投稿者: tenseiadmin
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目の前で子を虐殺され、目をえぐられ連行されたイスラエル最後の王(2列王記25:1-7)
ついに、第二列王記の最終章である。 元々、列王記は、サムエル記と共に一つの歴史書だったものが分割されたものであり、ギリシャ語聖書の70人訳聖書で第一・第二サムエル記を「王国の第1・2」と、列王記は「王国の第3・4」としたものであるが、その最後は、エルサレムの崩壊と、ダビデの子孫の王がバビロンへ捕囚される所で終わる。 2…
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裁きの中でも恵みを注がれる主(2列王記24:8-20)
24:8 エホヤキンは王となった時十八歳で、エルサレムで三か月の間、世を治めた。母はエルサレムのエルナタンの娘で、名をネホシタといった。 24:9 エホヤキンはすべてその父がおこなったように主の目の前に悪を行った。 神の民の国であるイスラエルの王達は、歴代、主の目の前に悪を行って来た。 本来、神の民は、主の目にかなう事…
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主を認めず、主に感謝せず、その栄光を称えない者に下される神の怒り(ローマ1:17-23)
信仰(Behid)とは、「連合し」「バンドする」事が元来の意味である。そうであるからには、信仰には連合する相手、結合する相手が必要となる。すなわちクリスチャンとは、イエス様と連合し結合する者達である。 1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる(エック・ピステオス・エイス・ピスティン)。これ…
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信仰とは(ローマ1:17)
信仰とは(ローマ1:17) 第一礼拝 Youtube動画 / 音声 賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画 賛美集会音声 第二礼拝音声 週報/メッセージ(説教)概要 信仰義認(人は信仰によってのみ救われる)という言葉は有名である。この言葉はちょうど500年前、カトリックの腐敗は、「行為義認(善行によって神は人を義とする…
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主の言葉に逆らい、イスラエルと自分に災いをもたらしたエホヤキム(2列王記24:1-7)
エホヤキムの父ヨシヤ王がエジプトのパロ・ネコと戦ったために、ヨシヤ王は死に、エジプトの戦力も削ぎ落とされ、エジプトのバビロン討伐は失敗に終わり、バビロンが栄えるきっかけとなった。 24:1 エホヤキムの世にバビロンの王ネブカデネザルが上ってきたので、エホヤキムは彼に隷属して三年を経たが、ついに翻って彼にそむいた。 24…
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御言葉を声に出し、論じ合いなさい(申命記6:4-9)
申命記6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。 ユダヤ人達はこの言葉を何よりも大切にする。 正統派ユダヤ人達は、子供が母の胎にいる時から、母は胎の子にトーラーを語りかけ、生まれた時、彼らに真っ先にこのシェマーの一文を教えこむ。 彼らは一日のはじめにこの言葉を宣言してから一日を始める。それ程、大切な言…