) 最も重要な掟は、神である主は唯一であり、心、精神、思い、力を尽くして愛する事。そして、隣人を自分自身として愛する事はどんないけにえにも勝る。 前回、前々回ともイエスに質問した者達は彼を陥れようと下心があり、イエスに論破されてもそのまま立ち去ったが、今回のこの律法学者は、御言葉に基づきイエスが正しく答えたのを見て「そ…
カテゴリー: マルコによる福音書
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復活についての問答(マルコ12:18-27)한국어예배 礼拝メッセージ音声
) サドカイ人とは祭司長達と長老達を中心とする特権階級の集団で、モーセ5書のみを信望し、復活や終末、最後の審判を認めない。 その彼らは律法の中でもマイナーな箇所を根拠に、しかもありえないようなケースを想定して、復活は無いと主張しようとしたが、主が引用した御言葉は「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と…
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皇帝のものは皇帝に、神のものは神に(マルコ12:13-17)한국어예배 礼拝メッセージ音声
) パリサイ派とヘロデ派は教条的に相容れない筈だが、今回イエスを陥れようと共に結託してイエスに近づいた。 彼らは皇帝に税金を納めるのは律法において是か非か、という2択で質問してきたが、どちらを選択しても罠に陥る。 サタンのやり方は、自身の邪悪さはさておき、ただ訴える口実のために聖書を利用する。 イエスが示されたのは是で…
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ぶどう園の忍耐強い主人と悪い農夫(マルコ12:1-12)한국어예배 礼拝メッセージ音声
) 雇われている農夫が収穫を納めず、主人の僕達を、ましてや一人息子を殺す事など、あってはならない。 そこまで忍耐強いというか、愚かなほどお人よしな雇い主はいないし、報復を受けて当然な行動をするような雇われ人も、現代社会にはいない。 しかし愛なる神は人には愚かに見えるほど忍耐強く人を救おうと何度も使いを送り、人は、そんな…
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何の権威によって(マルコ11:27-33)한국어예배 礼拝メッセージ
) 人が何かをしている時、その行為の正統性の裏付けとして、何の権威によって行い、その権威は誰が授けたのかを知りたがるが、天の御国の活動をする上での権威は、父なる神様から直接与えられる。 キリストこそ、天においても地においても来るべき世においても全ての権威の頭であり源であり、教会はそのお方の満ち満ちている所である。 それ…
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山が海に移る信仰(マルコ11:20-25)한국어예배 礼拝メッセージ音声
) 神殿があればその町は滅びないのではなく、神の箱を持ち込めば勝てるのでもない。 神を信じる信仰によって勝利を得るものであり、滅びない保証を頂けるのである。 祈りが聞かれないのは欲望による悪い動機で祈るからであって、例え何万回同じ言葉を繰り返しても自分の体を傷つけても決して聞かれない。(ヤコブ4:1-4) 動機は人間に…
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霊的な実と収穫(マルコ11:12-14,20,21)한국어예배 礼拝メッセージ
) イエスが憤られ神殿内を清められたのは、当時神殿において、礼拝者の心を利用した独占的な搾取が行われていたからだ。 現代、神殿とは私達のからだを示し(1コリント3:16)欲望の取引をする強盗の巣としてはならない。 もしそうなっているなら、主イエスが入り込んで清めてくださるのは幸いである。 祈りの家とは本来喜ばしいもので…
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霊的な実と収穫(マルコ11:12-14,20,21)한국어예배 礼拝メッセージ音声
) イエスはなぜ実がなる季節ではないのにいちじくの木を呪ったのか。 この後彼は神殿へ行き、商人達を追い出されるが、主の喜ばれる実が無く「人間の取り繕い」といういちじくの葉だらけのものは呪われ枯れてしまう。 主の喜ばれる実、食べ物とは、御心を行いそのわざを成し遂げる事(ヨハネ4:31-38)であり、主に繫がってこそ実を結…
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仮庵祭としゅろの枝とエルサレム(マルコ11:7-11)한국어예배
) 仮庵祭はしゅろの枝を持ち7日間喜び祝うが、ことばなるイエスは肉体という仮庵に宿り、エルサレムの群集に喜んで迎えられたが、その1週間後には群集から嘲られ、十字架につけられた。 ろばの上のイエスはどんな表情だっただろうか。 しかし主はまさしく、このエルサレムの真っ赤な罪を雪のように白くするために身代わりとして来たのだ。…
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主のご指名は雌ろばの子の子ろば(マルコ11:1-6)한국어예배
) 大事な所へ入場する場面で乗り物を選ぶなら、普通は高級で格好の良いものを指名するものだが、主が指名されたのは、誰も乗ったことの無い子ろばであった。 この場面はゼカリヤ9:9にて預言されていたが、かの王は戦いを止めさせる柔和な平和の王。 主があえて取るに足らない者を用いられるのは、力ある者をさげすみ知恵ある者をはずかし…