) イエスはなぜ実がなる季節ではないのにいちじくの木を呪ったのか。 この後彼は神殿へ行き、商人達を追い出されるが、主の喜ばれる実が無く「人間の取り繕い」といういちじくの葉だらけのものは呪われ枯れてしまう。 主の喜ばれる実、食べ物とは、御心を行いそのわざを成し遂げる事(ヨハネ4:31-38)であり、主に繫がってこそ実を結…
投稿者: tenseiadmin
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仮庵祭としゅろの枝とエルサレム(マルコ11:7-11)한국어예배
) 仮庵祭はしゅろの枝を持ち7日間喜び祝うが、ことばなるイエスは肉体という仮庵に宿り、エルサレムの群集に喜んで迎えられたが、その1週間後には群集から嘲られ、十字架につけられた。 ろばの上のイエスはどんな表情だっただろうか。 しかし主はまさしく、このエルサレムの真っ赤な罪を雪のように白くするために身代わりとして来たのだ。…
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主のご指名は雌ろばの子の子ろば(マルコ11:1-6)한국어예배
) 大事な所へ入場する場面で乗り物を選ぶなら、普通は高級で格好の良いものを指名するものだが、主が指名されたのは、誰も乗ったことの無い子ろばであった。 この場面はゼカリヤ9:9にて預言されていたが、かの王は戦いを止めさせる柔和な平和の王。 主があえて取るに足らない者を用いられるのは、力ある者をさげすみ知恵ある者をはずかし…
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何によって一つとなるか(ピリピ2:1−11)
) 10/11/7 週報 「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。(ピリピ2:2)」 「一致」「志を一つに」という言葉はキリスト教会においても頻繁に使われるが、誰かの考え方やイデオロギーを中心にして、人々を従わせるかのような誤解を招きやすい。 キリスト教会に限らず、幾多の組織が、…
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あなたに宿りたい(ルカ19:1-10) 한국어예배
) ザアカイは取税人であるが、イスラエル人にとって取税人はローマの手先、裏切り者であり、罪人の最右翼のように考えられており、彼はお金を得るために名誉を捨て、律法の正しい事を知りながらせず、したくない悪を行い、心に反する日々を送ってきた。 そんなある日、イエスが傍を通られるといううわさを聞いた。 群集の邪魔を押しのけ、何…
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永遠に賛美する(黙示録7:9-12)
) この世の諸要素はいずれ焼け崩れるが、その後も永遠に残るものがある。 古今東西、あらゆる種族・国の内でイエスを主として信じた者達は、世の改まった後、主と共に永遠に共に生き、黙示録のこの情景を体験する。 天国は罪ある私達には聖く素晴らしすぎて、本来、一時も居れないし、居てはならない。 それでも居る事ができる恵みが素晴ら…
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救い主を呼び止める(マルコ10:46-52) 한국어예배
) バルティマイは人通りの多い道端で物乞いしていた。 彼は盲人であり頼れる身内がいなかったからである。 多くの人達が彼を見下ろし、過ぎ去って行く日々の中、彼は普段と違う町の様子から、ナザレのイエスが通られると知ると、「ダビデの子イエス」すなわち救い主として彼を認め、呼び止めた。 私達も人生の途中でイエスが通られる時「ダ…
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世の支配と御国の支配(マルコ10:35-45)
) イエスが自分の死と復活を予告した時の悲しみや呻きを弟子達は知らず、彼らは偉くなりたい、出し抜いてでも地位を得たい、と考えていた。 この世の支配・被支配の関係は優劣の関係で不平等、怒りを生じさせるが、御国の価値観は全く逆で、進んで仕え、自らを差し出す愛を基にした関係であり、そこに不平等も怒りも無い。 主が自ら犠牲とな…
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ああエルサレム(マルコ10:32-34) 한국어예배
) イエスがまっすぐエルサレムを目指すさまに、弟子達は驚き恐れた。 彼はこれから鞭打たれ唾かけられ、十字架に架かり死ぬ、という肉体的苦難だけではなく、世の始まる以前から御父の懐におられたその御父から捨てられ呪われるという、耐え難い霊的苦難を受けるのだ。 それだけでなく、彼はエルサレムを、呻いて涙を流すほど愛しておられ、…