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メッセージ - 主日礼拝カテゴリのエントリ

主日礼拝

祈りという捧げ物を猛禽から守り続けよ(創世記15:7-11)

第一礼拝 Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 先週、マイケル宣教師を通じてIM宣教会日本センターが立ち上げられ、日本本部としての特権が私達に与えられた。以来、韓国プサン・トーブチームの中高生16人が、主イエスの恵み教会を拠点に学習と宣教の活動をしている。彼らは日頃から御言葉を暗唱し、宣教師としての訓練を受けているため、道行く若者に声をかける事に、全く躊躇が無い。初めての相手にもすぐに打ち解け、惹き込んでいく。そんな彼らは、天才にならざるを得ない。事実、第1期生は、世界200位以内の大学に次々と合格している。そのような素晴らしい教育システムが、突然、向こうから来た。今まで祈り求めて来た事が本当に答えられたのだ!
 
 これからは、今まで慣れ親しんできた生活サイクルを脱出し、全く新しい領域へ、進もうとしている。その際、真っ先に立ちはだかる敵は、「変化に対する拒否反応」「先回りした心配・恐れ」である。出エジプトした民は、そうした拒否反応や恐れを「固持」したゆえに、荒野で40年さまよって死んでしまった。サウル王も、心配のあまりに勝手ないけにえを捧げてしまったため、王として固く立てられる機会を、逃してしまった。
 地図を開いたなら、まず現在地と方向を特定するのと同じように、今、私たちは「主が祈りに応え、導いておられる」という「現在地」を確認し、方向性を主に求めていくべきだ。私達の信仰の父・アブラハムは、主から「本土・親戚・父の家を出よ」という言葉を受けた時、行き先は分からなかったが、75年も生活してきたその地を離れた。拒否反応や心配は、あっただろう。それでも主の言葉という「現在地」を確認し、そこを出た時、次の方向はその都度示され、そうして彼は、信仰の子々孫々を建てあげる栄光の道を一歩一歩、進んで行った。私たちも彼にならい、先が見えなくても信仰によって進むなら、必ず次が示されるのだ。
 
 主は確かに生きておられ、信仰を手放さない者には力強く働かれる事を、最近体験した。私は半年ほど前から、左腕や首筋のしびれと痛みがひどかったが、マイケル先生の集会で、イエス様の血潮による癒しの祈りの時間があって、私も「癒やしてください、痛みを取り除いてください」と祈っていたのだが、祈りの最中、気付かされた。そうした祈りは、「もしおできになるものなら」(マルコ9:22)という、不信仰が込められている、と。「できるものなら、と言うのか。信じる者にはどんな事でもできる!」(同23節) そこで祈りを変えた。
「イエス様の名前によって、今晩、必ず癒やされて帰る!!」 信仰によって、そう宣言し続けたが、状況は全く動じず、痛みは変わらず残り続けた。だんだん祈り疲れ、祈る事に飽きて来たりもした。やっぱりだめかな、という思いも来たが、それでも口で宣言を続け、自分のたましいに言い聞かせ続けた。集会が終わっても、痛みは残っていたので、ますます否定的な思いがよぎった。しかし、アブラハムが主の約束を確かめた時、捧げ物を狙って来た猛禽を追い払ったように、私も主と出会うまでは、そうった「猛禽」を追い払い続けよう、今晩、必ず主と出会い、癒やされて、主の偉大な力を人々にこれから伝えていく!と宣言し続けた。
 結局、頭の中にひっきりなしに巡ってくる、否定的な「はかりごと」や「思惑」、そして「いいわけ」が、信仰という捧げ物を食い散らかす猛禽だったのだ。そうした、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにして、キリストに服従させ、従順が完全になる時、あらゆる不従順を罰する用意ができる!と書いてある(2コリント10:5-6)。そうしてあきらめず続けると、ついに帰りの車で癒やされた!
 
 結局、癒やしも、必要の満たしも、先行きが見えない際の導きも、本当に、本気で信じているかどうか、そして「しつこく」求め続けるかどうかの問題だったのだ。『少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。』(ヤコブ1:6-7) 主は、いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを、教えられた(ルカ18章)。
 先回り的な心配性や、不信仰、主に逆らって立つはかりごとや思惑、いいわけ、そうした諸々は、イエス・キリストの御名によって縛り、退去命令を出す!そういう「霊的戦い」を、しつこく、しつこく続ける。それこそ、癒やしを体験しキープし、力強い証人になるためのコツなのだ。
 痛みも、病も、経済的不足も、あらゆる不安と思えるような事も、その他、あらゆる立ちはだかる障壁も、全て主に本気で願い求めて、実際に主の偉大な力を、その身に、その人生に働いた経験をたくさん積む皆様でありますように。そうして、ヨシュアのように、ダビデのように、主にあってどんな事でもできる!という確信を身につけ、恐れなく大胆に、祝福と希望に満ちた将来を勝ち取っていく皆様でありますように!
 

 

主日礼拝

恵みの大雨が降る時(ヨエル2:23)

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English Service:The graceful rain of The Spirit(Joe2:23) Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 
 今回、マイケル宣教師を通してIM宣教会日本センターが立ち上げられ、しかも、日本本部としての権限が、私達に与えられた。 彼は当初、縁もゆかりもなく、福音を鉄板のように跳ね返す日本を訪問する際、一体どうしたらいいでしょうか、と主に祈った時、主から言われた。日本には既に用意された人達がいる、と。
 彼は今回の訪日で、私達と出会った時、主が言われた事は本当だった事が確認できた、と言っておられた。つまる所、私達は、日本福音化のために「主に用意された人たち」なのだ!
 確かに私達は、普段から祈って来た。栄光の次世代を建てあげる仕組みを下さい、そのために必要な土地、建物、経済、人を与えてください、と。主はこんな小さな交わりで祈られて来た祈りを、聞いておられた。
 同じ時期に主は、韓国でマイケル宣教師を起こし、次世代教育を起こし、私達日本に必要なシステムや人材、教材は、既に彼らを通して用意され、そして、ついに時が満ちたこの時、日本と韓国の群れを一つにし、聖徒達の祈りを、折にかなって答えて下さったのだ!まことに主は素晴らしいお方である!
 
 今月の箇所・ヨエル2:23に書いてある。「シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜わり、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。」 主はまさに、豊かな実りをもたらす雨を降らせてくださるが、さらに後の箇所には、どの世代に対しても聖霊が与えられ、全く新しくされる約束が、記されている(28-32節)。
 マイケル先生がよく引用しておられたのは、ダビデに油を注がれた箇所である。『サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油を注いだ。この日から後、主の霊は、激しくダビデの上に臨んだ。』
 聖霊の油が注がれると、主の霊が圧倒的に臨んで充満され、心が全く新たにされる。それまで世の中の思考で生きていた者が変えられ、天の思考で生きるようになる。その思考は、不安に覆い被されたものではない。壁に囲まれて閉塞したような思いではない。万軍の主が共におられる!という確信から来る、開かれた天のような、無限の可能性を秘めた希望から来るワクワク感に満ちた思いであり、主にあっては何でもできる!という確信が、泉のように湧き上がって来るものである。それを今回、感じただろうか。
 
 ダビデはどうして、イスラエルの王として神様から選ばれたのか。それは彼に能力があったからではないし、知恵があったからでもない。事実、彼は、家族の中で一番見下げられていた末っ子であった。彼は、偉大な預言者サムエルを家に迎える、という、エッサイ家にとっては重要な時に、羊の面倒を見る事が命じられたが、神は実に、彼が誰からも顧みられなかった時、既に彼を王として見出していたのである(1節)。
 主が事をなさる時、人のわざは、何も役に立たない。主のわざを為すのに必要な能力も、知恵も、権威も、経済も、天地を創られた全能の主から来るからだ。主は弱いものを勇士とし、貧しいものを富ませてくださるお方である。事実、ダビデも、マイケル先生も、元々は何もなかった。ただ王としての性質は備えていた。
 偉大な王の性質とは何か。それは、主の全能性を信じて疑わない事だ。主には何でもできる!という信念が誰よりも強い人を主は用いる。偉大な王としての性質とは、主の全能性を信じて疑わない事である!
 
 私達に主のわざが起きる事を邪魔しているものは、一体何だろう。それは、私達の中の思い込みである。
自分の頭で構築した手段を考案し、第2プラン、第3プランを考え出し、そのレールから外れた事を言われたり、されたりすると、怒ったり、拒否反応を起こしたりし、「無理」「できない」とカテゴリ分けしてしまう。
 その、「できない」という口から出た言葉、あるいは、思考の中で巡らされた言葉が、神様のわざがなされる事を、最も邪魔して来たのである。私達は、ダビデのように、主の全能性を信じ切る必要がある。主は無限なるお方である!と、ダビデのように思考する「偉大な王」の器を持っている人を、主は探しておられる。
そのような人が一人いるなら、主は、この時代に回復のわざを為されるきっかけを得る事ができる。
 
 主は、穀物が無理なく育つように、はじめの雨と後の雨を降らせてくださる。それと同じように主は、私達が無理なく主の働きができるように、必要な主の霊を降り注がせてくださり、そして新しい心を与えて下さる。
 この時代、ダビデのように、主は全ての事がおできになるお方だと信じ切る王の性質を身につけ、主のわざをこの時代、この日本へと導入して行く私達でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

主日礼拝

メガスの信仰と、テラスの奇跡を起こす器(ヨハネ6:28-29)

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週報/メッセージ(説教)概要

 いよいよ今週、マイケル・ジョー宣教師をはじめ、IM宣教会の一行が来日し、諸々の活動を行う。彼の教育法の素晴らしさに、多くの教会や教育者が感銘し、現在、世界70カ国から講演依頼が殺到しているが、先週、韓国コーエンに参加した祭、もう一人の素晴らしい器に、主は出会わせて下さった。釜山ビジョン教会のキム・ソングァン牧師である。キム・ヒョンジョン博士は8年前、キム・ソングァン牧師の招請でウガンダの首都カンパラにて、現地の牧師500人にテフィリン講義をしたのだが、それが種となって今、教会がなんと1221箇所も建設され、さらにキリスト教学校の初等学校、中高校、大学が、40も建てられたのだ!
 彼らのような大きな働きをする器に、共通している点がある。それは、神様は無限なるお方である、と信じ切っており、与えられたみことばに対して「無理」と言った事がない点である。周りから「そんなの現実ではムリ」と言われても、神様には限界が無い、と信じて、実際行動したら、ムリと思われていた事が次々と実体化し、出来上がって行ってしまうのだ。主はいつの時代も、そのような器を通して、大きな働きをされる。
 
 信仰には、大きさがある。御言葉を、そしてイエスキリストを、どれだけ大きく信じてそれにかけたか。それによって生じる神様のわざの大きさが、違ってくる。ツロ・フェニキヤの女は、イエス様から冷たいように思われる言葉に対しても、優れた信仰告白をしたゆえに、『女よ、あなたの信仰は見あげたもの(メガス)である。あなたの願いどおりになるように。』と言われた(マタイ15:21-28)。イエス様は、彼女の信仰はメガス(百万、巨大)だ、と言われた。モーセも信仰が百万(メガス)に成長した時、パロの娘の子として儚い罪の楽しみを受けるよりは、神の民とともに苦しむ事を選び取った。彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富とし、その報いはより優れたものだ、と信仰によって受け取ったのだ(ヘブル11:24-26)。 
 「偉大な信仰」とは、神様をどれだけ大きく見るかによって決定づけられる。もし私達が、神様を1で見るなら、1の結果しか帰ってこないが、百万で見るなら、百万の結果で帰ってくるのだ!
 聖書を見ると、信仰によって、百万よりもさらに偉大な結果で帰ってくる事がある。それは、テラスである。
メガスの値は1,000,000であるが、テラスは1,000,000,000,000、1兆である!それは人には一生かかても数え切れない数字、という事で「奇跡」と訳される、人間には到底できない、ただ神のみができるわざである。
それはイエス様の専売特許ではなく、神には限界が無いと信じ切った信仰者によって行われるものである。
 事実、テラスという語は、4福音書には計3回しか出てこないが、使徒行伝には9回も登場する。信じた人はイエス様のわざを行うのみならず、もっと大きなわざをも行う、と言われた通りである。(ヨハネ14:12)
 
 神のわざには、限界が無い。無限大である。無から有が創造される・・・闇だった所に、光が存在するようになる・・・むなしく茫漠とした所に、愛の意図に満ちたいのちが溢れる・・・。これらは全て、はじめからあったみことば、はじめからおられた神のことばによって成就した。この世に満ちている被造物は全て、はじめに神がことばによって、創造された。『信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。』(ヘブル11:3)
 人間は唯一、そのわざに参加できる存在である。神に似た者として、神のかたちとして。闇に光をもたらし、むなしい所に愛といのちで満たすわざに。それがキリスト者の仕事である。そのわざに参加する方法は、イエス・キリスト、すなわち神のことばを信じる事である。( 神のわざ = 神のことば(キリスト) × 信仰 )
 『そこで彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、私達は何をしたらよいでしょうか」。イエスは彼らに答えて言われた、「神が遣わされた者(イエスキリスト)を信じる事が、神のわざである」。』(ヨハネ6:28-29)
 
 主には、おできにならない事は、何も無い。その信仰に立つ時、神の無限大のわざが為される。一番の敵は、私達の中の「それは無理だ」「どうせ出来ない」「現状のままでいい」といった思いである。主が用意しておられる無限な将来と希望を、枡の下や寝台の下に閉じ込めてはならない。主のビジョンを、ケチケチしてはならない。今、主は、主は無限なるお方であるとする人の現れを待っておられる。主は、信仰ある人に「出資」したくて、うずうずしておられるのに、それに適合する人が実に少ない。今、私達求めるべきである!信仰によって、望んで活用するなら、必ず成功の報いがある。失敗者とは、信仰を活用せず、何もしない者だ。 主にあって大いに信仰を活用し、大いに稼ぎ、優れた支配をしていく私達でありますように!

 

 

 

 

 

 主日礼拝

テフィリンした人に与えられる祝福(申命記6:10-14)

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English Service:Take your sandals off(Exo3:4-5) Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 私達は、テフィリン(御言葉暗唱)を土台とした教育機関を立てて、ダニエルやヨセフのように頭の先から爪先まで、御言葉によって神の知恵と能力が備わった、栄光の次世代を起こすビジョンが与えられている。
 前回は、ユダヤ人が最も大切にしている申命記6:4-9の「テフィリン本文」から養いを受けたが、今回はその続きの箇所より、テフィリンした人に与えられる祝福の素晴らしい内訳と、注意すべき事を確認したい。
 
 その祝福の内訳は、10節以降に記されている。すなわち、自分で建てていない町々や良い物が満ちた家々、掘らなかった堀り井戸、自分で植えなかったぶどう畑やオリーブ畑を、得て、食べて、満ち足りる、というものであるが、それは決して、他人が労して構築したものを、奪い取ったり、強奪する事ではない。
 御言葉を昼も夜も口ずさんでテフィリンした人は、何をしても栄えるため(詩篇1篇)、周囲にいる人々が、その人を持ち上げて、自分の家や畑をその人に任せるようになる。ちょうどイザヤ45:14にある通りである。
 ヨセフは奴隷だった時、彼がする事は何でも祝福されたので、やがてその家の支配人となり、紆余曲折は経たものの、ついにはエジプト全体の支配人へと、仕立て上げられた。そして彼が面倒を見た国政(家)も、農業(畑)も、大いに祝福され、民は喜んで彼に支配権を譲渡した。ダニエルも、バビロンやメド・ペルシヤの王達が自ら進んで彼に支配権を委ねた。被造物は、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでおり(ローマ8:19)、そして神の子が支配権を得て行使する時、人々も被造物にも、平安が来るのだ。
 
 以下、テフィリン教育の第一人者・キム・ヒョンジョン博士の言葉である。御言葉なるキリストが、その人の中に、千節も満たされると、悪魔サタンはその人に入れなくなる。コーエンで学んだある宣教師は、毎日六百回宣言していると、罪を犯す事が苦しくて苦しくてたまらない、と言っていた。御言葉なるキリストが、心や思いに、脳に満たされるなら、罪も、悪霊も、また、どうしても止められなかった罪の習慣さえ、居られなくなって出ていく。キリストとベリアルは、共生できないからだ(2コリント6:15)。さらに二,三千節の御言葉が入ると、見たものが写真を撮ったかのように、聞いたことが録音したかのように、覚えられるようになる。
そして旧新約が五千節も入ると、主がその人の手を取って国を変える働きをするようになり、手で触れたものがことごとく自分のものに、足で踏んだ所がことごとく御国のものになっていく。使徒パウロがそうだった。
 パウロは、旧約だけでなく、新約の御言葉もテフィリンされた人だった。旧約だけテフィリンしたユダヤ人は多くいるが、パウロは彼らとは比べものにならない働きをした。彼が手ぬぐいを人に当てただけで、その人の病や悪霊は出て行き、彼が足で踏んだ所はリバイバルが起き、二千年も続く教会が次々と建てられた。
 パウロは、表向きは囚人として護送されて行っただけなのに、彼が行かされた先々では、いつの間にか彼が主導権を取っており、奇跡が、救いが、次々と起こされて行った。御言葉が染み込んでいる人は、御霊がその人に、霊の帯で縛って、引いて行き、行く先々で主の働きが起きる。パウロがまさにそうだった。
 自分はただ導かれて行っただけなのに、主のスピーカーとして用いられ、自分はただ手を置いただけなのに、主が為したい癒やしのわざや奇跡を起こり、自分はただ聖霊に縛られ、引きずり回されただけなのに、行った先々で悔い改めが起こり、救いが起こり、教会が建って行く、という、パウロのわざが起きるのだ。
 
 だから、自分のものではないものが、次々と与えられた時にこそ、「気をつけよ」と、今回の御言葉は警告する(12節)。自分のものでない物質が次々に与えられる理由は、「わたし」が物持ちになったり、欲望のままに貪るためではない。ヨセフやダニエルのように、それを用いて全地に主の栄光をもたらすためなのだ。
 それらが与えられた時こそ、神である主を恐れ、主に仕え、御名によって「誓わなければならない」と書いてある(13節)。「誓う(シャーヴァ)」の意味は「7にする」「完全にする」「成人するまで育てる」といった意味があり、主を恐れ仕える事において、過ちを犯さない程に成人するまで、御言葉で養い育て続けよ、という事なのだ。そしてその時、世で成功したからと言って、世の神々に逆戻りするな、と警告されている(14節)。
成功した時、過ちに陥ってしまった人が、数多いる。それらを得た時こそ、真価が問われるスタートなのだ。
  今、世界では続々とテフィリンによる働きが起こされており、日本でもTIA(テフィリン・インターナショナル・アカデミー)が起こされ、立て上げの活動がはじまっている。まずは私達自身がテフィリンし、あらゆる面で祝福され、栄光の次世代を育て上げ、主の栄光を、全世界へと伝播して行く私達でありますように!

 

 

 

主日礼拝

御言葉教育がもたらす祝福(申命記6:4-9)

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週報/メッセージ(説教)概要

 私達には、ビジョンが与えられている。テフィリン(御言葉暗唱)を土台とした教育機関を立てて、頭の先から爪先まで御言葉が染み付いた、ダニエルやヨセフのような栄光の次世代を起こし、御言葉によって知恵と能力が研ぎ澄まされた彼らを通して、政治、経済、文化、教育のリーダーシップを取り、この時代に神の国をもたらす、というビジョンを。そこで、テフィリン教育の根幹を今一度、よく理解するため、テフィリン教育の本家であるユダヤ人が最も大切にしている今回の箇所(テフィリン本文)から、極意を得て行きたい。
 
 敬虔なユダヤ人であるなら、「シェマー(聞きなさい)」から始まる今回の申命記6:4-9の一文を、必ず朝夕宣言する。戦争中の兵士であっても「シェマー・イスラエル」だけは宣言する程、大切なこの箇所である。
 その最も大切な命令、「シェマー」は、単なる「聞け」という意味には留まらない。耳を傾け、心して聞こう、そして聞いたなら、それが何であっても従順しよう、という「意思」をフル可動させつつ、主の御言葉に耳を傾ける、という意味であり、これこそ、私達・神の民が、神の言葉と向き合う時に必須の心構えである。
 さらに5節には、全身全霊をもって主を愛する事が、命令されている。それでは一体、「主を愛する」とは、具体的に、どうする事だろう…。私達は、なんとなく、漠然と「これが主を愛する事」だと、根拠なしに行動してしまいがちであるが、ユダヤ人はその点、御言葉の根拠を置いているので、正確である。では、「神を愛する手段」とは、正確に、どうする事だろうか?その答えは、続く6-9節であり、彼らは6-9節に記されている「神を愛する手段」を、2500年前から今に至るまで、忠実に実践して来た。それで彼らは祝福されたのだ。
 6節には、主の御言葉を刻み込みなさい、とあるが、原意は「御言葉を溢れるばかりに存在させよ」である。
御言葉をテフィリンしたなら、家にいる時も、会社にいる時も、バカンス中でも、心に刻まれた御言葉が、常に心から溢れ、行動として流れていくため、何をするにも、御言葉に沿った祝福の法則どおりを、自動的に躊躇なく行い、呪いの法則を、自動的に躊躇なく排除しながら生きる。なんと祝福された生き方だろうか!
 7節には、御言葉を子どもたちに「よく教え込む(シャナン)」事が、命じられている。シャナンとは、ノミなどでコツコツ彫刻する事。つまり、御言葉をテフィリン(暗唱)する事は、芸術家が荒削りの木をノミで彫刻し、意味無いものに意味を与え、価値が無いものに、尊い価値あるものへ彫り込んで行くように、御言葉を何度も反復宣言する事によって、その子から、愚かな要らない性質が削ぎ落とされ、まことのアーティストであられる主が本来付与された、素晴らしい賜物を、その子に浮き上がらせ、素晴らしい性質を現して行くのだ。
 さらに、家に座っている時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これを唱えなさい、と命じられているが、それは「論じ合う」事である。彼らは、その御言葉を守って来た故に、小さい頃から、論じ合いディベートする”くせ”をつけて来たので、会話を聞いて理解する能力や、意思疎通能力、説得力や交渉力が高い。
 また8-9節では、御言葉をあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとしなさい、と命じられているが、これは現在も「テフィリン」という箱を手や額に結びつけながら、御言葉暗唱の祈りをする形で、守られている。また、家の入口の柱と門とに、わたしの命令を書きしるしなさい、という命令は、家の入口の柱や門に「メズーザー」という御言葉の箱を打ち付ける事で、実践している。しかし大事な事は、御言葉の箱といったモノではなく、御言葉の内容を自分の生活や生き様に、そのまま実体化する事である。
 
 このように彼らは、体や行動、家や生活全般において、神の言葉を打ち付け、結びつけ、御言葉の命令の「制限」の中で生き続けている。その制限こそが、彼らを守る防護壁となり、祝福をもたらしているのだ。
 こうして、神の言葉が入った子どもは、脳が祝福され、非常に短時間で多くを学ぶ事が出来る。ユダヤ人学校は、午前中はもっぱら御言葉をテフィリンし、昼食後の三時間程を、世の学校と同じ一般教育を学ぶ。
彼らは、入っている御言葉ゆえに、知恵・知識が祝福されているので、世の、普通の学校で学んでいる同年代の子ども達に比べ、一般教育を学ぶ時間が遥かに少ないにもかかわらず、遥かに優れた成績を出している。実際、アメリカの名門大学に入学する若者は、ユダヤ人であるパーセンテージが大きい。
 申命記6:4-9の御言葉を守る人には、10節以降の祝福が約束されている。すなわち、自分で建てていない良い物が満ちた町々や家々、掘らなかった堀り井戸、自分で植えなかったぶどう畑やオリーブ畑を得て、食べて、満ち足りるという祝福である。私達も、新旧約の御言葉を暗唱し、ユダヤ人以上にそれらの祝福を受け、栄光の次世代を育て上げ、主の栄光を全世界へ伝播して行く私達でありますように!
 

 

 

 

 

 

主日礼拝

礼拝の回復と神の民を復興させる働き人となるために(イザヤ61:1-10)

第一礼拝 Youtube動画

English Service:Lord's workers should always ask to the Lord(2Kings4:18-37) Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 今年、私達はルカ4:16-21とイザヤ61:1-10から、「主の恵みの年、主の復讐の日」を回復させる働き人となるビジョンが与えられた。あれから色々な事が進行した今、そのビジョンを今一度、確認したい。
 
 そのような栄光の働き人となるためには、まず主の御霊(聖霊)の油が注がれる事が必要だ(イザヤ61:1)。
主に油注がれた者・クロスはなぜ、王達や国々の上に立って、何の妨げも無しに国々の宝物を得られたか。
それは彼は、神殿を再建させ、神の民の礼拝を回復させるために、神様から特別に選ばれたからだった。
 私達もこの時代、真に礼拝の回復と、神の民の復興を切実に求め、働くなら、主は私達に聖霊の油を注ぎ、世の権威と宝物をゆだね、その働きを任される。天声・エクレシアは長らくそれを求め続けて来た。
 続いて「主の復讐」とは何か。それはルカ4:18以降にある通り、今まで貧しくさせられていた日々や捕われ状態だった日々への復讐であり、心に傷を負わされた事や、盲目にさせられていた事、また虐げられてきた日々に対する復讐である。私達もモーセやクロス王のように、神の民を長らく奴隷状態に縛り続けていた物事から解放させ、「主の恵みの年」へと塗り替え行く働きをするのだ。どうすれば礼拝の回復と神の民の復興が成し遂げられるか。その方法と原理は、既に学んできた。御言葉暗唱(テフィリン)によってである。
 
 もし私達がそのように「恵みの年」を始動させるなら、どういう有様になって行くのか、その内訳が、イザヤ61:3以降に記されている。すなわちシオン(神の民)の悲しむ者達に、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせる、と書いてある。それはすなわち、今まで虐げられ、傷ついて来た神の民に、慰めをもたらし、喜びを回復させ、賛美を回復させていく働きである。
 さらに4節以降には、昔の廃墟を建て直し、先の荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する働きが示されており、続く節では、世の人々の間で指導的立場になって行く事が約束されている。
 『他国人は、あなたがたの羊の群れを飼うようになり、外国人が、あなたがたの農夫となり、ぶどう作りとなる。しかし、あなたがたは主の祭司(コーエン)ととなえられ、われわれの神に仕える者と呼ばれる。あなたがたは国々の力を食い尽くし、その富を誇る。』(5-6節)。 コーエンとは「祭司長」「人々の長」を意味する。
 主に油注がれ、主の御心にかなった働きをして行くなら、私達は「コーエン」、すなわち人々にとって祭司、神の言葉を教える者、人々の上に立つ指導者となって、国々の力を食い尽くし、その富を誇るのだ。
 『あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、その国で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる。』(7節)。 確かに、物質的な祝福も約束されているが、そもそも、主が物質的祝福を与えて下さる理由は、それを用いて貧しい人々を救い、世に主の恵みの支配をもたらす為だ。富が増しても傲慢になったり堕落せず、常に真実でいるべきである。
主は公平を愛し、強奪と邪悪を憎み、真実をもって彼らに報いを与える、と8節に書かれてあるのだ。
 さらに9節の有様は、まさに、テフィリン・インターナショナル・アカデミー(TIA)が実体化させていく内容が記されている。『彼らの子孫は国々の内で、彼らのすえは国々の民の内で知れ渡る。彼らを見る者は皆、彼らが主に祝福された子孫であることを認める。』(9節) テフィリン教育(御言葉暗唱教育)によって育まれた若者たちは、ダニエルやヨセフのように、どんな事があっても神から離れないようになり、知性や様々な能力においても、天才的になる。そうして御言葉中心の教育で育て上げられた若者たちが、政治、経済、文化、教育、あらゆる面でリーダーシップを取って行くなら、国々は、主の栄光を見、人々は、御言葉中心の政治、経済、文化、教育のもとで、保護されながら歩んで行く・・・。今、コーエン大学で養われた働き人達を中心に、世界中で、御言葉暗唱教育のムーブメントが起こり、実際、そのような若者達を育てている。
 
 イエス様は言われた。「今日はこの御言葉が、あなたの耳の中で成就した日です」(ルカ4:21)。つまりイエス様の御言葉を、耳で聞いて、それを心に混ぜ合わせて「信じる」なら、それはその人の内に、また、人生に成就する。「あなたが信じた通りになれ」と主が言われた通りである。 主は、今、人のいないのを、うめいておられる。御言葉を第一にして歩む人や、時代のためにとりなす人、主のうめきを察知して、主の働きをする人が、いないのを。私達はこの時代、神と人との間に立つコーエンとなって、この時代に主の恵みの年、主の復讐の日々を実現していく働き人でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

 

 

主日礼拝

王たる者のたしなみと、王を育てる母のたしなみ(箴言31:1-9)

第一礼拝 Youtube動画

English Service:The way of flesh and the way of the Spirit(Rom8:9-14) Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 本日は母の日である。母は、子にとってはトーラー、神の法であり(箴言1:8)、子は、父よりも母の影響を受けて育つ。女性はいのちを産み、養い、育てたい、と願う。神様がその機能と性質を備えられたからだ。
 1テモテ2:15に、女性は慎みと共に子を産む事によって「救われる(ソーゾー)」とあるが、ソーゾーには「完成する」「癒やされる」「全うされる」の意味もあるので、女性は、子を産んで、育て上げる事によって、完成されるのだ。それは、実際にお腹を痛めて子を産む事に限らず、霊的な子を産んで、一人立ちさせる事によっても、そうである。女性がエデン以来、産みの苦しみが増加されたのは、御言葉によってではなく、自分の善悪判断によって、子を産んだり、育てるからだ。いかにしたら、正しく子を育てられるだろうか。
 
 今回の箇所はマサの王・レムエルの母の言葉であるが、母のひとかたならぬ愛とうめきが込められている。
『わが子よ、何を言おうか。わが胎の子よ、何を言おうか。わたしが願をかけて得た子よ、何をいおうか。』(2節) 最初の語りだしは、マー(What? How? What!)という、感嘆の語を、3回も繰り返している。彼女が誓願をかけて得たこの子、苦しみつつ生んだこの子に、一体、何を伝えたらいいだろうか・・・。子に幸せになってほしい、間違った道に歩んでほしくない、とは、どの母も思うが、多くの母は、無知ゆえに、自分の善悪判断に従って育てて、失敗してしまう。本来、神の言葉に従って育てなくてはならないのに。
 母はうめく。一体我が子を、どうしたらいいだろう、と。そこで彼女が最初にいましめた言葉が、3節である。
『与えるな(置くな)、あなたの力(、富、権力)を、女達に。あなたの道を、王たちを摩耗・消滅させる者へ』(3節直訳) ここの「女」は複数形なので、神を知らない「異邦の女達」の事だろう。女とは、男性が夢中になる対象であり、そして男性の力で守り、愛し、育むべき相手である。「若い時の妻と喜び楽しめ、いつも彼女の愛に夢中になれ」と言われたが (5:18)、神の言葉よりも優先したり、支配権を逆転させたりしてはならない。神の言葉より妻の言葉を優先させてしまった結果、アダムとエバはエデンから追い出されたのだ。
 男性に限らず、女性も、夢中になりそうな異性や、溺愛しそうな相手(たとえば子供)には、気をつけるべきである。本来、自分が保護者として養い守るべき相手、すなわち、弱く無知で正しく守り導いてやらなくてはならない相手に、力や富や権力をあずけ切ってしまうと、神の国の秩序が脅かされてしまうからだ。
 エデンでは当初、神と、男と、女と、健全な三角関係があった。人は神を主とし、その上で、夫婦の正しい秩序を保っていた。その限りでは、エデンは楽園であったし、その時、共に裸であったけれども、全く気にならなかった。しかし、神抜きで、身勝手な善悪判断すると、家庭は壊れ、労苦するようになってしまった。
 レムエルの母は言う。王達を消し去る者に、ゆだねるな、と。ソロモンは、女達に主導権を握らせてしまった故に、偶像崇拝をするようになり、主の戒めを聞かなくなって、全イスラエルに災いをもたらしてしまった。
 私達も、キリストにあっては、御言葉で支配する王である。私達はその支配権を、手放してはならない。
 
 4-7節は、さらに、夢中にさせる物全般への警告が記されている。『レムエルよ、酒を飲むのは、王のする事ではない、王のする事ではない、濃い酒(シェカール)を求めるのは君たる者のする事ではない。』(4節)
 シェカールとは、うきうきさせるもの、夢中にさせ、中毒性をもたらすものであるが、特に、神の国と関係の無い、そして自分の意思で止める事が難しい「シェカール」の類を求めるのは、王たる者のする事ではない。
 それはアルコールはもちろんのこと、インターネットから流れてくる架空のコンテンツやメディア情報など、現実を離れさせ、ぼんやりさせるもの全般である。それらは、本来、取り組むべき仕事のための時間や、お金、エネルギーを浪費させ、仕事を「かったるい」と思わせたりする。王たるものは、そうしたものにうつつを抜かして、勅令(ハカク:刻まれた言葉:テフィリン)を、口から宣言する事を、忘れてはならない(5節)。
 
 8節は「あなたは全て口の利けない人、すなわち滅びが定められている者たちのために、口を開け」と訳せる。つまり、御言葉を口で言えない霊的な「おし」は、滅びへと向かっているのだ。実に多くの人が、そうである。キリストにあって王とされた私達は、そのような人のために、テフィリンした御言葉という「勅令」を口から発し、行くべき道が分からず滅びへ向かっている人を救って行くべきだ。この時代、王とされた者として、テフィリンした御言葉の勅令を口から出し、霊的な子にしろ、肉的な子にしろ、御言葉によって正しく育て上げて、立派な王へと育て上げていく私達でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

主日礼拝

主の霊が留まる人にあらわれる性質(イザヤ11:2)

第一礼拝 Youtube動画

English Service Walk in the Spirit(Rom8:1-8) Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 5月の聖句は、イザヤ11章2節である。『その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である』。この箇所は、エッサイの根株から生じた「新芽(ネツェル:切り株から生じた全く新しい芽)」が示されており、それはすなわち、ナザレ人イエス・キリストを指す。
 その根株とは「切り株」、すなわち、一度は巨木へ成長したのに、高ぶった故に、切り倒されてしまったのだ(10:33-34)。実際、ダビデの子・ソロモン王の家は、祝福されると、高慢になり、信仰が変質して行ってしまったため、その王家は切り倒されてしまった。それで、ソロモン系列ではないダビデ王家の子孫から、イエス・キリストが出た(ルカ3:31)。主は、人の知恵や力由来の高慢が混ざった力は、用いない。むしろそれは切り倒し、人間の力の混じっていない、主の復活のいのちの力を通して、御国を建てられる。
 
 イエス様がバプテスマを受けて水から上がられた時、聖霊が鳩のように降りてきてイエス様に留まり、「その上に主の霊がとどまる」と預言された言葉が成就した。私達も、バプテスマを受け、イエス様へ接ぎ木されているなら、同じ霊が私達にも流れ込んでくる。その霊にはどのような性質や能力があるか。2節にある。
 1,知恵(ホークマー):wisdom 、知恵,知性,思慮。 2,悟り(ビーナー):understanding 、理解,識別。 3,はかりごと(エツァー):counsel 、計画、助言。 4,能力(ゲブラー):might、力。 5,主を知る「知識(ダアト)」:knowledge 、知識,理解,認知。 6,主を「恐れる(イェーラー)」:fear 、畏怖,尊敬,敬虔。
 私達もキリストにつながり、これらの性質に満たされるなら、もはや過ちや間違いは犯さなくなり、世のどんな力も、知恵者も、その人には太刀打ちできない。ちょうど、神の霊で満ちたダニエルやステパノのように。
 また、表面上の物事に騙されなくなる。その人は、目で見える所によって判断せず、耳で聞く話で判断せず、むしろ、公正と義をもって判断するようになり、特に寄るべのない人や貧しい人を正しく導き、また、口のむちをもって地を打ち、「くちびる(サーファー)の息(ルアッハ:霊)で悪者(ラーシャー)を殺す」(3-4節)。 
このサーファーとは、「唇」の他に、「言葉」、「境界線」、「縁」という意味があり、ラーシャーは、道徳的な悪を積極的に行う性質、あるいは、そういう人を指す。すなわち、そのような唇から出る息こそ、御霊の与える御言葉の剣であり、私達の中の、あるいは人の中の邪悪な性質や、反道徳的な性質を刺し殺すのである。
 
 聖霊の油が注がれて、御霊に導かれて歩む人は、もはや、世の肉欲を満たしながら生きるためではなく、主の御国をこの地にもたらすために生きるようになる。そのため、肉の判断ではなく、霊の判断によって判断し、また、人間的なやりたい時にではなく、主の時に促されて事を起こす。主に油注がれた王・クロスは、人の技とは到底思えないような手段とタイミングで、バビロンに勝利し、ペルシア帝国を大いに栄えさせた。
 そして、そのように主の霊に導かれた人が統治する世界は、平和になる。その究極形態としての、イエス・キリストが統治する世界が、6−9節に記されている。そこでは、狼は子羊とともに宿り、子牛と、若獅子と、肥えた家畜は、共にいて、小さい子どもがこれを追って行く。雌牛と熊とは共に草を食べ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食うようになる・・・。9節に、そこがこんなにも平和である理由が記されている。
そこは「主の聖なる山」という領域であり、「主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たす」状態なのだ。
 獅子や熊が、牛と一緒になって草をハムハムする・・・。そう、主の知識である御言葉をテフィリンし、それが、私達の中に満ちると、どんなに獅子や熊、狼や蛇のような性質であったとしても、それらは抜き去られ、平和な食物を食べる者へと創り変えられ、主の聖なる山で、永遠に、平和の内に生きるようになる。
 
 私達はこの日本に、そのように平和な「主の聖なる山」をもたらす者になりたい、と、思わないだろうか。そのためにはまず、私達の中の高慢が切り倒されなくてはならない。人間的な誇りや高慢の一切混じっていない、「新芽」であられるキリストへと接ぎ木され、この御方につながり続けるなら、そうしている内に流れ込んで来る聖霊の油によって、豊かな実を結び続け、流れ込んでくるいのちに、満ち溢れるようになって来る。
 『あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。』(ヨハネ15:5) 私達が御言葉にとどまり続けるなら、大胆に、主に何でも求める事ができるようになる。海が水で満ちているように、主の栄光でこの地を満たす、栄光の働きに、豊かに用いられる私達でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

 

主日礼拝

ディアスポラ:聖霊の風によるいのちの拡散(ヤコブ1:1)

第一礼拝 Youtube動画

English Service: Διασπορά:Scattered - God's great will(Jam1:1-5)  Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 先週は、二年半ぶりにキム・ヒョンジョン博士(米国コーエン大学副総長、テフィリン国際宣教会会長)をお招きし、コーエンジャパンの講義を行う事ができた。コロナの時代、海外の講師を日本にお連れするには、幾つもの許可や資料が必要で、受けるべき諸々の検査に不備が一つでもあったら実現しなかったし、また、準備の時期に関係者の一人でもコロナに感染したら、実現できないという、実に、信仰が試されるセミナー開催だったが、主は全ての青銅の扉を打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折り、御言葉の真理の秘められた宝を、ざくざくと開示して下さった(イザヤ45:1-3)。ねたむ霊的存在からの妨害も、色々あったが、主は私達をあらゆる面で支え、成功させて下さり、私達が進んでいるこのテフィリンの道、御言葉中心の道は、確かに主が祝福し、守り、道を開いておられるという事が、ありありと示された。栄光の主をほめ讃えます!
 約2年半ぶりのキム先生の講義は「変わった」と言う人が多かった。確かに今まで、キム先生の講義は、博士課程の講義とは思えないほど、面白くて楽しい、けれども、難しい所もまた多かった。しかし今回のテーマはとても難しい内容のはずなのに、面白くてわかりやすい!という人が続出したのだ。この2年、キム先生にどういう変化があったのか。先生を空港にお届けする道中、その秘密をお伺いする事ができた。
 
  先生は、コロナ禍ゆえに、海外渡航制限されて以来、世界中を飛び回って講義する事が出来なくなり、手足がもがれてしまったかのように見たが、実は、それがかえって、全世界のテフィリン活動が熱くなるきっかけとなったのだ。ちょうどパウロが、ローマに行きたくても「神がかり的な妨げ(エコルセン、ローマ1:13)」に遭って、どうしても行けなかったように。しかし、その「妨げ」のおかげで、パウロはローマ書という書簡を書き残し、その素晴らしい内容が全世界へと広がり、今こうして、私達も、養いを受ける幸いにあずかった。
 キム先生も、世界に出て行けなくなったお陰で、テフィリン国際宣教会(TEIM)が立ち上がり、コロナ前に先生がテフィリンの種を蒔いて育っていた世界中の弟子達を通して、1189節の御言葉暗唱を、世界同時に行うプロジェクトが発足し、今、日本の私達も同じテフィリン箇所を全世界の仲間と一緒に暗唱している。
 現在それに参加している国は37ヶ国、テフィリン映像を制作できる国は、日本も含め9ヶ国に上っている。
 海外渡航が閉ざされ、世界でセミナー開催ができなくなった時、収入の見込みがなくなり、もはや働きができなくなるかのように見えたのだが、奇跡が起きた。キム先生と面識のない方々からの献金が続々集まり、全ての必要が賄われたのだ。神様は、テフィリンに関しては、道を開いておられる、という事なのだ。
 
 この2年半、先生はテフィリンの弟子達を養うために、聖書の一節一節について、四百字原稿用紙3〜5枚分ほどの解説を書くようになった。それは、どれ程の事だろうか。たとえば、「夕があり、朝があった。第三日」(創世記1:13)という、たった一節から、千字以上の解説を書き上げる事が、私達にできるだろうか?
 先生はあれ以来、一節の御言葉をじっくり読み、何度も声に出して宣言し、原語で一語一句を調べ思い巡らす、という作業を、何度も繰り返した。すると主が、その御言葉に込めて下さった命を与えて下さるのだ。
 神の言葉は、一節の中に、宇宙以上の価値が込もっており、御言葉のひとつを集中して何度も宣言し思い巡らしていくと、主が語りたい事が、聖霊を通してダウンロードされ、文字に起こす事ができるようになる。
 そうして聖霊によっていのちが与えられたその言葉は、血肉を帯び、感情を掻き立て、本能的・直感的に理解を与え、時には責め、戒め、あらゆる人に(子供であっても)わかりやすい、養いの言葉となるのだ。
 そして「文書」は残り、蓄積され、その書き残されたものは、全世界へと拡散されていく。あたかも、植物の種が、神様が起こした台風によって捲き上げられ、気流に乗って、拡散し、神様の意図する所へと運ばれ、落ちた所で芽を吹き、根を張り、育って、さらなる実を結び、数千億とも言える生き物たちを養うがごとくに。
 
 『神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、「離散している(ディアスポラ)」十二部族の人々へ、あいさつを送る。』(ヤコブ1:1) この言葉の元であるディアスパイローは、「ディア(あちこちに)」+「スパイロー(種が蒔かれる)」である。つまり「ディアスポラ」になる事は、神による意図的な種の拡散なのだ。一見すると絶望的な「散らされざま」に見えても、それは神の主導によるものであり、結果的には至る所にいのちの実が結ばれて行く事になるのだ。この時代、主が吹かせて下さった聖霊の嵐に乗って、テフィリンの種をさらに拡散させ、その実を豊かにみのらせていく私達でありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

 

 

 

主日礼拝

終わりの時代の残された者になろう(ローマ11:4-5)

第一礼拝 Youtube動画

週報/メッセージ(説教)概要

 本日は復活祭(イースター)、主イエス様の復活を記念する日である。本日は特別に、テフィリン国際宣教会(TEIM)代表、キム・ヒョンジョン博士に、メッセージしていただく。
 『ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルに膝をかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」 それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。』(ローマ11:4-5)  
 この箇所は、旧約・第一列王記19章で、主がエリヤに語られた箇所からの引用である。かの時代、神の民と言われていた者達の誰もが、不信仰に陥ってしまった時代だった。そんな中、主に熱心に仕えたエリヤは、祈りによって天から火を降し、3年半も降らなかった雨が降るようになった。それを見た人々はこぞって「主こそ神です」と叫んで、信仰が一気に回復したかのように見えたが、たった一人の女・イゼベルの、たった一言によって、彼が今まで熱心に為して来た労苦と働きは、一瞬にして台無しになってしまった。
 エリヤは逃げて、大いに意気消沈し、「主よ、もはや充分です。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」と願うまでになってしまった(1列王記19:4)。 しかし主は、復活の主であり、主にとって「復活」はお手の物である。主は、心が死んでしまったかのような働き人を、復活させて下さる。
 
 エリヤは全てを放り出して、木の下で眠っていたが、そんな彼に主が送られたのは、彼が願っていた「死」ではなく、むしろ、焼いたパンと水だった。復活の主イエス様も、弟子達に同じようにして下さった。弱さ故に過ちを犯してしまった傷心の弟子たちに、主は現れ、ご自身が焼いて下さった魚とパンを、弟子たちに差し出された(ヨハネ21:9-13)。 私達の主は、そのようなお方である。そのような主の直接の養いは、苦心して働く働き人に親密に与えられる、特別な特権であり、それによって養われる働き人は、復活する。
 主は、傷心のエリヤに、御使いを遣わされた。『主の使は再びきて彼に触って言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから(NKJV: the journey is too great for you)」。彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。』(7-8節) エリヤにはまだ、多くの成すべき「使命」があった。たとえ傷つき、疲れ、倒れてしまっても、主は、そんな働き人に直接の養いを下さり、そしてそれを頂く人は、どんな険しく、長い道のりでも、進み行く事が出来る。そして、人にはとうて出来ない「主のわざ」をするようになって行く。復活の主は、死を打ち破る爆発的な力を下さるのだ。
 
 エリヤは神の山ホレブに到着し、主の御前に自分の思いを全て投げ出し、一対一で交わった。とても激しく。そして、とても親密に…。その時、主が言われたのが、この言葉である。 『しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を「残しておく(שָׁאַרシャエル)」。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」』(1列王記19:18) シャエル(残された者)法則。それは、主が取って置かれた者、残しておられた者を通して、主が時代に介入される法則である。 どういう人が「残された者」として、主に用いられる働き人となるのか。それは、御言葉暗唱をして、御言葉が息吹かれた働き人、である。
 終わりの時代、主が用いられる人は、忍耐して神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ち続ける聖徒(黙示録14:12)、つまり、1,旧約の戒めを守り、2,イエスを信じる信仰を持ち続ける、という二つの「守る(シャマール)」を持つ人、すなわち旧新約の御言葉をそのまま暗唱する人が、終末時代の主人公となるのだ。
 
 エリヤはこれ以降、もはや、独りで戦うのではなく、主のために戦う次世代を育て、建て上げる働きへ入る。
主はエリヤに「ダマスコのハザエルに油を注いで王とせよ」と命じられたが、ハザエルを王としたのはエリヤではなく、後継者のエリシャだった。その後、エリシャの預言者のともがらの一人が、ニムシの子エフーに油を注いだ(2列王記9章)。「預言者のともがら」は、リビングバイブルでは「預言者学校の生徒」と訳されている(2列王記2:3-5)。エリヤはかつて、預言者は全員殺されて自分しかいなくなった、と思ったが、主はバアルにひざをかがめない7千人を「残してシャエル」おられた。彼は後に、預言者学校を立ち上げ、多くの若手預言者たちを育成して行ったのだ。主と一対一で親密に交わり、復活の力を得たゆえである。
 今この時代、私たちは御言葉暗唱して、エリヤのように「御言葉暗唱学校」をつくり、暗唱学校の生徒を、主にある「残された者」として育て上げ、この時代に主のために使命をもって働き、主の栄光を届ける「時代の主人公」を育て上げていく私たちでありますように!イエス様のお名前によって祝福します!

 

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