水を支配される主と真の命の泉イエス − 渇きを打ち砕く主(詩篇104:1-23)

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水を支配される主と真の命の泉イエス − 渇きを打ち砕く主(詩篇104:1-23)

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【概要】

詩篇104篇前半から、人に脅威をもたらす水を叱りつけて境界を定め、その水で全被造物を潤し養われる主の御業を学び、真の命の泉であるイエス様によって人生の渇きが打ち砕かれること、そして主の定めた時に主を礼拝する者を主が祝福してくださることを語るメッセージです。

【聖書箇所】

  • 詩篇104:1-4

  • 詩篇103:1

  • 詩篇103:22

  • 創世記1:2

  • 詩篇104:5-9

  • マルコ4:39

  • マタイ14:25

  • 詩篇104:10-12

  • 詩篇104:13-15

  • 詩篇104:19-23

  • マラキ3:10-11

  • ヨハネ7:37-38

【慰めの言葉】

主は海に境界を定めて水が越えないようにされたように、私たちの生活にも境界を定め、災いをもたらすものに対しても境を設けてくださいます。イエス様は災いという水を足の下に踏んで、私たちのところに来てくださるお方です。

【励ましの言葉】

主は人に脅威をもたらしていた水を、すべての生き物を潤す水へと転換してくださいます。魂の渇き、人生の渇き、経済の渇きも、イエス・キリストの御名によって打ち砕くことができます。

【勧めの言葉】

  • 魂や被造物が「貧困だ、絶望だ」と云々してきても、それに向かって「主をほめたたえよ」と宣言しましょう。

  • 渇きを覚える時は、「主イエス・キリストの御名によって、この渇きを打ち砕く」と信仰をもって宣言しましょう。

  • 主が定められた時(モアディーム)を守り、日曜日の礼拝とともに、一日の中にも主を礼拝し主の御名を呼ぶ時を設けましょう。

  • 真の命の泉イエス様から毎日飲み、自分の家庭や職場、行く先々を潤していきましょう。

【詳細】

本日の御言葉は、詩篇104篇1節から23節です。初めに1節から4節までを宣言します。

「わがたましいよ、主をほめたたえよ。わが神、主よ、あなたはまことに大いなる方。あなたは威厳と威光をまとっておられます。あなたは光を衣のようにまとい、天を幕のように張り、水の中にご自分の高殿の梁を置き、雲をご自分の車とし、風の翼に乗って進まれます。風をご自分の使いとし、燃える火をご自分の召使いとされます。」(詩篇104:1-4)

愛するイエス様、御言葉を宣言しました。どうぞあなたの御言葉のとおりに、私たちの上に、またこの礼拝の初めから終わりまでの上になりますように。主イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。

主はまことにほめたたえられるにふさわしいお方です。天声の横浜では詩篇の講解説教をしていますが、今朝、103篇を読み終えました。103篇は「わがたましいよ、主をほめたたえよ」(詩篇103:1)という言葉で始まり、終わりもこの宣言で締めくくられました。まず自分の魂に宣言し、そして最後には御使いたちにも、天の軍勢にも、すべて造られたものにも「主をほめたたえよ」(詩篇103:22)と宣言して終わりました。主の御言葉を守り行う者には、とこしえの恵みと、主の御名による宣言の権威が与えられることを見ました。

なぜダビデは全地に向かって、すべて造られたものに「主をほめたたえよ」と宣言できたのでしょうか。それは皆さん自身もするべきことだからです。病や、さまざまな災害は、主をほめたたえることとは全く逆の方向に向かっています。だからこそ、それらに向かって「すべて造られたものよ、主をほめたたえよ」と宣言するべきだということを学びました。

ダビデはまず真っ先に「わがたましいよ」と自分の魂に向かって宣言しました。魂という漢字は「鬼」が「云々」すると書きます。自分の心から湧き起こってくる鬼の云々に目を留めてはなりません。それに向かって「わがたましいよ、主をほめたたえよ」と命令するのです。それだけではありません。被造物も皆さんに向かって「お前は貧困だ、絶望だ、借金だ」と云々してきます。そうした云々に向かっても、「主をほめたたえよ」と宣言するべきです。

この104篇もまた、「わがたましいよ、主をほめたたえよ」で始まります。103篇は、罪を赦し、病を癒し、穴から贖ってくださる主をほめたたえる詩篇でした。104篇は、天と地とすべての生き物を造られ、今も生き物も自然界も、雨も雪も植物も、全被造物を養っておられる主をほめたたえる詩篇です。103篇の最後に出てきた「すべて造られたもの」の一つ一つが、104篇では事細かく登場していきます。

104篇を読んでいくと、何度も出てくるキーワードが「水」です。主は水で全地を潤し、すべての生き物を生かしておられます。けれども、水はすでに創世記1章2節に出てきます。かつて全地は水で覆われていましたし、ノアの時代には水によって裁きが行われました。水は人々に脅威をもたらすものですが、主はその水を支配し、人を生かす水に変えてくださる。そのことが続く節を読んでいくとわかります。

「あなたは地をその基の上に据えられました。地はとこしえまでも揺るぎません。あなたは大水で衣のように地をおおわれました。水は山々の上にとどまりました。水はあなたに叱られて逃げ、あなたの雷の声で急ぎ去りました。」(詩篇104:5-7)

創造の初め、地は大水に覆われていました。大洪水の時も、山々の上を水が覆いました。人も生き物も住めない世界です。そこに主が御声を発せられると、水は叱られて逃げていきました。そして主の一言で、水は「あなたがそれらの基とされた場所へと下って」(詩篇104:8)、主が定められた場所に収まりました。

「あなたは境を定められました。水がそれを越えないように。」(詩篇104:9)

水も被造物です。度を越えると人に脅威をもたらし、生き物を死に至らせる水に対して、主は命じて、とどまるべき所にとどまらせ、「この境を越えてくるな」と境界を設けられたのです。

皆さんの実家の周りに海はあるでしょうか。海と陸の境界線は、何十年たっても越えてきません。陸の方に建物があり、誰々さんの家がある。何年たっても同じです。主が境界線を定められたからです。海の境界一つをとっても主が定めておられるように、主は皆さんの生活の境界を定め、災いや災難をもたらすものに対しても境を設けてくださいます。

イエス様は、ガリラヤ湖の上で言葉をもって風と湖を叱りつけ、嵐を静めて大なぎにしてくださいました(マルコ4:39)。また、水を足の下に踏んで、水の上を歩いて弟子たちのところに来てくださいました(マタイ14:25)。皆さんを覆っている災いという水を、イエス様は足の下に踏んで、皆さんのところに来てくださるお方です。

私たちは神の子として、自然界に対しても、イエス・キリストの御名によって「水よ、下がれ。災いよ、下がれ。揺れ動く大地よ、静まれ」と宣言できることを今朝学びました。私たちが命じることができるのは、主が水を支配し、水を引かせ、境界を定められたお方だからです。だから私たちは主イエス・キリストの御名によって命じることができるのです。

主は水を叱りつけ、人に脅威を与えていた水を逆手にとって、すべての生き物を潤す水へと転換してくださいます。その有様が10節以降です。

「主は泉を谷に送り、山々の間を流れさせ、野のすべての獣に飲ませられます。野ろばも渇きを癒やします。そのそばには空の鳥が住み、枝の間でさえずっています。」(詩篇104:10-12)

「野ろばも渇きを癒やします」の「癒やす」は、ヘブライ語の原文では「シャーバル」で、「打ち砕く」という意味です。主は渇きを打ち砕かれるのです。「癒やす」という優しいニュアンスよりも、もっと強い意味で、主はあなたの渇きを打ち砕くとおっしゃっているのです。

私たちもイエス・キリストの御名によって、渇きを打ち砕くことができます。今、人生に渇きを覚えている人はいるでしょうか。あのことをどうしようかと、魂が干からびていないでしょうか。そういう時は、こう宣言するのです。「主イエス・キリストの御名によって、この渇きを打ち砕く。」アーメン。イエス様を信じる信仰とともに宣言する時、魂の渇き、人生の渇き、経済の渇きが打ち砕かれます。このシャーバルが皆さんの人生になりますように。

さらに13節以降を読みます。「主はその高殿から山々に水を注ぎ、地はあなたのみわざの実によって満ち足りています。」(詩篇104:13)主は上から雨を注ぎ、下から泉を湧かせて、地を潤してくださいます。以前見た宣教師の話で、雨は天から降るものだと思っていた島の酋長が、宣教師の掘った井戸から水が湧き出るのを見て驚き、「神様は下からも雨を降らせるのだ」と、島中が信じたということがありましたね。主は上からも下からも水によって潤してくださいます。

そして主は家畜のために草を生えさせ、人が労して得る作物を実らせてくださいます。「ぶどう酒は人の心を喜ばせ、油は顔をつややかにし、パンは人の心を支えます」(詩篇104:15)。これらはすべて、主が水を送って潤してくださるからこそできる作物です。

今朝、TIAの畑の話をしましたね。他の地域の畑は豪雨で台無しになり、水が災いをもたらしました。けれども、TIAに貸してくださった畑は大豊作で、畑の持ち主が植えていたサツマイモも「今年はこんなに大きいぞ」と言うほど実りました。全部掘った後も、まだ点々と残っていて、野の鳥が食べに来ています。確かに人は耕し、肥料をまき、雑草を抜き、いろいろな世話をします。けれども、水を送り、豊かに実らせてくださるのは神様です。私たちはこの主に望みを置いて、主の御名によって大地に平安(シャローム)と祝福を宣言して命じるのです。春に種をまき、マルチを張って苗を植えた時、「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。生めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福を宣言しました。貸してくださった方の畑にも主の祝福を祈りました。そして見事に、主がそのとおりにしてくださいました。主をほめたたえ、賛美いたします。

さらに19節以降では、主が季節のために月を造られ、太陽はその沈む所を知っていると歌われます。主が闇をもたらされると、森の獣がはい回り、若い獅子は獲物を求めてほえたけり、神に食物を求めます。そして「日が昇ると彼らは退いて、自分のねぐらで横になります。人は自分の仕事に出て行き、夕暮れまでその働きにつきます」(詩篇104:19-23)。

主はまず太陽と月を造り、時を定めておられます。この「季節」と訳されたヘブライ語は「モアディーム」で、単なる春夏秋冬以上の意味があります。それは「例祭」、つまり祭りのことです。ユダヤには過越の祭り、五旬節(七週の祭り)、仮庵の祭りなどがあります。主が定められた時、主を礼拝するために設けられた期間、それがモアディームです。皆さんの人生にも、この「祭り」があるべきなのです。

私たちは一週七日のうち日曜日を、主を礼拝する日として、主の定めによって礼拝を守っています。また一日の中にも、寝る時、起きて支度をする時、仕事に向かう時があります。その一つ一つの時の中に、主を礼拝する時、主の御名を呼ぶ時を設けるべきです。主が定められた礼拝の時をしっかりと守り行うなら、主は祝福してくださいます。献金の封筒にも書いてありますね。「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て……それによってわたしを試してみよ。……わたしはあなたがたのために、食い荒らすいなごを叱って、あなたがたの大地の実りを滅ぼさないようにする」(マラキ3:10-11)。

結婚し、子どもを産んで育て、そしてついには天に召される時が来る。人生の季節もすべて主が定められました。私たちは主が定めたその時々において、主を礼拝するという祭りを行い、日々時間があるごとに主を覚え、主に祈る時を設けるべきです。そうするなら、主は皆さんを祝福してくださいます。

今日のまとめです。104篇の前半には、主が水をもって潤し、すべての生き物を生かしておられるお方であることが記されています。そして冒頭で宣言したヨハネの福音書7章のように、イエス様こそ真の水で私たちを潤し、生かしてくださるお方です。

「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。』」(ヨハネ7:37-38)

皆さんは渇きを癒やされたいでしょうか。イエス様に求めるべきです。そして「イエス様の御名によって、この渇きは打ち砕かれよ」と、先ほどの宣言をするのです。真の命の泉であるイエス様から毎日飲み、心の奥底から生ける水が川となって流れ出て、皆さん自身の人生、家庭、職場、行く先々を潤していく皆さんでありますように。

愛するイエス様、あなたは生ける神の御子キリストであり、真の命の泉、その源であるお方であることを感謝いたします。地上のすべての生き物は真の神によって水で潤され、主がすべての必要な水を供給しておられることを見ました。そして私たちの霊を真に潤してくださるのは、イエス様、あなたです。このイエス様をしっかりと握りしめ、主イエスの御名によって渇きを打ち砕き、私たち自身が潤され、周りをも潤していく者とならせてください。イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【結論】

詩篇104篇の前半は、かつて地を覆い、裁きにも用いられた水を、主が叱りつけて境界を定め、すべての生き物を潤す恵みの水へと転換してくださったことを歌っています。主は私たちの生活にも境界を定め、災いを足の下に踏んで来てくださいます。そして真の命の泉イエス様は、私たちの魂と人生の渇きを打ち砕いてくださいます。主が定められた時(モアディーム)に主を礼拝し、主の御名によって渇きを打ち砕き、祝福を宣言しながら、心の奥底から流れ出る生ける水で周りを潤していく者となりましょう。