) バルティマイは人通りの多い道端で物乞いしていた。 彼は盲人であり頼れる身内がいなかったからである。 多くの人達が彼を見下ろし、過ぎ去って行く日々の中、彼は普段と違う町の様子から、ナザレのイエスが通られると知ると、「ダビデの子イエス」すなわち救い主として彼を認め、呼び止めた。 私達も人生の途中でイエスが通られる時「ダ…
カテゴリー: マルコによる福音書
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世の支配と御国の支配(マルコ10:35-45)
) イエスが自分の死と復活を予告した時の悲しみや呻きを弟子達は知らず、彼らは偉くなりたい、出し抜いてでも地位を得たい、と考えていた。 この世の支配・被支配の関係は優劣の関係で不平等、怒りを生じさせるが、御国の価値観は全く逆で、進んで仕え、自らを差し出す愛を基にした関係であり、そこに不平等も怒りも無い。 主が自ら犠牲とな…
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ああエルサレム(マルコ10:32-34) 한국어예배
) イエスがまっすぐエルサレムを目指すさまに、弟子達は驚き恐れた。 彼はこれから鞭打たれ唾かけられ、十字架に架かり死ぬ、という肉体的苦難だけではなく、世の始まる以前から御父の懐におられたその御父から捨てられ呪われるという、耐え難い霊的苦難を受けるのだ。 それだけでなく、彼はエルサレムを、呻いて涙を流すほど愛しておられ、…
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狭い所を通るらくだ
) イエスが金持ちに示したのは十戒のうちの後半6戒だった。これらは人間関係についての戒律で、金持ちは幼い時から守っていると自負したが、より大きな命令である「憐れみ」をおろそかにしていた事に気付いていなかった。 イエスは別の箇所でパリサイ人に、ぶよは濾すが、らくだは無意識に飲み込んでしまうと言い、些細な決まり事は細かく気…
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らくだと針の穴(マルコ10:17-31) 한국어예배 礼拝メッセージ音声
) ある金持ちがイエスに「どんな善い事をすれば」と尋ねたが、イエスの答えは「善いお方」であった。主は、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうが易しい、と言われた。 らくだはこぶに水を溜め込み遠距離まで行けるが、針の穴は通れない。 針の穴を通るには、自己の行いは何の関係も無く、ただ善きお方の前に全てを降ろし…
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子供のように(マルコ10:13-16) 한국어예배 礼拝メッセージ音声
) 弟子達は子供をイエスにさわっていただこうとした者達を叱ったが、イエスはそれを憤られた。 神の国は、子供のような者達のものであり、成熟した大人達のものではない。 子供は素直で、あまり疑わず、難しい事を考えない。感情を自由に表現し、小さく、弱い。 私達も主の御前では子供のように、自由に生き生きとした交わりを持ちたい。 …
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離縁問答(マルコ10:1-12) 한국어예배 礼拝メッセージ音声
) 神が一つ軛に合わせられたものは本来、人間は離してはならないものである。 離縁状を渡して良いのは不貞があった時であり、人間が好き勝手に引き離して良いものではない。 主は姦淫や離婚を憎まれる。不貞に満ちている現在にあって、創造主から与えられた結婚の本来的な祝福を、存分に享受できる皆さんでありますように。 早天祈祷礼拝メ…
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地の塩(マルコ9:49,50) 한국어예배 礼拝メッセージ音声
) 塩は良いもので、料理には欠かせず、味を引き立たせる役割や防腐作用もある。 主は私達を「地の塩」と言われた。私達はこの世に味付けをする事に欠かせず、味気ない世の味を引き出し、腐っていくのを防ぐ役割を果たす者達であるはずである。 もし私達が塩の良い役割を果たさなければ、投げ捨てられ踏みつけられるだけである。 人は試練の…
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つまづきを与える者(マルコ9:42-48) 한국어예배 礼拝メッセージ音声
) つまづきとは、道、真理、いのちから、離れさせる事である。 イエスはつまづきを与える者がいかに災いであるかを強調した。 43節以降は、もしキリストの体のある部分(者)が、体全体をゲヘナに導くようなら、切り離してしまうほうが良いという事を言っていると思われる。 真理ではない異物を持ち込む手、正しい道から離れさせる足、い…
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イエスの名を使う者(マルコ9:38-41) 한국어예배 礼拝メッセージ音声
イエスの名を使って悪霊を追い出している者が弟子達に従わないという理由でヨハネは止めさせたが、イエスはその人は「味方」であるとした。 イエスを信じていない者が、試みにイエスの名を使っても、スケワの息子達のように裸で追い出されひどい目に遭うだけである。(使徒19:11-) イエスを信じ明確に悔い改めた者は大いに力があり、イ…