_________________ 詩篇25篇は、アルファベットの詩篇であり、1-22節の最初が、ヘブライ語のアルファベット(アレフ、ベート、ギメル、、、タウに至るまで)で開始される。 アルファベット順に並んでいるのは、単なる語呂遊びではない。覚えやすくなっているから覚えなさい、という事である。 いつも飢えている人には…
カテゴリー: 詩篇
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主を礼拝する者のあり方(詩篇24篇)
______________ 詩篇24篇 ダビデの歌 24:1 地と、それに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。 24:2 主はその基を大海のうえにすえ、大川のうえに定められた。 詩篇24篇には、主はいかなるお方であるのかと、主を礼拝する神の民のあり方が記されている。 まずダビデは、主は、この世のす…
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詩篇23篇の最後を信仰告白で飾ったダビデ(詩篇23:6)
________________ 『わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしは とこしえに主の宮に住むでしょう。』(詩篇23:6) ダビデは最後の6節を、自分の主に対する信仰告白で飾った。 聖書の最後も、聖徒の信仰告白で飾られている。 信仰は、表現されなければならない。 内に閉じこめてい…
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聖別する主 ジェホバ・メカディシケム(詩篇23:5)
_______________ 23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。 5節には8つ目の主の御名のご性質、Jehovah Mekaddishkem(ジェホバ・メカディシケム)が込められておいる。 それは「わたしのこうべに油をそそがれる」の所であ…
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共におられる主 ジェホバ・シャンマ(詩篇23:4b)
_______________ 「あなたがわたしと共におられるからです。」(詩篇23:4b) 主が共におられる、それは聖書のいたる所に見られる主のご性質である。 特に「共にいます主・Jehovah Shammah(ジェホバ・シャンマ)という名は、エゼキエル書の最後に登場する。 『町の周囲は一万八千キュビトあり、この日か…
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死の陰の谷を歩むとも災いを恐れない – ジェホバ・ニシ(主はわが旗)(詩篇23:4a)
________________ 「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。」(詩篇23:4a) この有名な言葉の中には、主の御名「ジェホバ・ニシ(Jehovah Nissi:主はわが旗)」のご性質が現れている。 このジェホバ・ニシという主の御名が登場する箇所は、出エジプト記17:15 で、そこは、イ…
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ジェホバ・ロフェ、ジェホバ・チヅケヌー 牧会学の極意(詩篇23:3)
_______________ 詩篇23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。 この節には、主の御名が2つ練り込まれており、そして牧会学(Ministry Pastoral theology)の極意が詰め込まれていて、牧会をするために必要なエッセンスがある。 牧会とは、世において問…
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詩篇23篇に隠された主の御名 – ジェホバ・シャローム(詩篇23:2)
_______________ 『主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。』(2節) この詩篇23篇2節に練り込められた御名は、「ジェホバ・シャローム」(主は平和、平和の主)である。 士師記6:24 この御名「ジェホバ・シャローム」が登場する場面は、主がギデオンを召し出された場面である。 どういう時に主…
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詩篇23篇に隠された主の御名 – ジェホバ・ロイ、ジェホバ・イルエ(詩篇23:1)
_______________ 詩篇23篇は、ダビデが創った詩篇の中でも、珠玉のような詩篇として、キリスト教・ユダヤ教両者から愛されている。 一般の映画や文学でも多く引用され、教会に行った事が無い人でも詩篇23篇のフレーズを聞いた事がある人は多いだろう。 この詩篇23篇は、ダビデ自身の「主はどのようなお方であるのか」と…
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低くされた後、高くされ、栄光を受けるまでの道のり(詩篇22:22-31)
________________ 詩篇22篇の前半は、受難の叫びで満ちていたのに対し、22節以降の後半は、賛美で溢れている。 それは、この詩篇の作者であるダビデが、苦難の中で低くされた後に栄光が与えられた事をあらわしていると同時に、イエス様の受難と死、そして復活と栄光化を正確にあらわす預言である。 ダビデは最初、主は祈…