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メッセージ - 礼拝メッセージ説教音声配信カテゴリのエントリ

詩篇 講解説教

群れの模範となる牧者となりなさい(1ペテロ5:1-11)

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他の引用箇所:
ヨハネ21:15-22
 

主日礼拝

パウロとテモテから学ぶ真の親子関係の絆(2テモテ1:1-8)

第一礼拝 Youtube動画

賛美集会〜第二礼拝 Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 本日は父の日、普段から一家を守り養うために働いている父に感謝する日である。私達には肉の父がおり、霊の父もいる。たとえ血の繋がりはなくても、キリストにあって、血の繋がりよりも濃い「真実な父子関係」がある。今回、パウロとテモテの霊的父子関係から、キリストにある親子関係のあり方を見直して行きたい。
 
 パウロは結婚はしておらず、子はいない。しかしテモテを「真実のわが子」(1テモテ1:2)と呼んだ。つまり、福音を伝道されて、信じて、霊において新しく生まれた人にとっては、イエス様を伝えてくれた人こそ霊における真の親であり、また、常日頃から御言葉によって霊的に養っている人こそ、真実の父、また母なのだ。
 霊の親は、夜となく昼となく、霊的に面倒を見ている「真の子供」のため、祈るものである。パウロは日頃、夜昼祈る習慣があり、その祈りの内で、いつもテモテの事を思い起こしていた(2テモテ1:3)。
 『わたしは、あなたの涙を「おぼえ(させられ)ており(現在形受動態)」、あなたに会って喜びで満たされたいと、切に願っている。』(4節) パウロはこの時、聖霊によって、テモテの顔が思い浮かばされたが、その顔は、涙を流していた…。それでパウロは、是非ともテモテに会いたいと思った。けれども今、牢に繋がれており、しかももうすぐ処刑される事が何となく分かる。その状況で、このテモテへの手紙を書くに至った。
 現代は、顔を見たくなったり、声を聞きたくなったら、スマートフォンを取りだせば良いし、また何千キロの距離でも、車や飛行機で、すぐに行く事が出来る。しかし当時は、そう簡単には行かない。切に会いたい時は、ただ相手を思い巡らし、祈る以外には無かった。私達も、霊的息子・娘を養う時、日夜、愛を込めて祈り続けるなら、彼らの状況が、霊によって良くわかる。あ、今この子は泣いている。今この子はうまくやっている、と。世の理論やモノ、方法に手軽に手を伸ばす以前に、よく祈るなら、その子は健全に育つのだ。
 
 テモテはその時、なぜ涙を流すような状況だったか。彼はその当時、エペソ教会の担任牧師としてパウロから按手を受け、若きリーダーとして頑張っている最中だった。当時、エペソの教会は、異端がはびこる危険性があり、教会の中でも諸々の問題があった。そんな彼に、パウロは的確にアドバイスをする。
 『こういう訳で、あなたに注意したい。わたしの按手によって内に頂いた神の賜物を、再び燃えたたせなさい。というのは、神が私達に下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。』(6-7節)
 
 今、本当に私達も、涙を流したい時代に生きている。コロナがはびこり、諸々の情勢は悪化し、将来の不安がある。若い世代がこれから生きていく将来のため、自分達は何を彼らに備え、残してやれるだろうか…。
 パウロはアドバイスする。全ての肉の親・霊の親に、全て涙を流しながら任に当たっている働き人に、また、リーダー達に。「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」と。
 私達に助け主・聖霊が来るなら、イエス様が成したわざをする事ができ、また、それ以上の事ができる!
その助け主は、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊である。聖霊の第一の現れは「力」であるが、ただのイケイケな力ではなく、慎みの霊でもある。その、力と慎みとの中心にあるのが「愛」、これこそ重要である。
 全き愛は、恐れを締め出す。もし恐れているなら、愛が全うされていない状態だ。しかし子供や兄弟姉妹を何とかしてやりたい、という愛が燃え立たされているなら、恐れず、ひるまず、大いなる働きをしていく。
 テモテは思い起こす事が出来た。自分は、パウロから按手を受け、その時にいただいた霊は、力と愛と慎みの霊だ!と。 その後、テモテが素晴らしい牧会をして教会を成長させた事は、エペソ教会の遺跡が物語っている。今は廃墟だが、エペソ教会は、長さ400メートル、馬が内部を通れるほどの建物だった。
 
 肉の親子関係であれ、霊の親子関係であれ、私たちはどれほど、愛をもって父母の役割を果たしているだろう。あるいはどれほど、日頃養いをいただいている父母に感謝しつつ従っているだろう。
 私達もパウロにならい、子のために日夜、祈りに覚えるべきである。また、テモテのように、霊の父母からいただいた御言葉を思い起こし、与えられている御言葉と聖霊によって、力と、愛と、慎みに富んだ働きをしてゆくべきである。私達はますます立派な霊の親となり、また、霊の養いをいただいている霊的な父母を敬い、素晴らしい愛の関係を保っていく皆さんでありますように、イエス様のお名前によって祝福します!
 

金曜徹夜祈祷会

あなたがたこそ、いつもわたしについて来てくれた人たちです(ルカ22:14-34)

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他の引用箇所:
ヘブル12:18-25
箴言30:24-28
 

早天礼拝

闇の次元から光の次元へと乗り越える門(哀歌3:22-27)

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早天礼拝

私達を練り、清め、神の民として下さる主(詩篇66篇)

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詩篇66篇表題『聖歌隊の指揮者によってうたわせた歌、さんび』
 
前の詩篇のいくつかは、ダビデが作者だったが、この詩篇は、作者の名は記されていない。
 
この詩篇は,国家的な危機からの救いを感謝するものである.背景は不明であるが,13節からは1人称になっているので,王が民を代表して神に感謝をささげていると考えられる.
1節.〈全地よ〉を,神の世界支配の告白と最近の具体的な出来事において示された神の主権への言及とすれば,アッシリヤの敗退というヒゼキヤ王の時の出来事を示唆すると考えられる。(実用聖書注解)
 
詩篇66:1 全地(エレツ)よ、神にむかって喜び呼ばわれ。
 
エレツは、地、地球、世界などの広い意味があり、その、エレツの上にある全ての生き物、植物、鉱物、そして悪人も善人も含めた全人類に対し、呼びかけでこの詩は始まる。
それら全ての創造主である、神に向かって、喜び呼ばわれ!と。
 
詩篇66:2 そのみ名の栄光を歌え。栄えあるさんびをささげよ。
 
実際、全被造物の美しく調和が取れた存在によって、また、それら各々の働きと営みによって、神の栄光は表れており、誰にも弁解の余地は無い。(ローマ1:20)
しかし、全被造物の中で唯一、神の栄光をあらわす事をしない「例外」が、堕落してしまった人間である。
唯一、神に似たものとして創られた人間が、唯一、神の栄光を貶める存在となってしまったという「究極の皮肉」に、全被造物は、うめきつつ、彼らが贖われて神の子があらわれる事を、切に待ち望んでいる。(ローマ8:19-20)。
 
詩篇66:3 神に告げよ。「あなたのもろもろのみわざは恐るべきかな。大いなるみ力によって、あなたの敵はみ前に屈服し、
66:4 全地はあなたを拝み、あなたをほめうたい、み名をほめうたうであろう」と。〔セラ
 
神の御業が恐ろしい、と、ことさらに感じるのは、神に敵対する者達である。
エジプトのパロは、最初、神の言葉を伝えるモーセを侮ったが、最終的に、エジプトの軍隊は海に沈められ、神の前に屈服させられた。
また、ペリシテの神ダゴンも、当初はイスラエルの神に勝ったと思われて、ダゴン神殿に契約の箱が安置されたが、ダゴン像は、神の契約の箱を前にひれ伏せられた挙げ句、頭と胴体が切り離された状態で発見された。(1サムエル記5章)
 
5節以降は、神の民に対しての呼びかけである。
 
66:5 来て、神のみわざを見よ。人の子らにむかってなされることは恐るべきかな。
66:6 神は海を変えて、かわいた地とされた。人々は徒歩で川を渡った。その所でわれらは神を喜んだ。
66:7 神は大能をもって、とこしえに統べ治め、その目はもろもろの国民を監視される。そむく者はみずからを高くしてはならない。〔セラ
 
神は、神の民イスラエルをエジプトを脱出させる際、紅海を割って、海をくぐらせた。
彼らはみな、雲と海とでモーセにつくバプテスマを受け、みな同じ御霊の食べ物を食べ、みな同じ御霊の飲み物を飲んだ。彼らについて来た御霊の岩とは、キリストの事である。(1コリント10:2-4)
イスラエルの民は、モーセを通して律法が与えられ、荒野にて、主ご自身が与える食物によって養われつつ訓練を受けた。
 
その後、神は、ヨシュアを通してヨルダン川を渡らせ、ついに約束の地へと入らせた。
そのヨルダン川は、バプテスマのヨハネがそこで人々に水のバプテスマを授け、イエス・キリストへと導いた所である。
 
モーセは神の民を、エジプトという世から脱出させ、神の訓練所である荒野へ導いたものの、モーセ自身は、約束の地に入れなかった。
同様に、モーセを通して与えられた律法は、神の民を訓練する養育係ではあっても、約束の地には到達し得ない。
しかし、ヨシュアが神の民にヨルダン川を渡らせ、荒野から約束の地へと入らせる事が出来たように、まことのヨシュア(=ヘブライ語イエシュア=イエス)であるイエス・キリストを信じる信仰によって、私達は、永遠の約束の地・天国に入る事が出来るのだ。(ガラテヤ3:17-29)
 
66:8 もろもろの民(アム)よ、われらの神をほめよ。神をほめたたえる声を聞えさせよ。
66:9 神はわれらを生きながらえさせ、われらの足のすべるのをゆるされない。
 
1節は「全地(エレツ)よ」の呼びかけで始まったが、8節は「もろもろの民(アム)よ」という呼びかけによって始まる。
アムは「人々」を意味するが、人々の中でも「善」に属する人々を、特に、イスラエルの人々や神の民をあらわす事が多い。
つまり1-7節は、神を敬う民も、敬わない民も、全部ひっくるめた全被造物に対するメッセージだったが、8節以降は、特に神の民に向けてのメッセージである。
それで作者は、「われらの神をほめよ。神をほめたたえる声を聞えさせよ」と呼びかけている。
神の民は、神に対し声を上げて賛美するべきだ。なぜなら神は、神の民を「生きながらえさせ、われらの足のすべるのをゆるされない」からだ。
 
66:10 神よ、あなたはわれらを試み、しろがねを練るように、われらを練られた。
 
炉の中で鉱物を溶かして、かなかすを除くのと同じように、神は、神の民を試練の中で精錬して、より純化する。
神はイスラエルの民に荒野を通らせ、不従順な世代を取り除いたように、私達を試練の中を通らせ、私達の中から要らない性質、不従順な性質を取り除かれる。
そうして純化された神の民を、広い、祝福の地へと導き入れてくださる。
 
66:11 あなたはわれらを網にひきいれ、われらの腰に重き荷を置き、
66:12 人々にわれらの頭の上を乗り越えさせられた。われらは火の中、水の中を通った。しかしあなたはわれらを広い所に導き出された。
 
神は、私達の中に、神を離れて自分勝手な所に行ってしまう性質がある時、それを取り除くために、敢えて貶め、人々が彼の頭の上を乗り越えて行くような所を、通らせる。
放蕩息子が、父の元を離れて、世に出ていって放蕩した時、人々はよってたかって彼から剥ぎ取り、彼が全てを失った時は豚の世話をさせ、しまいに彼は、豚の餌さえ食べたいと思わせる程、みじめな思いをした。(ルカ15章)
しかし、全てを支配しておられる神は、憐れみのゆえに、彼らが火の中、水の中をくぐっても助かるように、手加減をしてくださり、しかも彼らの中から要らない部分「かなかす」だけを焼き尽くして取り除いて下さる。
これは、神は私達を愛しておられ、私達がより純粋な者となるために、取り計らってくださっているのだ。(イザヤ43:2-4)
 
放蕩息子が困難の渦中で、我に返り、父の元に帰った時、父は放蕩息子が帰ってきた事を喜び、宴会を開いて祝った。
同じように、神の元を離れた罪人が、悔い改めて立ち返るなら、天において、御使い達の間に、大きな喜びと、宴会が沸き起こるのだ。
 
66:13 わたしは燔祭をもってあなたの家に行き、わたしの誓いをあなたに果します。
66:14 これはわたしが悩みにあったとき、わたしのくちびるの言い出したもの、わたしの口が約束したものです。
66:15 わたしは肥えたものの燔祭を/雄羊のいけにえの煙と共にあなたにささげ、雄牛と雄やぎとをささげます。〔セラ
 
神の民が苦しみに遭った時、思い出すのは、主の家(神殿、教会)である。
ハンナは、苦しみの時、主の宮にのぼって、言葉にならない祈りと誓いを捧げた(1サムエル記1章)。
またヨナは、神の命令とは逆方向に行った時、あらしに遭って船から放り出された挙げ句、魚に飲み込まれたが、彼はその魚の腹の中から、主に祈り、主の宮を慕い求め、かろうじて助かった。(ヨナ書1-2章)
 
人は苦しみの中で、神に誓いを立てるが、その立てた誓いは、しっかり果たすべきである。
ハンナが祈った通りに、神は彼女に男の子を与えられ、ハンナは、誓願した通りにその子を捧げた。
その結果、神はハンナを豊かに祝福し、さらに子を与えられた。彼女は大きな喜びの内に、素晴らしい賛美を主に捧げた。(1サムエル記2章)
 
ヨナのほうは、助かった後、主の言葉どおりニネベに行って宣教したものの、まだ心に苦さを覚え、主に不服を申し立てたが、主はヨナを、その苦々しさから救い出すために、東風と虫を備え、実体験を通して主の御思いを知らされた。(ヨナ書4章)
 
66:16 すべて神を恐れる者よ、来て聞け。神がわたしのためになされたことを告げよう。
66:17 わたしは声をあげて神に呼ばわり、わが舌をもって神をあがめた。
 
この詩の最後は、主をほめたたえる賛美で終わる。
 
66:18 もしわたしが心に不義をいだいていたならば、主はお聞きにならないであろう。
66:19 しかし、まことに神はお聞きになり、わが祈の声にみこころをとめられた。
 
主は、心を見るお方である。
外見はうやうやしく礼拝しているかのように見えても、心が御前で純粋でないなら、主は、その祈りを聞かれない。
しかし、心が主に対してまっすぐなら、主はその祈りを聞かれる。
そうして純粋に御前で祈り、心を尽くして礼拝するなら、その祈りが聞かれた時には大きな喜びと感謝があふれる。
 
66:20 神はほむべきかな(バラク)。神はわが祈をしりぞけず、そのいつくしみをわたしから取り去られなかった。
 
バラクは元々、ひざをつくという意味である。主の前にひざをついて低くなる事こそ、人の側の分である。
 
神が人を祝福する、というのは、神が、天の高い所から下りてきて、ひざをついて低くなって便宜を図って下さるものである。
だから、究極に低くなられたイエス様の十字架こそ、祝福の真骨頂である。
高き所から降りて来られ、弱く罪を犯しがちな私達を憐れみ、救い、贖って下さった、素晴らしい神の御前に、いつも低くへりくだり、声をあげて主を賛美し、感謝を捧げるのが、私達が為すべき分である。

主日礼拝
時代の支配者・先駆者となって行くために(ヨシュア記1:1-9)
第一礼拝 Youtube動画
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週報/メッセージ(説教)概要

 世界は、新しい時代に突入している。自動化やAI化が進み、今まであった仕事がどんどんコンピュータに奪われつつあるこの時代、今までの固定概念に安住し続けて、それ以上の事をしないなら、どんどん他人やコンピュータに主導権を奪われ、ただ、与えられた仕事しか出来ない奴隷のような人生になってしまう。
このような時代でも主にあって主導権を勝ち取り、支配者となるため、今回はヨシュア記から恵みを得たい。
 
 ヨシュア記は、今までの偉大な指導者モーセが死んで、まさに新しい時代に突入した時点から始まる。
 『今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。』(ヨシュア記1:2) まず、一番先に超えなくてはならない境界は、ヨルダン川である。
それまでは、ヨシュアも、イスラエルの民も、モーセ抜きで主体的に動いた事はなかった。ヨルダンのこちら側には、既に、ある程度の良い領土を勝ち取っていた。わざわざヨルダン川を超えて、父の代が恐れ尻込みして入って行けかった、あのカナンの地へと入っていくには、未知の恐怖や躊躇はあったかもしれない。
 しかし、主が「行って、獲なさい」と言われた領域は、ヨルダン川のこちら側にとどまらず、ヘテ人の全土や大河ユーフラテス、および、日の入る大海に至るまで、という、遥かに広大で、豊潤な地だった。(4節)
 今、私達も同じチャレンジを受けている。今、私達はそこそこ快適な暮らしが与えられているかもしれない。
そこに満足して「何でわざわざ未知の領域へ踏み出さなくてはならないのか?」と思っていないだろうか?
私達は今、聖書に書かれてある全部の、どれくらいを経験しているだろうか?約束された祝福の、どのくらいを勝ち得ただろうか。約束の聖霊をいただいているだろうか。癒しやしるし、奇跡を体験しているだろうか。
イエス様のわざを、どのくらい行っているだろうか?もし得ていないなら、私達も勝ち取って行くべきである。
 主はヨシュアに保証を与えられた。「あなた方が、足の裏で踏む所は皆、わたしがモーセに約束したように、あなた方に与える」(3節) 足の裏で踏む所が自分のものとなる約束は、自分の目や判断で進もうとする、生来の性質と決別し、ただ主の約束に従って歩む事を示した時に与えられる。信仰の父・アブラハムに「足で踏みゆく所はことごとく与える」と約束が与えられたのは、そのようなロトと決別した直後だった。
ヨシュアにこの約束が与えられたのも、神の約束を退けた不従順な世代が、皆、死に絶えた後だった。
 主から言われた通り、彼らがヨルダン川の前まで来た時、契約の箱をかつぐ祭司達が水を湛えている川に、一歩足を踏み入れた時、川は堰き止められ、祭司達は契約の箱をかつぎながら、川底に留まり続けた。
それを見たイスラエルの民は、安心して、せき止められた川を渡る事ができた(3章)。私達も、私達の子供や、信仰の後続達の牽引役になるために、この祭司達にならい、「現代の契約の箱」を担いで行くのだ。
 現代の契約の箱とは、「旧契約聖書」と、「新契約聖書」、この契約の書に書かれてある内容を信じ、行い、その内容を担いだ人生を歩んで行くのだ。契約の箱の中には、仝羝斥佞記された石の板と、▲泪覆入った金の壷と、2蠅鬚佞い織▲蹈鵑両鵑あった。私達も仝羝斥佞修里發里函↓⊃世いのちを養って下さる約束と、そして、死からいのちへの復活のしるし・永遠の祭司のしるしを握りしめて行くのである。
それらを担いで進み行くなら、たとえ死の川が横たわっていても、それを踏みつけ、進み行く事が出来る。
 
 『あなたはこの民に、わたしが彼らに与えるとその先祖達に誓った地を獲させなければならない』(5-6節) 
私達も、主が約束して下さった地を、子々孫々へと継がせなくてはならない。主が与えると約束して下さった地は、申命記11章に記されている素晴らしい地である。すなわち、そこは自分で種を蒔いたり、自分の力で水をやらなければならない地ではなく、山と谷の地で、天の雨で潤っている。そこは主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、主が絶えずその上に目を留めておられる(申命記11:11-12)。
 そのような素晴らしい地が与えられるのは、御言葉を昼も夜も口ずさむテフィリン世代にのみ、である。
なぜなら申命記の続く13節以降にそのように書いてあるし、またヨシュア記も以下のように続くからである。
 『この律法の書をあなたの口から離す事なく、昼も夜もそれを思い、その内に記されている事を、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。』(8節)
 この困難な時代、勝利者・支配者の側になるため必要な事は、自分の目や判断で進む生来の性質と決別し、御言葉を昼も夜も口ずさみ、神の約束をしっかり握りしめる「テフィリン世代」となる事だ。世の固定概念に縛られず、大胆に御言葉を実行し、大胆に支配権を獲得し、多くを得ていく皆さんでありますように!
 

 

金曜徹夜祈祷会

主の御旨に忠実な人には、眠っている間に備えが来る!(使徒11:19-12:11)

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他の引用箇所:
マタイ18:18-20
詩篇127:1-2
 

ホセア書 講解説教 水曜夕礼拝

姦淫の霊(ホセア5章)

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エゼキエル書 講解説教 水曜昼礼拝

聞き従わなかった故に何倍も重くされた罰(エゼキエル5章)

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早天礼拝

主に聞き従う者に与えられる、豊かな喜びの収穫(詩篇65篇)

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詩篇65篇表題『聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、さんび』
65:1 神よ、シオンにて、あなたをほめたたえる(テヒラー)ことは/ふさわしいことである。人はあなたに誓いを果すであろう。
65:2 祈(テフィラー)を聞かれる方よ、すべての肉なる者は罪のゆえにあなたに来る。われらのとががわれらに打ち勝つとき、あなたはこれをゆるされる(カーファル)。
 
神は、罪を犯してしまう弱い人間を憐れみ、主に泣きついて来る人を赦して(カーファル)くださるからこそ、人々は賛美(テヒラー)と祈り(テフィラー)をもって御前に集う。
 
カーファルは元々、「覆う」が原意で、「無かったことにする」事である。
人はただ、主の一方的な恵みにより、罪を覆われ、義とされるのだ。
だからもし、自分は正しい事を行って来た・悪を行わなかった、などと主張して、自分を正しいと見なす事には何の意味も無く、むしろ、神の義から遠ざかってしまう。
 
パリサイ人は自分と取税人を比較し、自分があれをした、これをした、と、神の前でとうとうと自慢話をしたが、取税人は、遠く離れ、顔を天に向けようともせず、ただ自分の胸を叩いて、ただ「罪人のわたしをお赦し下さい」と祈った。ここで義とされたのは、取税人のほうだった。(ルカ18:9-14)
主は、自分で自分を義とする人ではなく、主に泣きついて来る人をこそ憐れみ、その人の罪を覆って下さるのだ。
 
結局、私達・人間は、自分の罪を覆い隠す事は、できない。
エデンでアダムとエバが、いちじくの葉で裸を覆ったが、それは何の役にも立たなかった。ただ、主が動物の血を流して得た皮の衣こそ、彼らの裸を覆う事ができた。
 
65:4 あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、あなたの大庭に住む人はさいわいである。われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の/恵みによって飽くことができる。
 
なぜ聖徒は、主の宮に集うのか。
それは、主に泣きついて行く人に、罪の贖いが与えられ、それによって、赦された事の開放感が与えられ、また、永遠なる主との関係を取り戻し、そして、受け入れられている事の安心感と、主に愛されている事の甘い感覚と、また、実際的な問題解決と、セキュリティが与えられているからだ。
 
65:5 われらの救の神よ、地のもろもろのはてと、遠き海の望みであるあなたは/恐るべきわざにより、救をもってわれらに答えられる。(新共同訳:)遠い海、地の果てに至るまで/すべてのものがあなたに「依り頼みます(ミブタハ:避難所、拠り所)」。
 
罪を自覚し、御前に泣きついて礼拝に来る人には、主は、祝福で答えられるが、神を恐れず、神の民を苦しめる者に、主は、恐ろしさをもって、その栄光を表される。
かつてエジプトは、イスラエルの民を430年もの間、奴隷として扱い、それでいて、自分が犯した悪のわざを一切悔い改めなかったが、神はエジプトに対し、恐ろしい災いで御力を表した。
しかし、イスラエルに対しては、救いと贖いの神としてあらわされた。
 
65:6 あなたは大能を帯び、そのみ力によって、もろもろの山を堅く立たせられる。
65:7 あなたは海の響き、大波の響き、もろもろの民の騒ぎを静められる。
 
海は、定まりのない恐ろしい所を、または、不信仰の世界を象徴する。
そのような、主を敬わない国民には、「騒ぎ」がある。
しかし主は、その大能の御力によって、それら全ての騒ぎを鎮められ、そして諸々の山を堅く立たせるお方。
 
65:8 それゆえ、地のはてに住む人々も、あなたのもろもろのしるしを見て恐れる。あなたは朝と夕の出る所をして/喜び歌わせられる。
 
朝と夕の出る所とは、すなわち、一日の初めから終わりまで、そして東の果てから西の果てまで、すなわち世界の隅から隅までをあらわす。
すなわち主は、世界の隅々までを支配し、人々を恐れ敬うようにさせ、また喜び歌うようにさせてくださる。
 
9節以降は、罪を悔い改め神の民とされた人々に与えられる、収穫の祝福が記されている。
 
65:9 あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、これを大いに豊かにされる。神の川は水で満ちている。あなたはそのように備えして/彼らに穀物を与えられる。
 
人が主に立ち返り、その罪が覆われると、主は、その地を豊かに実らせるための、下ごしらえをされる。
 
65:10 あなたはその田みぞを豊かにうるおし、そのうねを整え、夕立をもってそれを柔らかにし、そのもえ出るのを祝福し、
 
夕立と訳された語は、申命記11:14の「先の雨」である。
『わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。』(申命記11:14)
 
この先の雨は、ユダヤの地で10-11月に降り、土地を柔らかにし、種から芽を出させ、その年に萌え出る苗の量を左右する、重要な雨である。
 
65:11 またその恵みをもって年の冠とされる。あなたの道にはあぶらがしたたる。
 
あぶらと訳された語「デシェン」は、豊かさや脂肪を意味する。
せっかくたくさんの芽が萌え出たとしても、その後の雨がなければ、枯れてしまう。
その後の実りをさらに豊かにしてくれるのが、申命記11:14に出てきた「後の雨」である。
 
この「後の雨」は、3-4月に降って、根付いた苗の実りを豊かにする、いわば木々に果実という「冠」を与える雨である。
この、先の雨と後の雨の両方が主から送られる事によって、その年の実りが豊かになるのだ。
これによって地が潤されると、家畜が食べる草も豊かに生え出て、家畜たちも命がみなぎるようになる。
 
65:12 野の牧場はしたたり、小山は喜びをまとい、
65:13 牧場は羊の群れを着、もろもろの谷は穀物をもっておおわれ、彼らは喜び呼ばわって共に歌う。
 
主を敬う民は、確かに、このように祝福される。
しかし、イスラエルが主を無視して別の神々を拝んでいた時代には、例えば、アハブやイゼベルの時代には、先の雨も後の雨も一切降らず、地につゆさえ降らなかった。
主はそれでも、悔い改めて立ち返る人には、豊かに雨を返してくださる。
 
レビ記26:3 もしあなたがたがわたしの定めに歩み、わたしの戒めを守って、これを行うならば、
26:4 わたしはその季節季節に、雨をあなたがたに与えるであろう。地は産物を出し、畑の木々は実を結ぶであろう。
26:5 あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取入れの時まで続き、ぶどうの取入れは、種まきの時まで続くであろう。あなたがたは飽きるほどパンを食べ、またあなたがたの地に安らかに住むであろう。
26:6 わたしが国に平和を与えるから、あなたがたは安らかに寝ることができ、あなたがたを恐れさすものはないであろう。わたしはまた国のうちから悪い獣を絶やすであろう。つるぎがあなたがたの国を行き巡ることはないであろう。
26:7 あなたがたは敵を追うであろう。彼らは、あなたがたのつるぎに倒れるであろう。
26:8 あなたがたの五人は百人を追い、百人は万人を追い、あなたがたの敵はつるぎに倒れるであろう。
26:9 わたしはあなたがたを顧み、多くの子を獲させ、あなたがたを増し、あなたがたと結んだ契約を固めるであろう。
26:10 あなたがたは古い穀物を食べている間に、また新しいものを獲て、その古いものを捨てるようになるであろう。
 
主に聞き従い、その言葉を守り行い、御言葉に約束された祝福に、豊かなあずかっていく皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!
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