メッセージ - 即行動する事の大切さ(創世記24:54-61)
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このしもべは、無事にイサクの嫁となる娘の所へ導かれ、めでたく了承までいただき、一件落着したかのようにも見えたが、彼の使命は、まだ終わってはいなかった。
『 僕と従者たちは酒食のもてなしを受け、そこに泊まった。次の朝、皆が起きたとき、僕が、「主人のところへ帰らせてください」と言うと、リベカの兄と母は、「娘をもうしばらく、(少なくとも)十日ほど、わたしたちの手もとに置いて、それから行かせるようにしたいのです」と頼んだ。』(創世記24:55-56)
常識的に考えれば、リベカの兄と母のこの気持ちの方が自然で、それに対する僕の申し出は、なんともせっかち、思いやりが無いように見えるかも知れない。
ある日突然決まった縁談話である。
長年大切に育てて来た、美しい娘であり、妹であるわけだから、彼らの思いとしては、嫁いで行く前に十日とは言わず、一ヶ月、あるいは一年、一緒にいたい気持はあろう。
しかし、家族がリベカを引き止めて、最後のあいさつなどを交わしたり、最後の歓待をして日を過ごしている内に、「やっぱりこの美しい娘、大切な娘を手放したくない」「やっぱり一度も見たことの無い国、会ったことの無い男性に嫁いで行くのは嫌だ」という思いが募ってしまうかもしれない。
彼女はその時、実感が湧いていなかったかもしれないが、彼女がこれから加えられる家は、祝福に満ちた栄光の家系であり、彼女は王族の母となろうとしているのである。
信仰者にとって、目の前の家族との小さな幸いを手放したくないために、さらに優れた幸いを損じる事は、ありがちである。
アブラハムの家に連なる事こそ、リベカにとって最も幸いであり、最も祝福である。
そして私達にとってもまた、神の国とその義とを求め、信仰によってアブラハムの子孫となり、永遠の御国を受け継ぐ事こそ、最も優先すべき事である。
この老僕は、知恵があり、その事を良く知っていた。
だから、思いやりが無いとか、せっかちだとか思われる事を恐れ譲歩するような事はせず、日を置かずに彼女を連れ出すように、願い出たのである。
聖霊もまた、天の父の御思いは何であるかを知り、何が最善であるかを知っておられる。
人の目から見たら幾分せっかち過ぎるのでは、と思えるような導き方もあるかもしれないし、時には、思いやりも無いかのように見えるかもしれないが、それでも、御言葉に裏打ちされた聖霊の導きには、従うべきなのである。
最終的な判断はリベカ本人に委ねられたが、リベカは、即座に行く事を、表明した。
そうして彼女はめでたく栄光の家系に加えられたのであるが、もしこの時、躊躇していたら、そうでなくなる可能性がどんどん大きくなった事だろう。
主の御心が示された時、それを義理や人情、感覚で先延ばしにしているなら、より、やっかいな根が生えてくる事になるものである。
アブラハムは、割礼の契約が与えられた時、その日のうちに男子全員の包皮を切り捨てたし、また、イサクを捧げなさいと言われた時も、翌朝早くに出発した。
時間を置けば置くほど、未練が残ってしまうのが人間というものである。
だから、アブラハムやこのしもべの判断は、正しかったのだ。
いのちを救うために、離れるべき過去、離れるべき世的な楽しみからは、後ろ振り向かず、本気で走って逃げなくてはならない。
ロトとその家族は、滅びるべき町にいつまでも未練を残してしまったため、全ての積み上げてきた財産を、全て失ってしまった。
ロトの妻にいたっては、滅び行くソドムの町を、じっくり眺めてしまったため、塩の柱となって、そこに永遠に留まる事になってしまった。
ラバン達はリベカを祝福して言った。「わたしたちの妹よ/あなたが幾千万の民となるように。あなたの子孫(単数形)が敵の門を勝ち取るように。」
この祝福は、アブラハムがイサクを捧げた時に与えられた祝福と同じである。
自分の大切な家族さえ、主の故に捨てた者に与えられる祝福、それは、子孫(単数形)が敵の門を勝ち取る祝福であり、この「単数形の子孫」は、主イエスキリストの事である。
祝福を与えたのは、信仰のしっかりしていないラバンとその家族であったが、大切なのは、祝福を「さずける側」の信仰ではなく、祝福を「受ける側」の信仰である。
ハンナは、信仰のしっかりしていない祭司エリから祝福を受けた時、信仰を持ってその祝福を受け止めたからこそ、サムエルを生むという祝福に預かった。
主の思いは、私達の願いや、私達の思う最善をはるかに超えて、高い。(イザヤ55:6-9)
結局、自分を降ろして、主の御言葉に従い、主の御心を優先させる事こそ、最善と幸いを受ける事の最も近道であり、自分を捨てて従う者に主は(単数形の)子孫として現れてくださり、その主が、私達の内にあって、敵の門を勝ち取らせて下さるのである。