メッセージ - 狩人型 vs 牧者型(創世記25:27-34)
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「二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となった」(創世記25:27)
エサウは、生まれた時から毛深くて赤く、いかにも強そうだったが、成長すると強さを増し加え、思うままに好きな所へ出ていき、腕づくで獲物を勝ち取る者となった。
創世記を今まで学んで来た中で、巧みな猟師に成長した人物は、これで3人目である。(10:9のニムロデ、21:20のイシュマエル)
彼らは総じて、自分の力強さに頼り、自らの欲するままに腕づくで周囲を支配し、神に喜ばれない歩み方をして来た。
「ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。」(創世記25:27)
ここの「穏やか(タァウム)」という語は、ヨブ記1:1に登場した「正しい」「全き」「無垢」とも訳す事の出来る、義人ヨブの品性を表す語であり、また創世記6:9でも類義語としてノアの「正しさ」を表した語である。
彼は父の天幕の周りで働き、父が所有していた多くの羊や牛の群れをしっかり管理し、牧していた。
ダビデは若かりし頃、羊飼いとして身につけた牧者としてのスキルが後に王になった時に役だったように、ヤコブもここで身につけたスキルが、後にラバンの所で大いに役立ち、さらに富む者とされて行く。
まだ二人が生まれる前、リベカは主から「兄が弟に仕える」と言われていた。
彼女は、主の言葉に心を留め、エサウよりもヤコブを愛し、兄はやがてあなたに仕えるようになる、あなたは神様に祝福される、と言っていたのかもしれない。
それで彼は、主のそのことばに思いを留めていたものの、現状のままでは、あの僅差で先に生まれた兄に、全ての祝福を持っていかれてしまう、この現状を何とかしなくては、と、機会をいつも伺っていたのかもしれない。
そんなある日、彼にとってチャンスが訪れる。
ヤコブがレンズ豆の煮物を作っている所に、エサウは死ぬほど疲れきって、野から帰って来た。
『エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。』
ヤコブからすれば、降って湧いたようなチャンスであった。
『ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」』
エサウからすれば、突拍子もない事を言われ、面食らったかも知れない。
しかし、長子の座に安住していた彼にとって、弟のそんな言葉はどうでも良く、ただ、目の前にあるその「赤いもの」が欲しかった。
『「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。』
彼にとっては、まさかこれで本当に長子の権利が売られてしまったとは、思ってもいなかったのかも知れない。
とりあえず口先で言っておけば、その赤いものが早く手に入る、くらいに考えていたかも知れない。
しかし、壁に耳あり障子に目ありである。
その場にエサウとヤコブの二人しかいなかったとしても、主は聞いておられ、後にはその言葉の実をしっかりと刈り取ってしまう事になる。
エサウは結局、自分の好きな獲物を追いかける事に夢中になり、自己管理を怠って死にそうなまでに疲れ果て、たかだか一杯の食物で、長子の権利を売る事になってしまったのだ。
『また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。あなたがたも知っているとおり、エサウは後になって祝福を受け継ぎたいと願ったが、拒絶されたからです。涙を流して求めたけれども、事態を変えてもらうことができなかったのです。』(ヘブル12:16-17)
長子の権利とは、父から全ての祝福を受け継ぐ事のできる、独占的な権利である。
私達キリスト者も、永遠の祝福を受け継ぐ権利を、キリストにあって持っているが、エサウのようにそれを軽んじて売ってはならない。
エサウの場合、祝福の権利と引換にしたものは、一杯の食物だったが、それは様々な形に姿を変え、神の国を受け継ぐ権利と引換に売らせようとして誘惑して来る。
私達は断固、それをキリストの名によって拒否しなくてはならない。
自分の赴くままの所へ出て行き、腕づくで獲物をぶんどる「狩人型」のエサウと、父の天幕に留まって、従順に任された群れを養い管理する「牧者型」のヤコブ。
イサクがエサウを好んだように彼のようなタイプの人は人々から好かれ、そして多くの人は、世の中をうまく渡り合っていけるために、狩人型の人間になりたいと願う。
しかし主は、狩人型の人間を退け、牧者型の人間を栄えさせる。
ヤコブのように、与えられた領分において、与えられた群れをしっかり養い育て、神の約束をいつも思い巡らし、祝福は貪欲に勝ち取ろうとする皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!