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主日礼拝

私達が獲得しようとしている地はどういう所か(申命記11:10-12)

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週報/メッセージ(説教)概要

 アブラハムは、本土・親戚・父の家という「縄張りやしきたり」を離れ、主が示された地に入ったため、祝福の実体を、大いに受けた。私達もこの2021年、罪深い、以前の縄張りやしきたりを離れ、神様が示された御言葉のしきたりと、御言葉の縄張りの中へと入って行き、実際的・具体的にアシェルの祝福の実体を得る年として、御言葉が与えられた。本日は特に、アブラハムとその子孫である私達に約束された「土地」「住む所」は、具体的にどういう所かを見ていきたい。
 
 『あなたがたが行って取ろうとする地は、あなたがたが出てきたエジプトの地のようではない。あそこでは、青物畑でするように、あなたがたは種をまき、足でそれに水を注いだ。しかし、あなたがたが渡って行って取る地は、山と谷の多い地で、天から降る雨で潤っている。その地は、あなたの神、主が顧みられる(ダーラシュ:求める、探す、要求する)所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。』(申命記11:10-12)
 これが、主がアブラハムの子孫に与えようと400年以上も前から目を注ぎ続け、準備しておられた地である。主がいつも目を留めておられる、このような地を受け継ぐ今年でありますように!
 
 創世のはじめ、地は、沸き上がってくる泉によって全地が潤っていた(創世記2:16)。エデンの園は、人が自分の力で開墾したり、除草や害虫駆除したり等、労苦する所ではなく、主がふんだんに実らせて下さった喜びの園を「守り(シャマール)」「仕える(アバァド)」所である。(同2:15)
しかし御言葉に背き、善悪を知って、神のようになった人間は、エデンから追い出され、額に汗し、次から次へと生え出るいばらやあぜみと格闘しながら地を耕し、労して食を得るようになった。
 しかし、主が神の子達に、すなわち、詩篇1篇の「3つの”ず”」を離れ、昼も夜も御言葉を口ずさむテフィラーが相続する地は、年中、主の目が注がれていて、天の雨で潤っており、神の子達はそこで主に仕え、主ご自身が豊かに実らせて下さるものを「守る(シャマール)」のである。
 そこはエジプトのようではない、と言われた。こき使われて労苦する所ではなく、主が潤し、ふんだんに実らせて下さった実りを、全被造物の益となるために、正しく管理する仕事場である。
 イスラエルの民は、主が用意されたその地へ向かう途中、何度か、エジプトをなつかしんだが、いかに、エジプトがナイルで潤っているとはいえ、所詮、額に汗し、自分の手足で働き、労して食を得る生き方の範疇を出られない地である。私達はそんな、エジプトの流の生き方(しきたり)から、離れなくてはならない。この生き方パターンは、エデンの外側で、自分の善悪判断で生きる生き方であり、私達はそうした「本土・親戚・父の家」から離れ、主が常にその目を注がれ、いつも主が面倒を見ておられる地に入り、そこで、御言葉に留まり、正しく生きるべきである。
エジプト流の生き方を注意深く見極め、離れ、祝福のパターンに入る皆さんでありますように!
 
 今、世界は、エデン園の良き世界とはかけ離れていて、額に汗を流し、労苦し、食を得なくてはならない、どころか、額に汗したくても、食を得たくても、できないような時代になりつつある。
このような時代だからこそ、私達はますます、古い生き方の本土・親戚・父の家を離れ、神様の言葉のしきたり、神様のガードがある縄張りに留まり続けるべきである。すなわち、詩篇1篇の「3つの”ず”」から離れ、主の教えを喜びとし、御言葉を昼も夜も口ずさむテフィラーとなるのだ。
 ユダヤ人が暗唱している律法(トーラー)は、約束の地に入る直前で、終わってしまっている。
しかし私達は、イエシュア、すなわち、まことのヨシュアであられるイエス様に従っていくなら、その地に入る事ができる。旧新約の御言葉を守り行い、イエスのあかしを保ち、その地に入って、祝福の実体の中で生きる今年でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

主日礼拝

誰もがうらやむ祝福に入るためには(申命記33:24-25)

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週報/メッセージ(説教)概要

 新年おめでとうございます!アブラハムは世の縄張りとしきたりを離れ、神の国の縄張りとしきたりに留まって祝福の実体を受けました。私達もイエス様にあって、その祝福の実体を得る年でありますように!
 
 アブラハムが祝福を受けた理由は、彼が神様の言葉に従い、それまで住み慣れた本土、親戚、父の家の「なわばり」や「しきたり」から離れ、神様が示された、神の国のなわばりとしきたりへと入り、そこに留まる事によってだった。私達は本年最初の主日、その祝福に入るには、どうしたら良いか。その秘訣を得たい。
 祝福には大きく分けて、2種類ある。まずは「バラク」という、主が共におられる事を祭司が宣言する「主と共なる祝福」(創世記12:3、民数記6:24)で、2つ目は「エシェル」、これは生活の現場における実際的な豊かさや健康、経済、地位などが増し加わる事の「幸せ」であり、多くの人は、このエシェルを求めている。
 イスラエル12部族の一人アシェルは、ヤコブの妾・レアの女奴隷・ジルパが、ヤコブに二番目に産んだ男の子で、エシェルの子音が変化し、アシェル(幸せという意味)という名前になった。(創世記30:13)
モーセは死ぬ直前、このアシェルが、子らの中で最も祝福されている、と祝福した(申命記33:24-25)。
アシェルはどのような祝福の実体を受けたか。それは以下の実体である。
 1,「その兄弟たちに愛され」、すなわち、彼に会うと、その兄弟たちも幸せになり、彼が来ると、色々と事がうまく進む。だから、彼が幸せになっても、誰も妬まず、むしろ、彼が幸せになったら皆も一緒に喜ぶのだ。彼がいる職場やプロジェクト、グループは、彼がそこにいるゆえに、皆が祝福を受けるのだ。
皆さんが、そこに属している、というだけで、そのグループ全体が、祝福を受ける「源」となりますように!
 2,「その足を、油の中に浸すようになれ。」 油は繁栄(申命記8:8)、喜び(エレミヤ31:12)のしるしであり、油が欠乏する事は、悲哀を意味する(黙示録6:6)。油が足に浸されるまでの祝福は、どれほどの祝福だろうか。また油は、富や物質的な豊かさも意味する。アブラハムが足の裏で踏んだベエル・シェバの北と南は油を産出する所となり、油田が多く、またアシェル族の地・カルメル山の北の平野も、石油を産出する。
皆さんが縦横に歩いて、足の裏で踏んだ所が、ことごとく油が溢れ、したたる所となりますように!
 3,「あなたのかんぬきが、鉄と青銅であり、あなたの力が、あなたの生きるかぎり続くように。」
すなわち、主がアシェルの囲いとなり、サタンや泥棒など、災いをもたらす者が、立ち入らないよう、守っていて下さるのである。そのような神の力、神の奇跡が、生きている限り、続く、という祝福である!
皆さんがいる場所の境界が、鉄と青銅であり、あらゆる害悪が入り込む事がない所となりますように!
 
 この、アシェルに与えられた祝福にあずかりたいだろうか?あずるための方法と条件は、詩篇1篇にある。
『幸いなことよ(アシュレイ・ハ・イシュ)。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。』(詩篇1:1) この最初の言葉アシュレイは、エシェルの間投詞(感嘆詞)である。
 アシェルにあずかる人の第一の条件がここにある。それはすなわち、3つの「ず」で、悪者のはかりごとに歩ま「ず」、罪人の道に立た「ず」、あざける者の座に着か「ず」。アブラハムが、世のなわばりとしきたりを離れたのと同じように、私達も3つの「ず」によって世のなわばりとしきたりを離れ、第一条件をクリアするのだ。
 アブラハムは次に、神の国のなわばりとしきたりに留まる事によって祝福を受けたが、私達は詩篇1:2によってそれを適用するのだ。「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」
 神の言葉を昼も夜も口ずさむ。これはまさにテフィリンそのものであり、それがアシェルの第二条件である。
「御言葉の口ずさみ」という、霊的な鉄と青銅のかんぬきを、周囲に敷き、そして神の国のなわばり・しきたりの中へ入り込み、そこに留まるのだ。これによって、世のあらゆる悪どい者や、害毒は、入り込めなくなる。
 そして、この地上において豊かに栄える約束が、3節にある。『その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。』(3節)
 このコロナの困難な時代にあっても、実を結び、その葉は枯れず、何をしても栄える!それが、アシェルの祝福にあずかった人の特権である。この時代、皆さんがいるグループやプロジェクト、クラスが、何もかもうまくいくようになりますように!また「油の祝福」、すなわち、繁栄と喜びが溢れ流れ、足に浸るまでになり、また、サタンや泥棒が一切寄り付かず、主が鉄と青銅のかんぬきとなって下さいますように!
このアシェルの祝福に豊かにあずかる今年でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

 

主日礼拝

ヤコブより、離散している兄弟姉妹へ(ヤコブ1:1-5)

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週報/メッセージ(説教)概要

 

 今年最後の主日となった。色々な困難のあったこの年の最後の主日、主は、ヤコブ書を示して下さった。
ヤコブ書は、イエス様の弟・ヤコブが書き、彼は自らを「主イエスのしもべ」と告白して初代教会を力づけた。
 ヤコブが手紙を書いた時、どういう時代だったか。教会は迫害の時代へ突入し、キリスト者が互いに集まる事も困難となった。2020年末、多くの教会はコロナの故に交わりが分断され問題になっているが、当時の聖徒達は、密告されたり、集っている所を強襲されたり、コロシアムへ連行され公開処刑されてしまう恐怖もあった。ヤコブはそんな恐怖の中にある離散中のキリスト者達へ、手紙を書いて勇気づけた。『神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している(ディアスポラ)十二部族の人々へ、あいさつを送る。』(1:1)
 「離散している十二部族」とはイスラエル十二部族の事ではなく、暗に、散り散りの憂き目に遭っている主イエスにある兄弟姉妹の事であろう。つまり、現代、散り散りになっている私達にも、宛てられた手紙である。
 
 信仰義認の救いを強調したマルチン・ルターは、このヤコブ書を「藁の書」と呼び、聖書正典から外そうとした。それはこの書が、信仰よりも「行い」による救いを強調したからだ。しかし私たちは知るべきである。
ヤコブ書は、イエス様を知らない人を「信仰による救い」へと導くような初心者の書ではなく、信じた故に困難の渦中に遭ってしまった練達の信仰者達を、励まし、行いによって救いを得る術を記した書である、と。
 ヤコブは言う。『あなた方が、色々な試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしい事と思いなさい。』 
なぜ試練が非常に喜ばしいのか?『信仰が試される事によって、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。』(2-4節)
 つまり、試練によって生じた忍耐を、完全に働かせるなら、何一つ欠けた所のない、完全な、成長を遂げた人となり、その人は、世が仕掛けてくるどんな困難にも負けない確固とした盤石さと、『神を愛する者達に約束されたいのちの冠を受ける』(12節)事が約束されているのだ!なんと力強く慰めに満ちた言葉だろう。
 『あなたがたの内、知恵に不足している者があれば、その人は、咎めもせずに惜しみなく全ての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。』(5節) 今、難題があるだろうか。問題を解決する知恵が、無いだろうか?求めるのだ!願い求めるなら、全ての人に、惜しみなく、与えられる!
死は、いのちに飲み込まれる! 暗闇は、光の前に消え去る! 嘘・偽りは、真理の前に消え去る!
 いかに私達が、少しばかりの力しか無くても、癒やし主であり備え主である主の御名を否まず、真理の御言葉を忍耐し守っているなら、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時、守られるのだ(黙示録3:8-10)。主は言われる。わたしはすぐに来る。あなたの冠を誰にも奪われないよう、あなたの持っているものをしっかり持っていなさい、勝利を得る者を、神の聖所の柱としよう、と。(同11-12節)
 
 今、私達は試されている。互いに集まる事を、やめたりしないかどうかを。教会をあらわす「エクレシア」のギリシア語の意味は、「集会」「会衆」である。教会の本質が、聖徒が交わりをする所であるからには、教会から「交わり」を取ったら、何の意味も無くなる。書いてある、ある人々のように一緒に集まる事をやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしよう、と。(ヘブル10:25)
 この時代、コロナや社会的困難は諸々あるが、そうしたものごときで、交わりを分断してはならない。
むしろSNSや電話がある現在、それらを駆使して、もっと、親密に、聖徒の交わりをするべきである。
教会は、召し出された者達の「群れ」であり、一切のものを一切のものによって満たす方の満ちておられる所、また、天国の鍵が与えられており、ハデスの門も打ち破る力がある所、そして、キリストの花嫁だからだ。
 サタンは、ほえたける獅子のように、食い尽くすべき獲物を狙っている。獅子は吠えて、それを怖がって群れから飛び出した一匹に襲いかかる。サタンは、将来の不安を煽ったり、「皆に迷惑をかけてしまうのではないか」「かけてしまったのではないか」といった後ろめたさを、また、兄弟姉妹を疑わせ、詮索させ、あら捜しさせて来る。私たちはむしろ、イエスにあって群れ、イエスの御名によってサタンを踏みつけるべきだ。
 
 困難な時代、迫害の時代になったとしても、イエス様の忍耐の言葉を守り、彼の御名を否まず、勝利を得る者、神の聖所の柱となっていく皆さんでありますように!どうか一人一人がこの時代、主に用いられる器として整えられ、完全な者となっていくこれからでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

 

主日礼拝

高貴な信仰の記録を永遠へと残していこう(マタイ2:13-15)

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週報/メッセージ(説教)概要 

 アドベント(降誕節)第四週。いつものこの時期は、いよいよクリスマス間近、という雰囲気で盛り上がっている所だが、今年は、今まで経験した事が無いような年となってしまった。コロナ感染数がいよいよ一日三千人を突破し、陽性反応を示す方も身近になりつつある。クリスマス礼拝を行う事は毎年、当たり前に思って、疑った事もなかったが、今、世界的にそれが出来ない状況だ。黙示録の時代は、いつ来てもおかしくはない。だから私達はいつも、「主イエスよ、来て下さい」(黙示録22:20) と求め、心を備えるべきである。
 
 さて、博士達は、赤ちゃんとなって来られたイエス様の所へと星に導かれ、礼拝を捧げて大いに恵まれたが、主から戒めを受け、ヘロデの所には寄らずに帰って行った後、御使いが夢でヨセフに現れ、言った。
 『幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこに留まっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている』(マタイ2:13-15) 主に選ばれて、メシヤの育て親として任命された男女の記録から、多くの苦労の日々と、その中にひときわ香る、高貴な従順が漂ってくる。
 もし主からこの使命が与えられていなかったなら、彼らはある程度、平穏無事な信仰者夫婦として人生を全うしていたかもしれないが、特別な使命が与えられた故に、「平穏」とは言えない人生だった。しかしそれは、冒険的で退屈しない、そして絶対的に「無事」な、誰よりも祝福された歩みだった。なぜなら二人とも、権威に対して従順だったからだ。主が与えられた権威に従順である事こそ、絶対的に安定した歩みである。
 子を産んだばかりの母親としては、夫にはなるだけ外国に移住したりせず、安定した所で働いて、そして自分は、子供を養う事に専念したい。そんな、将来が思い描けるような、安心感が欲しい所かもしれない。
 しかしヨセフはある晩、突然、「御使いからのお告げを受けた」「すぐにエジプトへ逃げよう」、と言い出す。
それでもマリヤは夫に従い、夫は主に従って、夢を見た「夜の内に」、そこを発って、エジプトへ下った。二人とも、驚くべき従順である。この従順こそが、主が彼らを特別に、メシヤの父母として任命した理由である。
 従順はいけにえにまさる、と書いてある(1サムエル記15:22)。主が私達に求めておられる事は、私達の「体(ソーマ:思い、意思、感情、霊、肉体)」の全部を、神に受け入れられる、聖い、生きたそなえ物として捧げる事。それこそ霊的な礼拝であると書いてある(ローマ12:1)。今回のこの、日常通りでないクリスマス礼拝。逆に考えるなら、今まで毎年12月に、パターン的にこなそうとしていた事が覆えされ、出来なくされたのだから、今まで見いだせなかった、さらに優れた、霊とまことによる礼拝を捧げるチャンスでもある。
 『たとい、わたしは肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたと一緒にいて、あなたがたの秩序正しい様子とキリストに対するあなたがたの強固な信仰とを見て、喜んでいる。』(コロサイ2:5)
 今、全世界から礼拝する場所や空間がどんどん失われているが、礼拝すべき場所は、あの山でもこの山でもない。父なる神が求めておられるのは、従順を尽くした、霊とまことによる礼拝である。(ヨハネ4:23-24) 
 
 今年はコロナゆえに、ある所では、兄弟姉妹の親しい関係が裂かれ、あるいは夫婦関係が、親子関係が、仕事が、会社経営が、子達の学びが、裂かれた。ある人は、疑心暗鬼に駆られ、あの人はコロナではないだろうか、自分がコロナにかかったのは、あの人のせいではなかろうか、コロナにかかってしまった故に家族や同僚を、自分の団体全体を、苦しい目に遭わせてしまった、人生台無しになってしまった、などと思わせて来た、このコロナこそ、またそれを考案した者こそ、本当に呪って踏みつけるべき、悪辣なものである。
 今この時、私達は苦しい目にあっているかもしれない。不便かもしれない。しかし信仰の先人達は、迫害や疫病の中でも、主に対して霊とまことを尽くし、主の御言葉にしがみついて行った。
 今、私達は、コロナ禍という、今まで経験した事の無い困難の時代に入っている。それは逆に、主に対して信仰の高貴さを示し、霊とまことを尽くした礼拝を捧げるチャンスである。「今まで通り」が出来ないゆえに、ある人は礼拝を止めてしまうかもしれない。ある人は、もっと伸びるかもしれない。まさに試されている。
 人間関係や仕事、学業を引き裂く、このサタンの悪あがきであるコロナに対し、私達はどう対処すべきか。
恐怖で、絶望で、疑心暗鬼で、分裂で対処するなら、まさにサタンの思うツボである。私達はむしろ信仰の先人のように、愛で、忍耐で、聖なる趣で、高貴さをもって対応し、私達も、あの栄光の系図、『アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図』(マタイ1:1)に連なり、この時代を、「高貴にふるまった」という記録が、天の書物に書き記されていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

 

主日礼拝

宇宙で最も尊い奇跡に居合わせた博士たちの性質(マタイ2:1-12)

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週報/メッセージ(説教)概要

 アドベント(降誕節)第三週に入った。福音書記者マタイは、イエス様こそ救い主メシヤ(油注がれた方)である事を証明するために、まず系図を引用し、さらに、イエス様がお生まれになった時に起きた事は、全て、預言の成就だったという事を、多くの箇所を引用して証明している(マタイ1:22,2:5,15,18,23)。
 イエス様がお生まれになった時、東方から博士たちが来訪し、エルサレムに来て言った。『ユダヤ人の王としてお生れになった方は、どこにおられますか。私達は東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました。』(2節) この博士達は、王のような高い地位だったと言われており、以下の預言の成就と言える。
 『起きよ、光を放て…主の栄光があなたの上に昇ったから。見よ、暗きは地を覆い、闇は諸々の民を覆う。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光の内に歩み、王達はあなたの輝きに照らされて歩む。目を上げて、辺りを見よ。彼らはみな集まって、あなたの元に来る…これらシェバから来るものは皆、金と乳香を携えて来て、主の奇しいみわざを宣べ伝える。』(イザヤ60:1-6) 
 
 メシヤを示す星が現れた時、博士達は日常の色々な業務を脇に置いて、具体的な行き先も知らないまま、高価な献げ物を携えて故郷を出た。強盗に遭うかもしれないし、ナビゲーションも無い。ただ星の光だけが頼りである。迷子になってメシヤに会えなかったり、途中で死んでしまう危険もある。それでもなぜ来たのか。
 博士達は、私達は「拝みに(プロスクネーオ)」来た、と言った。プロスクネーオは「プロス(前に)」+「クオン(犬)」で、犬が喜んで主人の手をしきりに舐める様子から、ひれ伏す、拝む、礼拝する、の意味となった。
ツロ・フェニキヤの女は、「小犬(クナリオン)も、その主人の食卓から落ちるパンくずは頂きます」とイエス様に食い下がったため、癒やしをいただいた。異邦人といえど、小犬のように、主を慕い求め礼拝する人に、主は奇跡を現して下さる。なんとしても主を仰ぎ見たい、という思いをもって、捧げものを準備し、遠くであろうが、どこへ行くのか分からなかろうが、礼拝へと向かう礼拝者を、決してむなしくさせないお方である。
 
 しかし世の中には、メシヤの光を歓迎しない者達もいた。『ヘロデ王はこの事を聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。』(3節) 光を憎み、恐れ、闇を愛する人の本質は、「悪」である(ヨハネ3:19-21)。ヘロデ王は、王座を脅かす恐れがあるなら、妻であろうと子であろうと、処刑するような者で、その王宮は、彼に取り入って利益を得ようとする者達であふれた魔物の住処のような場所だった。そんな彼らには、預言されていた王など、来てもらっては困るのだ。だからヘロデは、博士達に「自分も行って拝むから、詳しく調査して欲しい」と言いつつ、密かに殺そうとした。しかし主は全て見ておられ、彼にそれが叶わないと分かると、彼はベツレヘム周辺の2歳以下の幼児を皆殺しにするという、大それた事をするのだ。
 
 王宮を出た博士達の頼りは、再び星だけになってしまった。しかしなんと、星が彼らを先導し、幼子のいる所の上に留まったのだ!彼らは、はなはだしく大きな喜びを喜んだ(10-11節直訳)。まさに宇宙規模の喜びである。神が、ご自身を慕い求めて礼拝する人に用意しておられるわざは、人知を遥かに超えている。
 万物を支配しておられる神の御子が、密かに、片田舎の馬小屋に赤ちゃんとして降りて来られ、しかも、飼い葉桶に宿られた。これこそ宇宙で最も尊い奇跡である。「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(11節) 
 このささやかな礼拝は、永遠の記録として残された。彼らはアブラハムのように、行き先も知らず、ただ星の光だけを頼りに出て来た結果、主は、星を動かしてまで導き、赤ちゃんイエス様と出会わせて下さった。
 そのかたわら、下心をもって博士たちを利用したヘロデ王は、全ての企みを暴露され、博士たちにも幼子にもスルーされ、怒った挙げ句、その地方の赤ちゃんを全員殺す暴挙に出たが、そのすぐ後に、死んだ。
 
 今、この時代も、闇が覆っており、諸国の民は、闇の中にいる。しかしそんな時代でも、天を見上げ、イエス・キリストの光に導かれて行く礼拝者を、主は、宇宙規模の奇跡と、大きな喜びを用意しておられる。
 この時代、私達は、恥じることなく、天を見上げ、主の光に導かれて行こう。どんなに闇が深くとも、主の光は必ず輝き出て、どんなに偽りで塗り込まれようとも、必ず真理が勝利する(ヨハネ1:5)。起きて光を放ち、栄光の歴史を紡いでいく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

主日礼拝

重要な子供を主から任される男女の性質(マタイ1:18-25)

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週報/メッセージ(説教)概要

 アドベント(降誕節)の第二週に入った。福音書のはじめの、イエス・キリストに至る系図に、神がその民に介入して働かれた歴史が刻まれていた事を、前回見た。時代時代の信仰者が、主と寄り添って生きようとする人生の狭間に、主が働かれたドラマがあり、それが歴史に縫い込まれ、継ぎ足され、そしてその綾織物の絵は、いよいよはっきり主イエス様を浮かび上がらせて行く。主が来られた時代は、ダビデの血筋の王が絶えて14代、ヨセフの代の時だった。イエス・キリストの育ての親となったヨセフとマリヤは、どうしてその役割が任され、どういうドラマがあったのか。今日、重要な子供を主から任される人の性質を学びたい。
 
 マリヤは無名で取るに足りない、一介の処女だったが、主が彼女に、主イエス様を産む母という、この上もなく重要な役割を任されたのには、理由があった。彼女が主から召し出された時、彼女は、しっかりした信仰者のヨセフと結婚の約束をし、貧しくても幸せな信仰の家庭を築いて行こうと準備している最中だった。
 そんなある日、突然、天使が彼女に現れ、突拍子もない事を告げられる。あなたはこれから身籠って、男の子を産む。その子にはダビデの王位が与えられ、その国は、永遠に終わる事は無い、と(ルカ1:26-38)。
 私達も、主から御言葉をいただいた時、試される。それまでの生き方や、握りしめて来た価値観、人生設計を捨てて、主が示された、人知をはるかに超えた主のご計画へと従うか、従わないか。アブラハム以来、信仰者は皆そうだった。マリヤには、ある日突然、御使いが現れ、その決断を迫られたが、彼女は立派に応答した。「神にとって不可能な事は何一つ無い…。」「どうぞお言葉どおり、この身に成りますように…。」
 彼女には、主の言葉や主がなされた事を思い巡らし、そしてそれが、主の御心である、と分かったなら、迷わす、すぐに行動する性質だった。彼女はその後、夫ヨセフから突然「主からのお告げがあった。今すぐエジプトに逃げよう。」と言われた時、迷わずそれに従い、夜の内に出て行った程、従順だった。(2:13)
それ程の高貴な決断をする程の女性だったから、主は、彼女を選ばれたのだ。ヨセフはどうだったか。
 
 ヨセフがマリヤと婚約期間中だった時、自分には覚えが無いのに、婚約者の胎に命が宿っていて、どんどん成長して行く。身籠ったからには別の男性とそれなりの性交渉があった、と普通思う。素晴らしい信仰の女性だと思っていたのに、しかも、自分という婚約者がいるのに。男性として最も怒り、苦しみ悩む所だ。
 律法では、婚約中の女性が、婚約者以外の男性と合意して性交渉するなら、二人とも石打ちに処せられる(申命記22:23‐27)。しかしヨセフは、そのように、事を公にして、憐れみのないさばきをするのではなく、ひそかな離縁を決断した。それでも彼は、思い悩んでいた。そんな時、御使いが彼にも現れて、言われた。
 「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。」(マタイ1:20) その胎に宿った子は、不貞によってではなく、聖霊によるものである、と…。処女が身籠るという「ありえない」しるしは、預言者イザヤによって告げられていた。また御使いは、その子は主の民を罪から救ってくださる方である、と言った。
 ヨセフは、テフィリンされた男性だったので、知っていた。メシヤであられる御方は「ダビデの子孫」として処女から生まれ、その子は、御民の罪の問題を解決し、インマヌエル(神は共にいます方)と呼ばれる事を。
 全世界の御民の罪を除く、インマヌエルなる子を産む、という重要な事にマリヤは用いられ、そして自分も、その子とマリヤとの保護者として、用いられるのだ、と、彼は知った。あまりに大きな役割である。そして、これからの人生は、今まで思い描いていたものではなくなる。ヨセフは決断した。主に命じられた通りに、マリヤを妻として迎え入れ、そしてその特別な子が生まれるまで、マリヤを知る(性交渉を持つ)事は無かった。
 
 私達はそれぞれ、自分で考えられる範囲、想像できる範囲で人生を設計し、ささやかな幸せを期待する。
しかし、主が私達・信仰者のためにご計画している事は、私達の心に浮かんだ事の無いもの、突拍子もない程の栄光と尊厳に富んだ事ものである。主がアブラハムに現れた時も、ダビデに現れた時も、そうだった。
 ヨセフとマリヤは、このように、自分の善悪判断や計画、あらゆる心配を全部、主の前に降ろし、ただ主の御言葉に従う性質だったからこそ、救い主キリストの育ての親という、唯一の栄誉を勝ち取ったのだ。
 これこそ、多くを任され、そして尊い命を主から任される性質である。彼らのように、イエス・キリストの家系の中でも抜きん出た性質を持ち、多くの素晴らしい尊い子供達を、栄光の次世代を、任される皆さんでありますように!栄光の歴史を紡いでいく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

主日礼拝

イエス・キリストの系図に入る性質と、除外される性質(マタイ1:1-17)

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週報/メッセージ(説教)概要

 全ての人を救う神の御子、救い主イエス・キリストのご降誕を待ち望むアドベント(降誕節)が始まった。
キリストの福音が記されている新約聖書で、真っ先に書かれた内容は、キリストに至るまでの系図であった。
系図に記されている多くの人々の名。これはまさに、神が私達・人の救いに関わって下さった、歴史である。
 神はまず、アブラハムに歩み寄られた。彼が75歳になった時、神は「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。」と声をかけ、アブラハムはそれに従った。(創世記12章)
 人が神に呼び出され、自分の生来で生きる事を離れ、神に導かれて行く。これが神の贖い歴史の始まり、救い主イエス・キリストへ通じる栄光の系図の始まりで、その性質をイサク、ヤコブ、ユダが受け継いで行く。
 このマタイの系図の特徴的な点は、本来なら入るはずもない女達も、系図に加えられている所である。
 ユダが異邦の女と結婚してアブラハム以来の信仰の家系を絶やしそうになった時、タマル(3節)は遊女の格好までしてユダとの間に子をもうけたが、子を残す営みを侮った異邦の女の子供達は家系から絶えた。
 「サルモンはラハブによるボアズの父」(5節a) ラハブは本来、滅ぼされるべきカナンの遊女だったが、罪にまみれた都の中から、神の民にあこがれ、主は彼女のあこがれを天から見ておられ、イスラエルの二人の斥候を彼女の家へ遣わした。その時、ラハブは彼らに「あなた方の神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられる」(ヨシュア2:11)と告白した。それで彼女は、罪深い都が滅ぼされる時、一緒に滅ぼされる所を免れ、救われ、ユダの子孫サルモンと結婚して、栄光の家系へと入った。そうしてボアズが生まれた。
 「ボアズはルツによるオベデの父」(5節b) ルツも、本来イスラエルに加えられてはならないモアブの女だったが、彼女の義理の・母ナオミから、イスラエルの神を教えられ、この神にあこがれ、「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。」と告白し、神の民の中に入って来た(ルツ記1章)。ルツがナオミのために落ち穂を拾いに行く時、神は彼女をボアズの畑へと導き、そうしてルツとボアズは出会って、結婚した。
こうしてオベデが生まれ、エッサイが生まれ、そしてダビデ王が生まれた。まことに主は、全人類一人一人の思いを読んでおられ、その心が主と一つになっている人に、御力を現して下さるのだ。(2歴代誌16:9)
 
 「ヨラムはウジヤの父」(8節)と記されているが、第2歴代誌22-25章を見ると、ヨラムとウジヤの間には、アハズヤ、ヨアシュ、アマツヤの3人の王がいたはずだが、彼らはこの系図から、除外されている。
 アハズヤは、主に逆らう母の助言に従って主を捨て、殺された。ヨアシュは、祭司エホヤダの助言通り生きていた時は大いに栄えたが、祭司が死んだ後、主に従わない者の助言に従って主を捨て、謀反にあって殺された。アマツヤは、初めは主に聞き従って祝福されたが、傲慢になって偶像礼拝するようになり、預言者にも逆らい、謀反にあって殺された。これらは、栄光の系図から、名前を除外されてしまう性質である。
 「ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。」(11節) 実際にはヨシヤとエコニヤの間や後にも王がいるのに、彼らも系図から除外されてしまっている。いずれも除外されて然るべき性質だったからだ。系図に載っている王達も、途中から傲慢になって主を怒らせたり、あるいは、初めから終わりまで主に逆らって、主を怒らせた王の世代が、ずっと続いたので、ついに、バビロン捕囚となった。
 バビロン捕囚以降、イスラエルの王座につく者は、今に至るまで、一人もいない。しかし主の恵みは、ずっと注がれ続けていた。旧約聖書最後のマラキ以降、預言者は途絶えて四百年、民は神を求め、救いを求める祈りが積まれ、それが天に達した時、ついに神は、ダビデの子孫からイエス・キリストをおこされた。
 『アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である』(17節) 十四は、ヘブライ語のゲマトリアではダビデの数字で、ダビデの名の意味は、「愛された」である。すなわち主は、アブラハムからダビデの時代も、また主に反逆し続けた歴代の王たちの時代も、バビロン捕囚の暗黒の時代も、主の民をずっと「愛され」続けたのであり、その究極の愛の形として、イエス・キリストを、赤ちゃんとして、この世にプレゼントされたのだ。
 
 イエス・キリストの系図。この系図にいたはずの名が除外されてしまっていたり、本来系図に入るはずもなかった名が記されていたり…。これは、私達へのメッセージである。自分の生来に生きる事を止め、主にあこがれ、神の言葉に導かれて生きるなら、私達もその系図に加わる事ができる。しかし神を軽んじて生きるなら、除外されてしまう。イエス・キリストの家系に入り、栄光の歴史を紡いでいく皆さんでありますように!

主日礼拝

主の完全なる時間空間の支配権(エズラ1:1-8)

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週報/メッセージ(説教)概要

 前々回はイザヤ45章から恵みを頂いたが、本日はさらに色々な箇所から、主の驚くべき御業を見たい。
 BC539年、クロスは労せずバビロンを制圧して手に入れたが、その事は200年も前から、イザヤを通して正確に預言されていた。クロスが軍隊を率いてバビロンに来た時、当時のバビロンの王・ベルシャツァルは、バビロンの強大な城壁や、鉄のかんぬきがかかった青銅の扉、また、大きな船さえ行き来できる巨大な堀に、また、ふんだんに蓄えられた食料に安住し、クロスを甘く見ていた。実際クロスも、これを見て、「これほど巨大で、これほど高い防壁に囲まれた都市を強襲して陥落させる事など誰にできよう」と、弱気になった(キュロスの教育7章7節)。 ところが、バビロンはたった一晩で、クロスによって陥落させられる。
 驚く事に、その時の様子も、また彼が取った戦術も、200年前に、正確に預言されていた。『わたしは、わがしもべの言葉を遂げさせ、わが使の計りごとを成らせ…、また淵については『乾け、わたしはあなたの諸々の川を干す』と言い、またクロスについては、『彼はわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる』と言い…。』(イザヤ44:26-28) 実際にクロスが取った戦術は、堀へ流れ込む川々の流れを変え、干上がらせ、乾いた川底を通って城内に侵入する、というものだった。だがそれは、危険な賭けだった。川底を通っている所を見つかって、上から矢を射掛けられては、ひとたまりもない。ところがその晩、見張り達は、眠っていた。
その事も正確に預言されていた。 『わたしはその君達と知者達、長達、司達、および勇士たちを酔わせる。彼らは長い眠りにいり、目をさますことはない。万軍の主と呼ばれる王がこれを言わせる。』(エレミヤ51:57)
つまりその晩、バビロンの兵士は、敵が侵入して来たのに、上から下まで酔いつぶれて眠っていたのだ。
 
 その日、ベルシャツァル王は、盛大な宴会を開き、不遜にも、イスラエル神殿の聖なる器をあえて使って酒を飲み、城門は開いたまま、王達は腰紐を解いて裸同然で、まさにイザヤ45:1に書かれた状態だった。
 その晩、ベルシャツァルの前に突如指が現れ、文字を書いた。唯一ダニエルがその文字を解き明かした。
その文字は『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン』、意味は「神はあなたの治世を数えた。数えた。終わらせた。はかりで量ったが、目方は足りなかった。あなたの国は分割され、メディヤとペルシヤへ与えられる」である。
 ダニエルはこの解き明かしをした事で、第三の権力者に任じられた。その直後、クロスが攻め入り、ベルシャツァルは殺された(ダニエル5章)。クロスは、バビロンから抵抗らしい抵抗も受けず、ほぼ無血でバビロンを制圧したが、エレミヤはこれを見ていたかのように預言していた。『バビロンの勇士達は戦いをやめて、その城にこもり、力はうせて、女のようになる。その家は焼け、その貫の木は砕かれる。』(エレミヤ51:30 )
 クロスは、このバビロンという強大な城塞都市を、あまりにたやすく制圧し、町々も財宝も人々も、その繁栄も、戦争で破壊される事なく、きれいな状態で、そっくりそのまま自分のものとなった事に、驚いただろう。
さらに、ダニエルから聞かされた預言の言葉に、さらに驚愕しただろう。なんと200年も前に、自分の名も、取った戦法も、バビロンの様子も、全部、預言されていた通りだったのだから。そこでクロスは、勅令を出す。
 『ペルシャ王クロスはこのように言う、天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたの内、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ。』(エズラ1:2-3)
 
 今回言いたい事は、私達の神は全能で、そのタイミングは完璧であり、人の悪がどんなに増大し、主を冒涜するような王がいかに栄えているとしても、主は、その者の日数を数えており、その者が「目方が足りない」と判定された時、その者は取り去られる。彼が蓄えた富も、栄光も、建てた町々も、主があらかじめ定められた人、すなわち、主の御旨を成そうと意欲がある人へと、そっくりそのまま渡すために、その人の前のでこぼこ道を平らにし、青銅の扉を砕き、鉄のかんぬきをへし折っておられるのだ。私達は、世界の基の置かれる前から、キリストにあって選ばれており、御前できよく、傷の無い者として、あらかじめ定められている(エペソ1:3-5)。今、私達は、主の御旨を成そうと、意欲的であるべきだ。主はそういう人に、多くを任される。
 主から多くの富や権威が与えられたとたん、それを我が物として欲しいままに用いてはならない。今、私達は、主から用いられる事に、心備えすべきだ。もし、労せずに主から栄光や富が与えられたなら、クロス王がしたように、破壊された礼拝を復興するため、散らされた神の民を呼び集め、御言葉教育を再建するために、それらを用いて、援助していく皆さんとなりますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

主日礼拝

ダビデとソロモンの蓄えをたった5年で散財してしまった、御言葉教育を受けずに育ったノン・テフィリン世代(出エジプト記13:8-9)

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週報/メッセージ(説教)概要

 ユダヤ人が最も大切にしている四つのテフィリン本文の内、全部に共通した内容は、「御言葉を手につけてしるしとし、目の間に置いて記念としなさい」、「子供によく教え込みなさい」の二つである。御言葉を子供によく教え込み、暗唱させる事が、どんなに大切であるか。今回、ソロモンとその子から戒めを受けたい。
 
 初期のソロモン王は、富においても名声においても世界的な”成功者”だった。彼が主と共に歩み、主の命令を守り続けている限り、どんどん栄えて行った。しかし彼は、多くの異邦の女と結婚し、彼女達の声に従って、異教の神殿を次々と建て、預言者からの二回にわたる警告も無視して、それ以降、彼からは祝福がどんどん離れ、晩年の彼は、どんなに贅沢をしても、「全てが虚しい」と言うようになってしまった。だから私達も、連合する相手、生活や仕事を共にする相手には、よくよく気をつけるべきで、飲まれてはならない。
 ソロモンの後に王権を引き継いだのが、彼とアモン人の女ナアマとの間に生まれた子・レハブアムだった。
彼が王となって最初に民からの相談を受けた時、彼は、長老からの助言を退け、『私の小指は父の腰よりも太い。父はあなた方に重いくびきを負わせたが、私はさらに、あなた方のくびきを重くしよう。父はむちであなた方を懲らしたが、私はさそりをもってあなた方を懲らそう。』 という、若者達の愚かな助言を採用した。
 彼は王座から荒々しく威張り散らした瞬間、さぞや、スカッとしただろう。しかし、その「一瞬の爽快感」の代償は、計り知れず大きかった。この、たった一つの暴言が、代々築き上げて来た信頼を壊し、家庭を壊し、国家を壊し、そしてこの言動の故に、イスラエルの10部族は彼を見限って、南北王朝分断の長い歴史が始まってしまった。その影響で、今も失われた10部族がどこにいるのか分からない。たった一つの言動が、取り返しのつかない喪失になってしまう事はあるが、御言葉を蓄えている人は、それをうまく回避する。
 一体なぜ、こんな器の者が、イスラエルの王になってしまったのか。ソロモンに何百といた子達には、彼よりまともな者は、いなかったのだろうか。ソロモンは、告白している。彼が労苦して得た財産を、後世のために残さなくてはならないのは「虚しい」、と(伝道者の書2:18-19)。普通、自分が築き上げた財産は、喜んで子に受け継がせるのだが、ソロモンが「虚しい」と言ったのは、おそらく、ソロモンにいた何百もの子供達の内、財産を相続してやるに値する子が、一人もいなかったのだ。彼は多くの事業に手を広げ、千人もの妻や妾の多くは、異邦の女だったので、とても子供に霊的な御言葉教育をするどころではなかったのだろう。
 
 レハブアムの場合、ダビデ・ソロモンが築き上げた莫大な富と信頼を、なんと、5年でだめにしてしまった。
『エジプトの王シシャクはエルサレムに攻めのぼって、主の宮の宝物と、王の家の宝物とを奪い去った。すなわちそれらをことごとく奪い去り、またソロモンの造った金の盾をも奪い去った。』(2歴代誌12:9)
こうしてソロモンが貿易や事業して蓄えた金銀は、たった5年で、あっさりエジプトに奪い去られてしまった。
結局主の民は、兵器や力を蓄える事でなく、主の言葉に従う事が堅固な防備となるのだ(詩篇127:1-2)。
ダビデからわずか3代で、こんなにも落ちぶれてしまうのか、と、驚くかもしれないが、そういうものである!
親の信仰がどんなに優れていても、子供への御言葉伝授を怠るなら、子は、この世の流儀に飲まれ、主を恐れる事を知らず、真理の道にかなわぬ事を続け、あっという間に親の蓄えを散財し、落ちぶれてしまう。
 親として、子供にしてやれる最高の事とは、何だろう。お金を蓄える事だろうか。塾や習い事で能力を伸ばしてやる事だろうか?もし、子供が神を恐れず、わきまえがないなら、親がせっかく築き上げた諸々は、全て無駄になってしまう。結局、親が子供にしてやれる最高の事は、御言葉伝授に他ならない。
 
 だから今こそ、信仰継承を2500年も成功し続けて来た、ユダヤ人流の、御言葉暗唱教育に立ち返るべきなのだ。この教育で、ユダヤ人が最も大切にした事は、昼も夜も御言葉を口ずさみ、子供に御言葉を伝授する事だった。主の命令は、子供に御言葉を暗唱させ、脳に心に刻み込む事であり、それによってのみ、信仰継承は成功する。ユダヤでは、モーセ五書を13歳で暗唱した子をバル・ミツバー(御言葉の息子)と呼び、成人として認めるが、そういう子は親を離れても、環境が変わっても、決して信仰が離れる事は無い。
 今、天声とエクレシアは、共にテフィリン学校や幼稚園を建てるために、祈り、実際に働きかけている。
この時代、この日本に、御言葉の子供たちを起こし、立て上げ、増やして行くために、権威においても経済においても大いに祝福されていく皆さんでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 

主日礼拝

主から多くを任せられるために備えをせよ(イザヤ45:1-8)

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週報/メッセージ(説教)概要

 御言葉は、全て、「その通りになる」と信じて掴む人が、その御言葉の実体を得ている。天の御国は、バプテスマのヨハネが、イエス様こそ救い主だと示して以降、祝福を激しく奪い取ろうとする人によって奪われている。今、私達もイエス様に激しく求め、御言葉の祝福を、日本一勝ち取る者でありますように!
 今日の箇所は、天声では、祈り会ごとに宣言しているが、ここはどういう箇所だろうか。
1節を見ると、これはクロス王に対して語られた言葉だと分かるが、私達・御言葉を信じて宣言する者にもその実体が与えられる。「油そそがれた者」のヘブライ語はマーシーアハ、メシアの事で、イエス様こそ真にメシアであり、そして今、私達イエス様を信じる者も聖霊が与えられ、それぞれが「油注がれた者」である。
 また、この箇所が私たちのものであるという根拠は、「わたしは主(アニ・ヤーウェ)」という「主の印鑑」である。契約を交わす時、双方が自分の名のサインや印鑑を押して「これは確かです」と示すように、「アニ・ヤーウェ」は、神様がご自身本人をあらわす印鑑(サイン)のように用いておられる事を、コーエンで学んだ。
 主の印が押された所に、「わたしも!」と自分の名を入れるなら、その御言葉の効力が「わたし」に対して発揮されるようになる。パウロも、働く牛の口にくつこをしてはならない、という動物規定を、これは牛のためだけでなく、むろん私達のため!と宣言したように、私達も、御言葉の約束を「それ、私の!」と言うべきだ。
  早速、__の部分に自分の名前を入れて、宣言してみよう。『わたしは__の前に行って、諸々の山を平らにし、青銅の扉をこわし、鉄の貫の木を断ち切り、__に、暗い所にある財宝と、密かな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、__の名を呼んだイスラエルの神である事を__に知らせよう。』(2-3節)
 世の仕事も、家庭も、諸々の山のでこぼこ道を進んで行かなくてはならないのが、世の常だが、御約束を信じる神の民は、主があらかじめ平らにして下さった道を進んでいくのだ。世の側が、現実や状況が、どんなに青銅の扉、鉄のかんぬきで固く閉ざしていても、主が先に行って、それらをへし折っていて下さるのだ。
 
 世の中には、主が隠し秘めておられる宝が存在する。それは、世の人には誰も見つけられないが、神の栄光をあらわそうという気持ちがみなぎっている人が得るように、主は取っていて下さっている。その宝をその人が得る理由は、3節後半に書いてある通り、主がアニ・ヤーウェである事を、世に知らせるためだ。
 ただ、やみくもに「下さい、下さい」では、だめである。隠された宝を得たなら、それを全て主に明け渡す覚悟は、できているだろうか??主の側は、これらの宝を、求める神の民にあげたくて、あげたくて、いつでも準備万端なのに、残念ながら、あげるに値するだけの「整えられた人」が、あまりにも、いないのだ。
 その宝を受けた途端、アニ・ヤーウェのために用いる事を忘れ、この宝はわたくしのものです、誰にも渡しません、と、良くない事をしでかす輩が、あまりに多いので、与えられるケースが実に少ないのだ。
準備するべきである!この与えられた宝は、わたしのものでなく、アニ・ヤーウェに栄光を捧げるために用いるものです、と、今の内から、はっきりシュミレーションしておくべきだ。「わたしはあなたに肩書を与える」(4節)とある理由も、「ヤコブのため、イスラエルのため」と書いてある。つまり、神の民のためなのだ。
 
 クロス王は、いとも簡単にバビロンに勝ち、秘められていた財宝を得たが、彼は実に正しくそれを用いた。
『ペルシャ王クロスはこのように言う、天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたの内、その民である者は皆その神の助けを得て、ユダにあるエルサレムに上って行き、イスラエルの神、主の宮を復興せよ。』(エズラ1:2-3)
 私達も主から栄光の富を頂いたのであれば、主の宮の復興のために用いるべきだ。そのためにこそ得た肩書きと富である。また、復興する気がある人をこそ援助すべきで、その気がない人は援助すべきでない。
 主が私達に力を帯びさせて下さる理由は、アニ・ヤーウェ以外には神はいない事を、世に知らしめるためだ、と書いてある(5-6節)。今、私達がトランプ大統領が再当選するように祈っているのは、今の所、主が主である事を世界に知らせ、巨大な悪に立ち向かえるリーダーは、主を敬うトランプ以外にいないからだ。
 私達もまた、主こそ神である、という事を、世に知らせていくリーダーとなり、また子育てをして行くべきだ。
 今、私達は、主から多くを任せられるために、準備し、心備えするべきである。その時は、近づいている。
秘められている財宝や、隠された宝が与えられたら、どう御国のために活用すべきか、しっかり今の内から心備えをし、多くを任せられるに値する皆さんとなりますように!イエス様のお名前によって祝福します!
 
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