メッセージ - 講解説教(旧約)カテゴリのエントリ
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詩篇98:1 新しき歌を主にむかってうたえ。主はくすしきみわざをなされたからである。その右の手と聖なる腕とは、おのれのために勝利を得られた。
私達・神の民が、新しい賛美をつくり、新しいメロディを作曲して主をほめたたえる事は、主の命令である。
それは、主が「くすしきみわざ」をしてくださったからだ。
「くすしきみわざ(パーラー)は、元々は「分離する、区別する」の意味で、そこから、神にしかできない不思議、奇蹟という意味となった。
ただ主にしか出来ない、差別化された不思議、奇跡である。
それは、主の右の御手と、聖なる腕によってもたらされ、勝利がもたらされた。
詩篇98:2 主はその勝利を知らせ、その義をもろもろの国民の前にあらわされた。
この節をヘブライ語で見ると、実は、新約福音のエッセンスが記されている。
直訳すると、
「主は、イエシュア(救い=イエス様)を知らされた。彼の義を公に、ゴイーム(異邦人達、異邦の国々)の目に。」
この内容は、まさに、イエス・キリストの福音ではないか!
その救いは、1節にある通り、「御手によって」もたらされた。
イエシュア(イエス様)の御手には、十字架の釘跡がある。
全人類を贖って救いをもたらした、あの十字架の釘跡が。
それ故、黙示録にあるとおり、全被造物は、ほふられた小羊キリストを、こぞってほめたたえるのだ。
詩篇98:3 主はそのいつくしみと、まこととを/イスラエルの家にむかって覚えられた。地のもろもろのはては、われらの神の勝利を見た。
主が覚えておられたのは、主の恵みと真実のゆえである。
人類に罪と死が入ってしまった時、主は、人を救う「女の子孫」をつかわし、彼が蛇のかしら、すなわち、サタンのかしらを踏み砕く、と、約束して下さった。
その恵みと真実を、主はずっと覚えておられ、時至って、イエシュア(イエス様)がこの世に遣わされ、彼によって救いがもたらされた。
4節以降に、その故の賛美の命令が記されている。
詩篇98:4 全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。声を放って喜び歌え、ほめうたえ。
人は、全被造物に向かって命令する立場にある。(創世記1:28)
全被造物を命令するに値する人とは、「主にある人」である。
主にない者が、全被造物を支配すると、被造物をうめかせてしまう事になる。
今、まさに被造物は、うめきの中にある。
なお、ここで反復されている言葉は「喜ばしい声をあげよ」「喜びうたえ」である。
私達の中から、主への賛美が沸き起こって来る、その源は、まさに、救われた事の喜びと、主が真実であられる事ゆえだ。
賛美は、主の救いの確信に基づいた源があってこそ、できるものである。
たとえ喜べない状況であっても、主を賛美するなら、救いの確信と喜びが沸き起こって来る。(詩篇34篇)
もし、賛美によって、怒りや恐れ、悲しみが沸き起こってくる人があるとするなら、その人は、悪霊に憑かれた人である。
その人の中にいる悪霊が、賛美の内に住んでおられる主を怖がり、悲しんでいるのだ。(1サムエル記14章)
詩篇98:5 琴をもって主をほめうたえ。琴と歌の声をもってほめうたえ。
詩篇98:6 ラッパと角笛の音をもって/王なる主の前に喜ばしき声をあげよ。
ここで反復されている「ほめ歌を歌え(ザーマル)」は、元の意味は「指で打つ」、そこから、弦楽器や鍵盤などを打って、楽器を演奏する、あるいは、声でメロディをかなでる意味となった。
賛美の際には、音に出せ、という事である。
礼拝中であろうとなかろうと、賛美をする時は、口パクするべきではない。
主をほめたたえる時は、実際に声に出し、また、色々な楽器をたくみに用いて、メロディを出すように、と、命じられているからだ。
その命令は、全被造物に対して、である。
詩篇98:7 海とその中に満ちるもの、世界とそのうちに住む者とは鳴りどよめけ。
詩篇98:8 大水はその手を打ち、もろもろの山は共に主のみ前に喜び歌え。
海も、川も、山も、実は主をほめ讃え、主の栄光をあらわしている。
人は、人と人との間にいる時に病む事はあっても、自然の中にいると、癒やされ、なごむのは、全ての創造主、愛なる主の栄光があらわれているからだ。
この詩の最後には、主がさばきのために来られる事を宣言している。
詩篇98:9 主は地をさばくために来られるからである。主は義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれる。
主の民は、主のさばきを、喜びとして受け止めることができる。
しかしサタンとそれに属するものは、主のさばきを、糾弾材料として、あるいは恐怖や悲しみとして受け止める。
主のさばきは「公正」である、と書いてあり、公正なさばきは、主の民にとっては慰め、不正を愛する者にとっては都合が悪いからである。
最終的には、天も、地も、地の下も、その被造物も、また、そこで生きる全ての生き物も、こぞって主をほめたたえる事になる。
黙示録5:11 また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。
黙示録5:12 彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」
黙示録5:13 また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」
黙示録5:14 また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれ伏して拝んだ。
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- 執筆 :
- pastor 2022-2-15 8:00