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メッセージ - 定期祈祷会メッセージカテゴリのエントリ

怠け者になる原因と特徴、そして脱却方法(箴言26:13-16)

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なまけ者の特徴は、色々ある。
何事もめんどくさいと思う、体を動かすのが嫌い、引きこもる、先延ばしにする、楽をすることが一番、寝ることが好き、時間にルーズ、人に合わせるのが嫌い、などなど。
 
今回は、怠け者になる原因と特徴、そして脱却方法を見ていきたい。
 
箴言26:13 なまけ者は、「道にししがいる、ちまたにししがいる」という。
26:14 戸がちょうつがいによって回るように、なまけ者はその寝床で寝返りをする。
 
怠け者は、何かいいわけを見つけて、自分のなまけ場所という「巣」をつくって、そこでごろごろする。
なぜなら、その、自分だけのテリトリーに引きこもっているなら、その時間・その場所で、主導権を握れるからだ。
 
ところが、一歩外へ出れば、有能な人が、主導権を握っているので、自分の思う通りに行かない。
しかも、するべき事をしない・動かない自分の「なまけざま」が、責められるので、ますます自分の巣に、自分の「思い巡らし」に、引きこもることになる。
 
しかし、そうやってなまけた事で費やした時間のむくいは、やがて、必ず来る。
 
6:9 なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。
6:10 しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。
6:11 だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。
 
なまけた事の報いは、貧しさと、乏しさである。
そして、霊的になまけた事の刈り取りは、永遠の火である。
 
悔い改めるべき時に悔い改めず、罪の飲み食いを止めない。
明日、しよう。
明日、やめよう。
すると、その「明日」は1週間後となり、1ヶ月後となり、1年後となり、10年後、30年後となり、延々と続けて、結局タイムリミットが来たしまったなら、その刈り取りをしなければならない。
 
怠け者の、最たる特徴は、時間をわきまえない事である。
するべき時に、するべき事を、気が向かないからといって、しない。
そうこうしているうちに、どうにもこうにも、しなくてはならなくなる時が来て、追い立てられながら、嫌々ながら、せざるをえない。
 
26:15 なまけ者は手を皿に入れても、それを口に持ってゆくことをいとう。
26:16 なまけ者は自分の目に、良く答えることのできる七人の者よりも、自らを知恵ありとする。
 
怠け者は、霊的なアドバイスというごちそうを持って言っても、それを受け入れようとしない。
むしろ、自分を知恵ある者と思い込んで、余計な見解を混ぜ込んでしまう。
 
怠けぐせを治すには、どうしたらよいか。
その示唆が、箴言31章10節以降に、あの有名な「しっかりした妻」の箇所に、ふんだんにある。
彼女は、まさに、怠け者の反対である。
 
1,まずは、行動する事。
 
怠け者は、まず、動きたがらないが、彼女は、行動のかたまりだ。
だから、まずは何の生産性をもたらさない寝床や「巣」を、さっさと畳んで、行動するのだ。
 
箴言31:15 彼女はまだ夜のあけぬうちに起きて、その家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与える。
 
2012年、ハンチングドットコムという所が、68000人の男女を対象に、起床後にどんな事をしているのか、また、人生への満足度や、収入との関連性を調べた所、自分でベッドメイキングをする人の、約71%の人が、「自分は幸せ」と答え、それをしない人の内、62%が、「自分は不幸だ」と答えたという。
一日が始まったら、寝床という、ぬくぬくと居心地が良い、そして何の生産性をもたらさない所を、さっさと畳んで、イエス様が用意された素晴らしい一日へと踏み出して行くのだ。
 
2,「よくなりたい」という意識を持つ
 
イエス様が、よく言われた言葉が「よくなりたいか」だった。
38年も病に伏せっていた病人は、その言葉に対し、「助けてくれる人がいません」と答えたが、イエス様は容赦なく、
「起きて、床を取り上げて、あるきなさい」
と言われた。
すると、その人は、38年も伏せっていた床を取り上げて、歩き出した。
38年も、できなかった事が、イエス様の言葉に従っただけで、できたのだ。
 
「よくなりたい」と思わない人は、どんなに、黄金のような怠けぐせを脱却するアドバイスをしたとしても、「めんどうくさい」、という一言で、台無しにしてしまう。
まずは、つべこべ言わず、思考停止して、イエス様に言われた通り、床を取り上げて歩くべきなのだ。
 
3,大切な人、守るべき養うひとを見つける。
31:27 彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。
 
母親になって、赤ちゃんができれば、否が応でも、赤ちゃんを養うために、動かざるを得ない。
同じように、大切な人、養うべき人、がいるなら、自分の事はともかくとして、その人のために動く。
そういう人は、「動きたくない」「かったるいな」などといった、怠けの思考は停止して、動かざるをえない。
つべこべ考えて心を病む、というような暇が無い。
 
大切な、養うべき人を持つ。
それは、「よくなりたい」という意識を持つ以上に、なまけを排除する要素である。
 
使徒20:33 わたしは、人の金や銀や衣服をほしがったことはない。
20:34 あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、自分の生活のためにも、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ。
20:35 わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また『受けるよりは与える方が、さいわいである』と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである」。

主の働き人に与えられた保証と権威(マルコ16:15-18)

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今回の箇所は、福音を伝える人は、世の5つの害悪・害毒から守られ、むしろそれらを制圧し、世にいのちをもたらす事が示されている。
 
マルコ16:15 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
16:16 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
 
「全世界」と訳された語はコスモス、すなわち全宇宙。
すべての「造られたもの」はクティシス、すなわち、すべての被造物。
つまり、福音(ヨゥアンゲリオン:勝利の良き知らせ)は、人間に対してだけでなく、動植物や大地、地殻、太陽など、全被造物に対して、宣言するべきなのだ。
福音を受け入れ、信じてバプテスマ(浸し込み)を受ける人は、救われる。
信じない人は、刑罰が定められている。
それは、イエス様を信じない者は、罪の赦しを受けないままの状態であり、あらゆる罪をもたらす害毒・害悪を、あい変わらずに撒き散らし続けるからだ。
 
マルコ16:17 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
16:18 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
 
5つのしるしはすべて、世の害悪から守られる、という「受動的」なものだけではない。
それら、害悪を攻撃し排除するという「積極的」しるしである。
 
福音を伝える人は、イエス・キリストの御名によって、
1,悪霊を追い出し:霊的害悪を排除する。
2,新しい言葉(数々の異言(外国語))を語り:世の、死と呪いに汚れたことばに自分自身は汚染されず、むしろ、上からの、全くあたらしい、いのちを養うことば、癒やしのことば、無秩序に対し秩序をもたらすイエス様のことばを語りだす。
3,へびをも「つかむ(アイロー:取りあげる、外す、運び出す、除去する):サタンやそれに類する者共を、そこから取り上げ、除去する権威が与えられる。
4,毒を飲んでも害を受けない:霊的な毒からも、また人の言葉から来る思考的な毒からも、また、被造物から来る毒も、打ち払い捨て、無効化し、むしろ毒の反対、いのちに有益なものをもたらす。
5,病人に手をおけば、いやされる:病にかかることから守られるのみならず、むしろ癒やす、と、主が約束された。
 
これら全てをまさに体現したのが、使徒パウロである。
 
使徒28:1 わたしたちが、こうして救われてからわかったが、これはマルタと呼ばれる島であった。
28:2 土地の人々は、わたしたちに並々ならぬ親切をあらわしてくれた。すなわち、降りしきる雨や寒さをしのぐために、火をたいてわたしたち一同をねぎらってくれたのである。
28:3 そのとき、パウロはひとかかえの柴をたばねて火にくべたところ、熱気のためにまむしが出てきて、彼の手にかみついた。
28:4 土地の人々は、この生きものがパウロの手からぶら下がっているのを見て、互に言った、「この人は、きっと人殺しに違いない。海からはのがれたが、ディケーの神様が彼を生かしてはおかないのだ」。
28:5 ところがパウロは、まむしを火の中に振り落して、なんの害も被らなかった。
28:6 彼らは、彼が間もなくはれ上がるか、あるいは、たちまち倒れて死ぬだろうと、様子をうかがっていた。しかし、長い間うかがっていても、彼の身になんの変ったことも起らないのを見て、彼らは考えを変えて、「この人は神様だ」と言い出した。
28:7 さて、その場所の近くに、島の首長、ポプリオという人の所有地があった。彼は、そこにわたしたちを招待して、三日のあいだ親切にもてなしてくれた。
28:8 たまたま、ポプリオの父が赤痢をわずらい、高熱で床についていた。そこでパウロは、その人のところにはいって行って祈り、手を彼の上においていやしてやった。
28:9 このことがあってから、ほかに病気をしている島の人たちが、ぞくぞくとやってきて、みないやされた。
28:10 彼らはわたしたちを非常に尊敬し、出帆の時には、必要な品々を持ってきてくれた。
 
マルタ島では、パウロがこの時植え付けた福音が、2000年経った今でも廃れず、ずっと生き続けている。
 
いま、私達は、新しいことば、この世とは異なったことば、すなわち神のことばを、全被造物に対して語る必要がある。
「ことば」と、病は、深い関連があるからだ。
 
ヘブライ語で、コロナやペストなどの感染力の強い病疫を「デベル」と言うが、それは、ことばを意味する「ダバル」と、子音が同じであり、デベル(疫病)は、ダバル(言葉)が元なのだ。
 
ことばには、感染力があり、拡散力があるが、デベルのみならず、悪意あるダバルからも守られるのだ。
 
詩篇91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病(デベル)から助け出されるからである。
詩篇91:6 また暗やみに歩きまわる疫病(デベル)をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
 
今、コロナ禍の中では特に詩篇91篇の守りを宣言する必要があるが、この守りは、世にはびこるあらゆる害毒を持ったことば、情報からも、守られる。
 
この「使徒29章」の時代、使徒パウロのように、コロナ禍にあえぐ全被造物に対し、また、人、モノ、コトに対し、イエス・キリストの勝利のよき知らせを伝え、宣言し、あらゆる呪いを、あらゆる毒を、あらゆる病を、また、あらゆる悪しき霊や悪しき言葉を、攻撃し、踏みにじり、無効化し、勝利して、イエス・キリストのいのちを、至るところにもたらして行く皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

悪霊を惹き寄せるコスメと、イエス様を惹き寄せるコスメ(ルカ11:14-36)

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11:14 さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、物を言えなくする霊であった。悪霊が出て行くと、口のきけない人が物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。
11:15 その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、
11:16 またほかの人々は、イエスを試みようとして、天からのしるしを求めた。
 
イエス様は、様々な悪霊を追い出した。
悪霊を追い出す事や、癒やしは、良いわざであり、否定しようがない。
それなのに、それを悪くいう人がいた。それが、祭司長や、パリサイ人たち。
 
11:17 しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまい、また家が分れ争えば倒れてしまう。
11:18 そこでサタンも内部で分裂すれば、その国はどうして立ち行けよう。あなたがたはわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言うが、
 
サタンの国が、もし仲間割れしていたら、とうの昔に、その支配体制は滅んでいたはず。
けれども今、厳然と、悪の勢力は統率がとれて機能している。
 
どういうわけで、秩序がなさそうな悪霊どもに、統率がとれているのか。
それは、サタンが、厳然とした権威体制を強いているから。
 
サタンの国でさえ分裂せず統率が取れているのに、私達が、分裂して統率が取れないとするなら、それは恥ずかしい事だ。
 
ガラテヤ
5:13 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
5:14 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。
5:15 気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。
 
だから、もし兄弟姉妹の間で、家族間で、夫婦間で、仕事場で、ビジネスにおいて、分裂しているなら、そこは、立ち行かない。
なぜなら、たとえば、10の力があるとするなら、かみあう事で3のエネルギーを使い、食い合う事で3のエネルギーを使い、残りの4で、世の戦いをして行かなくてはならないからだ。
それでは、負けてしまう。
 
敵意、争い、そねみ、分裂、分派、党派心、ねたみ等は、肉の実である。
それでいては、せっかく10ある力が、4になり、やがて、先細りして無くなってしまう。
むしろ、互いに愛し合い、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制があるなら、10の力が100にも1000にもなる。
 
だから、イエス様にあって和解するべきなのだ。
 
11:19 もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
 
当時、悪霊を追い出す祈祷師が、ユダヤ人の中にいた。
祭司長スケワの息子達がそれである。(使徒19:13-16)
だから、悪霊をベルゼブルによって追い出している、と言った、彼ら自身が、彼らをさばいているのだ。
 
11:20 しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
 
そう、神の国は「あなたがたに」来ている。
2021年現在も、あのイエス様の時代と同じように。
 
神の国にあずかれない人がいるが、そのコツとは何か?
今回の箇所は、そのコツで満ちている。
それは、イエス様に対しての、こころざしが悪い人たちだ。
そういう人は、神の国に入ることができない。
 
11:21 強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。
11:22 しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである。
 
イエス様は、はるかに強い。
そのイエス様が来て、悪霊をしばって、その人を開放するなら、その人はイエス様のとりこになる。
だから私達も、暗闇にとらわれている人たちから、イエス様の名によって悪霊や病を追い出し、ぶんどるなら、そ人は、神の国の分捕りになる。
 
喧嘩に勝つコツは、強い友達につく事。
別に、腕立てや腹筋して鍛えなくても、強いイエス様につくなら、どんな悪霊や悪魔にも、世のあらゆる艱難にも、勝利する。
この世の中、悲しい事や苦しい事が、色々ある。しかし、それをもたらす者よりも、はるかに強いイエス様を主としているなら、主であられるイエス様がそれを打ち破り、平安がもたらされる。
 
11:23 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。
 
「味方」と訳されたギリシア語は「メタ」、すなわち、イエス様と共にいる、というのが原意。
つまり、イエス様と一緒にいない人は、イエス様に、反対する人!
イエス様と一緒にいない、で、イエス様を揶揄する者は、集めるものでなく、散らすもの。
 
パリサイ人のように、悪辣な者は、せっかくイエス様がもたらした恵みを、難癖つけて、散らしてしまう。
 
11:24 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
11:25 帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
11:26 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。
 
悪霊の帰る「家」とは、人の事。
「その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」と書いてある。
 
それでこの悪霊は、もともと取り憑いていた人のところに帰ってみると、掃除をして、きちんとかたづいていた。
ここの「かたづいていた」は、コスメオー。
その語は、コスメの元で、飾るとか、整える、という意味。
 
化粧した女性は魅力的に映るが、悪霊にとって魅力的にコスメされた人とは、どういう人か。
それは、悪霊が追い出された後、その思いも心も、空白のまま、ぼーっとしている人である。
 
せっかく悪霊が追い出されたのに、その空白を、イエス様のことばで満たさず、健全な兄弟姉妹の交わりをせず、空白のままにしておくと、また、むらむらと蘇ってくる。
以前の、けんかしたり、酒飲んだり、仕事せず引きこもったりしていた、ある種「ラク」だった頃を。
 
それが悪霊にとってコスメされた状態。
そこに悪霊が戻ってくると、悪霊にとって居心地良い物件、として映って、さらにたちの悪いのを7つ連れて、住んでしまう。
 
だから、悪いくせが追い出されたなら、そこを、御言葉で満たし、健全なことばで満たし、健全は働き、健全な交わりで満たすべき。
さもないと、以前よりももっと悪くなってしまう。
 
11:27 イエスがこう話しておられるとき、群衆の中からひとりの女が声を張りあげて言った、「あなたを宿した胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう」。
 
それでは、イエス様の母マリヤが幸いか?
確かにマリヤは幸いだが、イエス様は、「いや」と言われる。
 
11:28 しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。
 
ここの動詞は、現在形能動態が使われている。
すなわち、神のことばを自主的に聞き続け、それを自主的に守り続けている人達!
それが、幸いな人。
 
この箇所のある人は、イエス様に悪霊を追い出してもらい、癒してもらい、しるしを見た。
でも、幸いな人とは、神のことばを聞きつづけて、それを守りつづけている人たちなのだ。
 
11:29 さて、群衆の数がふえて来ると、イエスは話し始められた。「この時代は悪い時代です。しるしを求めているが、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。
11:30 というのは、ヨナがニネベの人々のために、しるしとなったように、人の子がこの時代のために、しるしとなるからです。
 
イエス様のもとに行って、しるしを求める人に対する、イエス様の評価は、「悪い時代(ジェネア:世代)」。
だから、しるしばかり求める人は、「悪い世代」なのだ。
 
そのような者に対しては、ヨナのしるししか与えられない、と、イエス様は言った。
ヨナは、三日間、魚の腹にいて、祈らされ続けていた。
 
ヨナ2:9 しかしわたしは感謝の声をもって、あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。救は主にある」。
 
ここの、「救は主にある」は、ヘブライ語では「イェシュアータ・ラ・アドナイ」。
実はここに、イエス様の名、イエシュアが、込められている。
 
つまりヨナは、三日間、イエス様の御名を呼び続け、そして三日後、魚の腹から吐き出され、復活し、神の国のことばを広め、多くの人を救った。
 
だから大事なことは、イエス様と問答し続け、イエス様のことばを聞き続けて、守り続ける人である。
 
11:31 南の女王が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、彼らを罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。
 
シバの女王は「聞くため」にやってきた、と書いてある。
 
11:32 ニネベの人々が、さばきのときに、この時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。
 
ニネベの人々も、裁く。なぜなら、ヨナの説教を「聞いて」「悔い改めた」から。
だから、心して聞いて、そして悔い改める人が、終わりの時、立つ人である。
 
パリサイ人達は、見た。聞いた。
が、信じないどころか、イエス様を、ベルゼブル呼ばわりした。
そういう人は、終わりの時代、ニネベの人々や、南の女王から、裁かれてしまう側の人である。
 
11:33 だれも、あかりをつけてから、それを穴倉や、枡の下に置く者はいません。燭台の上に置きます。はいって来る人々に、その光が見えるためです。
 
ここで、「あかり」について言っている。
あかりはレクノス。ルクスの元で、ランプという意味である。
ランプが灯った、それを、覆い隠す?
そんな事する人はいない。
ましてや、昔のランプは、火を使っている。
そんな事する人、いないはず、なのに、なんでイエス様は、そんな事を言われたか。
それは、あえて隠す人が、いるからだ。
あえて、イエス様の御言葉に、覆いをかける人が。
そんな事をしたら、火がついて、苦しみの内に倒れる、とイザヤ書50章に書いてある。
 
イザヤ50:10 あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。
50:11 見よ。あなたがたはみな、火をともし、燃えさしを身に帯びている。あなたがたは自分たちの火のあかりを持ち、火をつけた燃えさしを持って歩くがよい。このことはわたしの手によってあなたがたに起こり、あなたがたは、苦しみのうちに伏し倒れる。
 
11:34 からだのあかりは、あなたの目です。目が健全なら、あなたの全身も明るいが、しかし、目が悪いと、からだも暗くなります。
 
目が「健全なら」の原意は「単純明快なら」「シンプルなら」という意味。
そうであるなら、全身は明るく、人生は明るい。
 
しかし、目が悪いと。。。
ここの、目が悪い、とは、近眼だとか、白内障だとかの「目が悪い」ではない。
 
ここのギリシア語はポネーロス。
それは、邪悪とか、悪辣という意味。
 
だから、目が、悪辣なら、邪悪なら。。。
すなわち、人をみるたびに、あいつは悪霊のかしらだ、とか、偽善者だ、とか、きっと心では悪いことを考えているのだ、とか、そういった、悪辣な目で人、モノ・コトを見る人は、からだ全体が暗い、とイエス様は言われる。
 
実際、人をみるたびに、ウソつきだとか、心の中で悪く思っているのだ、とかいった目でみているなら、実際、からだが不健康になり、そういう人の人生は、全てが暗い。
 
14節では、悪霊を追い出しているイエス様をベルゼブルだとか、悪い目で見ている人たちがいた。
その言葉自身が、その人本人について、証明してしまっている。
 
11:35 だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。
11:36 もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、その全身はちょうどあかりが輝いて、あなたを照らすときのように明るく輝きます。」
 
目が単純明快な、シンプルな人こそ、救いから遠く離れていない。
だから、ものの見方において、シンプルであるべきである。
 
幸いな人とは、自ら聞いて、自ら守る人だとも言われた。
私達は、聞いたならシンプルに守り行うべきだ。
 
イエス様によって、悪霊が追い出され、悪習慣が追い出されても、何もせず放置するような、悪霊にコスメするような者ではなく、むしろ、御言葉を心して聞いたなら、それを思い巡らす、という、イエス様に好まれるコスメで、いつも身を飾る皆さんでありますように!
イエス様のお名前によって祝福します!

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ

主の囲いで守られる人と、囲いが無い人の違い(ヨブ記1章)

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祝福のための呪いの宣言(申命記27:11-26)

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27:11 その日またモーセは民に命じて言った、

27:12 「あなたがたがヨルダンを渡った時、次の人たちはゲリジム山に立って民を祝福しなければならない。すなわちシメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ヨセフおよびベニヤミン。
27:13 また次の人たちはエバル山に立ってのろわなければならない。すなわちルベン、ガド、アセル、ゼブルン、ダンおよびナフタリ。
27:14 そしてレビびとは大声でイスラエルのすべての人々に告げて言わなければならない。
27:15 『工人の手の作である刻んだ像、または鋳た像は、主が憎まれるものであるから、それを造って、ひそかに安置する者はのろわれる』。民は、みな答えてアァメンと言わなければならない。
 
約束の地に入った時には、12の呪いの宣言と、それに対する民の「アーメン」の宣言をしなさい、と命じられている。
 
申命記11:29 あなたの神、主が、あなたの行って占領する地にあなたを導き入れられる時、あなたはゲリジム山に祝福を置き、エバル山にのろいを置かなければならない。
 
ここで、(祝福と呪いを)「置く」のヘブライ語は「ナタン」、与える、付与する事を意味する。
つまり、トーラーを宣言し、アーメンする事は、祝福と呪いを付与する行為なのである。
だから、レビ人が「**する者は呪われる」、と、12ののろいの言葉を大声で宣言し、民が、それにアーメンを発した時、その祝福と呪いが効力を発するようになるのだ。
 
27:14 そしてレビびとは大声でイスラエルのすべての人々に告げて言わなければならない。
27:15 『工人の手の作である刻んだ像、または鋳た像は、主が憎まれるものであるから、それを造って、ひそかに安置する者はのろわれる』。民は、みな答えてアァメンと言わなければならない。
27:16 『父や母を軽んずる者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
27:17 『隣人との土地の境を移す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
27:18 『盲人を道に迷わす者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
27:19 『寄留の他国人や孤児、寡婦のさばきを曲げる者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
27:20 『父の妻を犯す者は、父を恥ずかしめるのであるからのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
27:21 『すべて獣を犯す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
27:22 『父の娘、または母の娘である自分の姉妹を犯す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
27:23 『妻の母を犯す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
27:24 『ひそかに隣人を撃ち殺す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
27:25 『まいないを取って罪なき者を殺す者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
 
27:26 『この律法(トーラー)の言葉(ダーバル)を「守り(クム)」「行わ(アーサー)」ない者はのろわれる』。民はみなアァメンと言わなければならない。
 
ここの「守る」(クム)は、立つ、従う、確認する、参加する、保つ、の意味の、ヒフィル態未完了形。
 
ヒフィル態とは、『〜させる』という、使役動詞である。
つまり、トーラーの御言葉は、自分の意志でする、のではなく、「させられる」ものであるのだが、それを拒否する者は、呪われる、という意味である。
 
だから、呪われる人とは、
父母や霊的指導者によって、
御言葉に、立たせられる事を、拒否する人。
御言葉に、従うように、させられる事を、拒否する人。
御言葉を、確認するように、させられる事を、拒否する人、
御言葉に、参加させられる事を、拒否する人。
御言葉を、保つように、させられる事を拒否する人、
 
この箇所の宣言には、ひたすら、呪いしか無い。
御言葉を記す石灰で塗られた石が置かれるのも、呪いを置くエバル山のほうだった。
 
しかし、これを行うのは、祝福するため、と書いてある。(Jos_8:33)
 
結局、そのような事を、しない事、が、祝福なのである。
 
詩篇1:1にも、ある。
幸いな人とは、3つの「ず」の人だった。
 
詩篇1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
1:3 このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
 
人の世には、否応もなく、死がある。
なぜなら、罪の代価は死である、と書いてあるからだ。
私達に苦しみがあるのは、そのためである。
 
解決方法は、一つしか無い。
すなわち、私達が、罪を犯した、という事を、後悔する思い、と、罪を離れたい、という決心をもって、イエス・キリストに「赦して下さい」、と言う告白である。
 
イエス様は、私達に追い迫ってくる死を、解決するために、きてくださった。
私達がそれを告白するなら、告白したゆえに、私達の死に値する罪を、イエス様は御身に移し、十字架の上で、処罰して下さった。
 
呪いの宣言は、罪を避け、祝福を受け継ぐため。
罪は、見ないふりをしたり、臭いものに蓋をしたり、また、仕方ないと言って開き直ったりしているなら、呪いは留まったままである。
私達は、犯した罪をそのままイエス様に告白し、赦していただき、もうそこに戻らない事、そのものが、祝福なのだ。

 

早天祈祷会

のみを当てない石の祭壇で捧げる礼拝(出エジプト記20:22-26)

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参照箇所:
 

金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ

ヨセフのように地に住み誠実を養う(創世記40章)

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この時代、主から大いに用いて頂く器となるためにどうすればいいか?
地に住み、誠実を養ったヨセフから学びたい。

 

 金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ

自分のしたくない事をどうしてもしてしまうジレンマからの解放(ローマ7:14-8:4)

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参照箇所:ヨハネ14:16-21
 

早天礼拝

美しく、愛らしく、そして恐ろしく見える女性とは(雅歌6章)

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金曜徹夜祈祷会 礼拝説教メッセージ

ラザロ:神の助けが目の前にある時に(ルカ16:19-31)

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ラザロはヘブル語はエルアザル、「神は助け」という意味。

それに対し、金持ちは、一人の金持ち。数多いる金持ちの中の、ひとりの金持ち。

永遠の書には、名前さえ残されていない。

そこに、神の国の価値観がある。

 

ラザロが「寝ていて」のギリシヤ語は「バロー」、すなわち「投げ捨てられていて」

そして彼は、腹が満たされる事を、切望し続けていた(現在形能動態)。

つまり、ずっと、ラザロは、腹ぺこのまま、投げやられていた。

 

しかし、金持ちは、食べ物を一切与えなかった。

金持ちにとって、ラザロ、すなわち「神の助け」、が、ずっと空腹のまま、投げやったままの状態でいた。

 

ラザロが、この金持ちの面前に現れた時、もう、余命の無い彼が、唯一、パラダイスへ行く事の出来る最後のチャンスだった。

しかし彼は、ラザロを軽んじ、律法と預言者を軽んじ、自分の欲望を選択し続け、そうして、時間が来てしまった。

 

今、皆さんの目の前に、助けるべきラザロはいるだろうか?

 

ヨハネ12:35 そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。

12:36 光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。

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