主をほめたたえよ、すべて造られたものたちよ − 被造物を治める神の子の使命(詩篇103:15-22)

Written by

in

主をほめたたえよ、すべて造られたものたちよ − 被造物を治める神の子の使命(詩篇103:15-22)

Youtube動画

メッセージ音声

【概要】

詩篇103篇15-22節から、草のように儚い人間であっても、主の御言葉を守り行う者は、主の御名による信仰の宣言によって、うめいている被造物に平安をもたらす神の子とされていること、そしてまず自分の魂に「主をほめたたえよ」と命じることから始めるべきことを語るメッセージです。

【聖書箇所】

  • 詩篇103:22

  • ネヘミヤ8:10

  • ヨハネ12:25

  • 詩篇103:2

  • 詩篇103:8-12

  • 黙示録12:11

  • 創世記3:17

  • 詩篇103:15-16

  • 詩篇103:17-18

  • 詩篇103:19

  • ルカ17:21

  • ローマ8:19-23

  • ローマ8:24-25

  • 詩篇103:20

  • マルコ16:15-18

  • 詩篇103:21

【慰めの言葉】

人の一生は草や野の花のように儚いものです。しかし、主の恵みはとこしえからとこしえまで主を恐れる者の上にあり、主の義はその子らの子たちにまで及びます。

【励ましの言葉】

キリストによって贖われ神の子とされた私たちは、うめいている被造物に飲み込まれる側ではなく、御言葉と命によって飲み込む側です。御言葉を守り行う人は、筋肉ではなく御言葉の真実によって状況を動かす、真の勇士です。

【戒めの言葉】

魂のつぶやき(「もうだめだ」「神はひどい」「あいつが憎い」)に耳を傾け、それを生かそうとすると、自分を病ませ、滅ぼすことになります。また、主の御言葉を行わない人が主の御名を用いても、何も起こりません。

【勧めの言葉】

  • まず真っ先に、自分の魂に「わが魂よ、主をほめたたえよ」と命じ、キリストに服従させましょう。

  • 主の御言葉を守り行い、主の御名によって信仰を込めて、地や被造物、状況に対して平安と祝福を宣言しましょう。

  • 一日の初めも終わりも、「わが魂よ、主をほめたたえよ」で始め、締めくくりましょう。

【詳細】

今日、恵みをいただく御言葉は詩篇103篇15節から22節です。はじめに22節を宣言いたします。

「主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主が治められるすべてのところで。わがたましいよ、主をほめたたえよ。」(詩篇103:22)

愛する主イエス様、私たちは自分の魂と、すべて造られたものをあなたへと向かわせます。暁を呼び覚ます御言葉の宣言が万物に届き、全被造物があなたをほめたたえますように。私たちを清め、あなたの御心を成し遂げる者としてください。イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

「主を喜ぶことは、あなたがたの力だ」(ネヘミヤ8:10)と書いてあります。まだ夜の暗い時間ですが、暁がもう昇ろうとしています。私たちは御言葉によってこの一日を始め、この日本、この世界を御言葉によって始めていきたいと思います。

つくばみらいではヨブ記を学んでいます。ヨブ記の議論には主の御名が一切出てこず、それを読んでいると、私たちがいかに一日中、主の御名抜きの人間の議論だけで過ごしているかを思わされます。けれども詩篇には主の御名がたくさん出てきます。今日の箇所にも、太字の「主」、つまり神様の御名がたくさん出てきます。

一週間前の前回のおさらいです。「魂」という漢字を覚えているでしょうか。「云」という字に「鬼」と書きます。鬼が云々する、と覚えてください。魂のギリシャ語は「プシュケー」で、心理学(サイコロジー)の語源です。自分の魂、自分の心理を生かそうとすると、鬼の云々に同意して、自分をどんどん病ませてしまいます。イエス様は「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります」(ヨハネ12:25)と言われました。この「いのち」がプシュケー、魂です。「怠けていたい」「自分は絶望だ」「あいつが憎たらしい」。まさに鬼の云々です。これを生かそうとする者は、結局自分を滅ぼしてしまいます。私たちは自分の魂をイエス・キリストの御言葉によって捕らえ、キリストに服従させるのです。その服従が完成した時、一切の要塞を打ち破る力があることを前回見ました。

今日もきっと「お前はもうだめだ」「神はひどい方だ」「お前は救いようがない」という魂の云々が聞こえてくるでしょう。その時、私たちは主の御声に聞き従い、自分の魂に「わが魂よ、主をほめたたえよ」と言い聞かせるべきです。「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇103:2)とあります。103篇ではさらに、主はあわれみ深く、情け深く、怒るのに遅く、私たちの罪にしたがって私たちを扱われないお方であり、東が西から遠く離れているように、私たちの背きの罪を私たちから遠く離してくださる(詩篇103:8-12)と、ダビデは自分の魂に言い聞かせました。魂に対する勝利の秘訣は、子羊の血と証しの言葉です(黙示録12:11)。「私はイエス・キリストに従う。現実が絶望的に見え、人々がそう評価しても、私はイエス・キリストのもの、全被造物を造られた神の子とされた」と証しするのです。それによって勝利します。だから今日の御言葉のように、まず真っ先に自分の魂に命じるべきです。言うことを聞かない魂に対しても、主の御言葉を宣言して、主に向かって屈服させ、従わせるのです。

ダビデは今日の箇所で、自分の魂だけでなく、御使いたちに対しても、すべて造られたものに対しても「主をほめたたえよ」と命じています。自分の民だけでなく全被造物に命令するとは、さすが偉大な王だと思うでしょう。けれども皆さん、実は皆さんも全被造物に対して命令するべき立場にあるのです。

茨城は地震が多い県です。地震が起きるたびに、私はまず人々が犯した罪を赦してくださいと主にとりなし、それから揺れ動く大地に向かって主の平安を命じます。なぜなら、被造物は今、呪われているからです。何によってでしょうか。私たち人間の不従順によってです。アダムとエバが神様の言葉に逆らったゆえに、地は呪われてしまいました(創世記3:17)。今、この地上は呪いのうめきのもとにあります。だから私たちは、呪われた被造物に対して、状況に対して、御言葉を宣言し、「主をほめたたえよ」と命じるべきです。そして真っ先に命じるべきなのは、神様の言うことを聞かない私たちの魂です。そして人間に牙をむいてうめいている自然界に命じるのです。私たちは神の子として、平和の使者として、この地上に遣わされています。それを示しているのが今日の箇所です。

15節と16節を見ると、私たち人間がどのような存在かがわかります。「人、その一生は草のよう。人は野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それはもはやない。その場所さえも、それを知らない。」(詩篇103:15-16)

私たちの一生は草のように儚いものです。けれども、そんな儚い人間が、信仰を込めた唇の宣言によって、すべて造られたものに命令できるのです。ただし、生まれつきの人間が主の御名抜きに命令しても何も起こりません。全地、全被造物を創造された主の御名によって宣言するなら、物事が動きます。主の御名には力があり、主を信じる者の信仰が込められた主の御名の宣言には力があるからです。

そのことが17節以降に書いてあります。「しかし、主の恵みは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、主の義はその子らの子たちに及ぶ。主の契約を守る者、主の戒めに心を留めて行う者に。」(詩篇103:17-18)

人間は草や花のようだと言われてしまいます。「しかし」と書いてあります。主の恵みがとこしえからとこしえまで注がれるのは、主の契約を守り、主の戒めに心を留めて行う人です。この特別な権限は、主の御言葉を守り行う人に与えられるのです。主の御言葉を行わない人がそのまま主の御名を用いても、何も起こりません。主の御名をほめたたえる人は、主の御言葉を守り行う人でなくてはなりません。守り行う人の宣言には力があります。ですから私たちは、主の御言葉を守り行い、主に従順し、また主が立ててくださった権威に従順するのです。

19節。「主は天に王座を堅く立て、その王国はすべてを統べ治める。」(詩篇103:19)

主は天からすべてを治められます。では、神の王国はどこにあるのでしょうか。イエス様は「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」(ルカ17:21)と言われました。「王国」はギリシャ語で「バシレイア」です。領土や国境を持つ国を表すこともありますが、同時に「支配領域」とも訳せる言葉です。神の王国とは神様の支配領域です。ですから、皆さんが神様に支配されているなら、皆さんのうちに神の王国があります。皆さんの家庭が、職場が神様の支配のもとにあるなら、そこが神の王国です。神の王国は、神の御言葉を守り行う人のところにあると言うことができます。だから神様の御言葉を守り行うことがそこまで重要なのです。

目の前の現実が私たちに牙をむくのは、人間が罪を犯したからです。職場の誰かが不祥事を起こせば皆がとばっちりを受けるように、神の子となった私たちもそのとばっちりを受けることがあります。しかし自然界が牙をむくたびに、私たちはダビデのように主をほめたたえ、主の御名を宣言して従わせていくべきです。

冒頭で宣言したローマ書8章19節から23節にこう書いてあります。「被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。」(ローマ8:19-23)

まさに自然界はうめいています。地震、台風、そして今年の夏は雨がひどかったですね。TIAの裏では、子どもたちに畑を体験させたいとお願いしたところ、地元の自然農園の方が畑を二列だけ貸してくださいました。その農園の千葉県の畑は今年の豪雨で根こそぎ台無しになり、近所でもアライグマにトウモロコシを倒されたという話を聞きます。それなのにTIAの畑は豊作に次ぐ豊作で、サツマイモも大きく、里芋は文字通り百倍ほどに実りました。神の子どもたちの畑はこんなにもすごいのかと思いました。大変な目にあっている農園には、クラウドファンディングで少しばかり寄付をさせていただきました。

被造物はうめき、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。私たちは神の子として、うめいている被造物に慰めと平安をもたらすために召されているのです。

ローマ書8章はさらにこう続きます。「私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。」(ローマ8:24-25)

目に見える現実、呪われてうめいている現実に振り回されてはなりません。キリストによって贖われ、神の子とされた私たちは、うめいている被造物に飲み込まれる側ではなく、御言葉と命によって飲み込む側なのです。神の子の現れを待ち望んでいる被造物に向かって、信仰を込めた御言葉を宣言し、平安を宣言し、祝福を宣言するべきです。だからダビデは、すべて造られたものに向かって「主をほめたたえよ」と宣言したのです。そして、ダビデが真っ先に宣言した相手は自分の魂でした。まず自分の魂を征服した上で、自然界に対して宣言していくべきです。

20節。「主をほめたたえよ。主の御使いたちよ。みことばの声に聞き従い、みことばを行う力ある勇士たちよ。」(詩篇103:20)

ダビデは自分の魂の次に、御使いたちに向かって宣言しました。御使いはもともと主をほめたたえる存在ですが、中には主をほめたたえず、自分に栄光を帰そうとした御使いがいました。ルシファー、悪魔サタンです。私たちはまず主の御名によって悪魔サタンを足の下に踏みつけ、征服しなくてはなりません。イエス様も「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」と言われた上で、まず「わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば病人は癒やされます」(マルコ16:15-18)と言われました。うめいている被造物と人々に福音を伝える時、主が真っ先に与えてくださった権威は、悪霊を追い出す権威なのです。

20節の後半では「みことばの声に聞き従い、みことばを行う力ある勇士たち」と言われています。勇士というと、筋肉隆々で力ずくで相手をねじ伏せるイメージがあるでしょう。けれども霊的な真の勇士とは、主の御言葉の真実によって物事や状況をねじ伏せる人です。どうすれば真の勇士になれるのでしょうか。単純です。主の御言葉を守り行うことによってです。状況や人や物事を動かすのに筋肉はいりません。信仰を込めて主の御言葉を守り行い、主の御言葉を宣言することによって、人や物事や状況を主の御旨どおりに動かしていくことができるのです。

21節。「主をほめたたえよ。主のすべての軍勢よ。主に仕え、主のみこころを行う者たちよ。」(詩篇103:21)

ここでも「主のみこころを行い、主に仕える者たち」と出てきました。皆さんが聞き従うべきは、魂の云々、鬼の云々ではなく、主の御言葉、主の御声です。それが勇士です。

そして最後の22節。「主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主が治められるすべてのところで。わがたましいよ、主をほめたたえよ。」(詩篇103:22)

主は良きお方、力強いお方です。ダビデは103篇の最後も「わがたましいよ、主をほめたたえよ」で締めくくりました。103篇は、この言葉でサンドイッチされているのです。私たちの人生もそうあるべきです。初めも終わりも、「わが魂よ、主をほめたたえよ」で始まり、これで締めくくられるべきです。今日一日を主をほめたたえることによって始め、一日の終わりも自分の魂に向かって主をほめたたえよと命じて締めくくり、一生が良いもので満たされ、病が取り除かれ、恵み深くあわれみ深い主の恵みに、とこしえからとこしえまで守られ導かれる皆さんでありますように。

今朝、素晴らしい御言葉を通して私たちを養ってくださったことを感謝いたします。一人一人が主の御声に聞き従い、主にある勇士として世界を治め、被造物に主をほめたたえることを命じ、平安(シャローム)をもたらしていく者でありますように。主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【結論】

人の一生は草のように儚いものですが、主の御言葉を守り行う者には、とこしえの恵みと、主の御名による宣言の権威が与えられています。人間の不従順によって呪われ、うめいている被造物は、神の子どもたちの現れを待ち望んでいます。私たちはまず、鬼の云々する自分の魂に「わが魂よ、主をほめたたえよ」と命じてキリストに服従させ、悪魔サタンを主の御名によって退け、御言葉を行う真の勇士として、地と状況に主の平安と祝福を宣言していきましょう。そして一日の初めも終わりも、人生の初めも終わりも、主をほめたたえる者となりましょう。