メッセージ - 見えない方が良い事もある(創世記27:1-10)
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「イサクは年をとり、目がかすんで見えなくなってきた。」(創世記27:1)
この時、イサクは100〜131歳くらいであったが、彼が人生を全うする180歳までの長い間、目はかすんで見えない状態が続いた。
イサクには多くの祝福が与えられていたのに、目が見えなくされていたのは、彼は、主の御心よりも、自分の望む事を優先させたいという思いが湧き起こり、彼の視力が、主が御心を執行する邪魔となっていたからであろう。
イサクにとっての、主の御心よりも自分の望む事を優先させたい、という思いとは、アブラハムの家系の正当な家系を、エサウに継がせたい、という願いである。
エサウは自分の望むままに、主を知る事も恐れもしないヘテ人の妻を二人召し入れた。
アブラハムの正当な子孫に、神を恐れぬカナン人は決して入れてはならないはずであり、何より、エサウとヤコブが生まれる前から、主から「兄が弟に仕える」と言われていたからには、ヤコブこそ、正当な家系を受けつぐべきであった。
それなのにイサクはエサウを愛し、自分が死ぬ前にエサウに長男としての祝福を与えようとしてしまうのだ。
リベカは憂いた。
このままではエサウとカナン人の間に生まれる子が、直系の子となってしまう。
そこでリベカは機転を聞かせて動いた。
『リベカは息子のヤコブに言った。「今、お父さんが兄さんのエサウにこう言っているのを耳にしました。『獲物を取って来て、あのおいしい料理を作ってほしい。わたしは死ぬ前にそれを食べて、主の御前でお前を祝福したい』と。わたしの子よ。今、わたしが言うことをよく聞いてそのとおりにしなさい。家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。わたしが、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持って行きなさい。お父さんは召し上がって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」』(創世記27:6-10)
リベカは、ヘテ人の女から生まれる子を、断じて栄えあるアブラハムの子孫にしてはならぬ、という主の御心を、彼女の機転によって、成そうとしたのである。
最終的にイサクは、目が見えない事によって、そしてリベカの機転によって、神の御心を損ねる事を免れた。
ここまでの創世記の学びをして来た方は気付かれたかもしれないが、目が良い事が、かえって災いを招く事が多い。
ロトはソドムという町の見た目の麗しさに惹かれて災いを招き、築き上げて来た財産と家族を失ってしまったし、ノアの時代、神の子達も、人の娘の美しさに心奪われ、滅ぼされる事になってしまったし、エバもまた、禁断の木の実をじっくり見入ってしまったから、人類全体に罪と死をもたらしてしまった。
自分の目の赴くまま腕力に頼り、人生を切り開いている内は、主の御心を全うできない。
肉による遣り繰りがことごとく頓挫し、自分の力に頼ることを止め、主の御手に頼ることを始める「十字架の経験」を経てこそ、主に有用な働きをなす事が出来るようになるのである。