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早天祈祷会
ヤコブの手紙概要(ヤコブ1:1-4)
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『神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している十二部族の人々へ、あいさつをおくる。』(ヤコブ1:1)
ヤコブ書を記したのは、主の兄弟ヤコブ、すなわち、イエス様と血の繋がった、イエス様の弟である。
彼は自分を、イエス様の「弟」としてでなく、「主」「イエス・キリストの僕」として立場を表明した。
それだけ、イエス様の公生涯の歩みと、死と復活の有様は、神の子として否定しようがないものだったのだろう。
私達も、血肉としての間柄を離れ、霊的な立ち位置をわきまえるべきだ。
そうでないと、「預言者は故郷では敬われない」事に加担してしまう。
彼はこの手紙の宛先を「離散(原語:ディアスポラ)している十二部族の人々へ」としている。
すなわち、迫害により世界各地へと散らされ、散らされた先々で根付き、実りを実らせているキリスト者達に、である。
こ のヤコブ書は、信仰による救いよりも「行い」を重視しているという事で、マルチン・ルターからは「藁の書」だと言われ、彼は何度も正典から外そうとされた が、あいにくこの書は、信仰を持っていない人に対して書かれた救いへのインビテーションではなく、既に信仰に入ったキリスト者達が、迫害の困難の中にあっ ても、いかにキリスト者として生き、成熟して行くべきかを、指南し、慰め、励ますための書なのだ。
だから、ヤコブは言う。
『わたしの兄弟 たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。あなたがたの知っているとおり、信仰がためされること によって、忍耐が生み出されるからである。だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。』(ヤコ ブ1:2-4)
試練に遭うのは練られるため、そしてますます欠点が無くなり、完成へと近づくものである、だから、むしろ喜べ、と言われている。
そ れは、苦しいのに歯を食いしばって、無理やり「喜んでいます」と、ちぐはぐな事を言う事ではなく、むしろ試練にあわせられるのは、主はその人を成熟に近づ いている者として見ておられ、報いが実体として来る時が近いのだ、と、心の底から喜び楽しみにするべき時だと言っているのだ。
『そういう わけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、洗いごとについ ての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。』(ヘブル6:1-2)