メッセージ - 柔和な者は地を相続する(創世記26:12-22)
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「イサクがその土地に穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫があった。」(創世記26:12)
種まきのたとえによると、百倍の実を結ぶ者とは、「御言葉を聞いて悟る人」であり(マタイ13:23)、実を結ばない人とは、御言葉を聞いて悟らない人、内側が硬い岩ばかりで根が張れない人、世の思い煩いや富の誘惑で御言葉を覆い塞いでしまう人である。(同18-22節)
イサクはこの地方に留まっている間、多くの理不尽な仕打ちを受けるのだが、それでも彼は、御言葉の約束を信じ、平和に対処し続けた。
「あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。」(創世記26:3)
彼は、ペリシテ人から祝福を妬まれて父アブラハムが掘った井戸を塞がれ、アビメレクからも「あなたは我々と比べてあまりに強くなった。どうか、ここから出て行っていただきたい。」と言われ、事実上、追い出されてしまった。(16節)
これは、父アブラハムの時に交わした契約の明らかな違反であり、契約内容を盾に争議する事も出来たはずである。
しかし彼は、そういう事は一切せず、大人しくその場所から移ってしまう。
彼はゲラルの谷間へ移住し、そこで新たに井戸を見つけた。
『ゲラルの羊飼いは、「この水は我々のものだ」とイサクの羊飼いと争った。そこで、イサクはその井戸をエセク(争い)と名付けた。彼らがイサクと争ったからである。イサクの僕たちがもう一つの井戸を掘り当てると、それについても争いが生じた。そこで、イサクはその井戸をシトナ(敵意)と名付けた。』(創世記26:20-21)
一度ならず二度も争いを仕掛けられた、となれば、明確な敵意があったと言えるだろう。
力も富もアビメレクを凌いでいるのだし、神に守られているのだから、武力行使に出ても十分勝てたはずだろう。
なのに彼はそのような手荒な事はせず、それらの井戸はくれてやり、黙って立ち去った。
そして、またもや彼は井戸を掘り当て、今度は誰にも文句言われず、正真正銘に彼のものとなった。
『イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。』(創世記26:22)
彼は、やる事なす事全てが成功し、祝福されたのである。
ダビデもまた、主が「広い所」へと導かれた事を、詩篇18篇で詠んでいる。
「主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ/大水の中から引き上げてくださる。敵は力があり/わたしを憎む者は勝ち誇っているが/なお、主はわたしを救い出される。
彼らが攻め寄せる災いの日/主はわたしの支えとなり、わたしを”広い所”に導き出し、助けとなり/喜び迎えてくださる。」(詩篇18:17-21)
この詩篇18篇は、彼がサウル王から救われた時に詠んだ詩篇であるが、彼は、自分のいのちを付け狙うサウル王を、自らの手で殺せるチャンスが2回も訪れたのに、自分の手でなす事はせず、正しく裁いて下さる主に全てお委ねした。
彼もイサクのように柔和な対処をしたため、主が彼の敵を裁いてくださり、結局枯れは王位を受け継ぎ、祝福され、栄えたのだ。
「柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。」(マタイ5:5)
イサクは祝福の故に妬まれたが、罵られても罵り返さず、武力をもって報復せず、手練手管も使わず、奪われても奪われたまま、黙って他の所へと移って行った。
それは人の目から見れば、愚かさ、弱さのように見えるかもしれない。
しかし結果的に、彼は祝福につぐ祝福を受け、周囲が逆に恐れをなすようになった程である。
イサクのように柔和な者となり、地を相続し、周りからも恐れられるほど祝福される皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!