト記34章の言葉を引用して宣言しているのです。「主は憐れみ深く、情け深い神、怒るのに遅く、恵みとまことに富み、恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す」。では主はこの言葉をいつ宣言されたのか。なんと、金の子牛事件の直後に、モーセが神様にとりなした時に宣言されたのです。

まさに「怒るに遅い」お方です。民は金の子牛の像の前で踊っていました。あの十戒が授けられた直後です。十戒には「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」と真っ先に書いてあり、「偶像を造ってはならない」と書いてあります。この民は真っ先にそれを破ったのです。それでも、モーセのとりなしによって、主はこの言葉を宣言してくださいました。

主はいつまでも怒っておられません。気分に支配されてはなりません。御言葉に支配され、主がよくしてくださったことの証しをいつでも宣言すべきです。

さらに11節。「天が地上はるかに高いように、御恵みは主を恐れる者の上に大きい」。アーメン。皆さん、飛行機に乗って、いつまで飛び続ければ天に到達できるでしょうか。ロケットが開発されて宇宙には行きましたが、天国まで行った人はいません。天が地上よりもはるかに高いほどに、御恵みは主を恐れる皆さんの上にはるかに高いのです。

12節。「東が西から遠く離れているように、主は私たちの背きの罪を私たちから遠く離れさせる」。アーメン。皆さん、ここ東の最果ての国、日本から西へ西へとずっと行くとして、いつになったら西に到達できるでしょうか。地球は丸いのです。西へ西へずっと行っても、結局また日本に戻ってしまいます。それほどまでに皆さんの罪を遠く離れさせてくださる。それが皆さんの主です。

主はどうやって私たちの罪を遠く離れさせてくださるのか。無条件ではありません。子羊の血によって勝利したと書いてあります。悪魔サタンは皆さんの罪を訴えてきます。「過去あれをしただろう、これをしただろう」と。しかしその時、皆さんは証しの言葉と子羊の血によって勝利できます。子羊の血なしでは、罪はあったまま、悪魔サタンに訴えられっぱなしです。

13節。「父がその子を憐れむように、主はご自分を恐れる者を憐れまれる。主は私たちの成り立ちを知り、私たちが土の塵に過ぎないことを心に留めてくださる」。アーメン。有名な放蕩息子のたとえを皆さんご存知ですね。息子は父のもとを離れ、多くの罪を犯し、父の財産を食いつぶしました。けれども我に返って父のところに戻った時、父なる神様はこの息子を赦し、一番良い衣を着せ、指輪をはめさせ、履物を履かせ、肥えた子牛を屠って宴会を催してくださいました。それが父なる神様です。

皆さんを造ったのは、この父なる神様です。土の塵から人を形造られました。だから神様は、私たちが塵に過ぎないこと、いかに崩れやすく、弱く、脆いかを、誰よりも知っておられます。それを知った上で、神様は私たちの罪に従って扱わず、咎に従ってあしらわないお方です。

私たちの人生、いつも魂が「お前はあれをしただろう、惨めな奴だ」と絶望を吹きかけてきます。でもこの訴えがやって来るたびに、皆さん、イエスの血と証しの言葉によって勝利してください。何かことが起きると条件反射的に怒ったり、悲しんだり、絶望したりしていたとしても、その都度イエス様の血と証しの言葉によって勝利する癖を身につけてください。この勝利する癖がついてくると、何が起きても「主がこんなに良くしてくださった。サタン、お前のほうが逆に罪定めされているのだ」と宣言できるのです。

これからぜひ、条件反射的にイエスの血を見よ、主はこんなに良くしてくださった、と宣言してください。主は私たちの罪を処罰するために、十字架の上で身代わりになって死んでくださいました。そうするなら、皆さんの人生は勝利に次ぐ勝利の人生になっていきます。訴えが作り出す偽りの自分、偽りの神様像は投げ捨てましょう。そして御言葉に書いてある通り、憐れみ深く、恵みに富み、慈しみ深い主を宣言し、罪を東から西へ遠く離れさせてくださったその主を、子羊の血と証しの言葉によって勝利していく皆さんでありますように。イエス様のお名前によって祝福いたします。

【結論】

主がどのようなお方であるかを知る根拠は、自分の思い込みや感情(魂・鬼の云々)ではなく、モーセに託された御言葉と、主が良くしてくださった御業の証に置くべきです。主は怒るのに遅く、憐れみ深く情け深いお方であり、いつまでも争わず、とこしえに怒らず、私たちの罪を東から西へと遠く離れさせてくださる父なる神です。悪魔サタンの訴えに対しては、気分や思い込みに支配されるのではなく、イエス・キリスト(子羊)の血と証しの言葉によって勝利すること。これを条件反射として身につけるとき、勝利に次ぐ勝利の人生を歩むことができます。