メッセージ - その時ヤコブは何歳だった?
その時ヤコブは何歳だった?(テキストのみ)
前々回のメッセージで、イサクがヤコブを祝福してラバンの所へ送り出した時、ヤコブは70歳を超えていたはずだ、という事に、驚かれた方も多いかもしれない。
今回、その検証をしたいと思う。
後の時代、ヤコブが息子ヨセフの勧めでエジプト入りし、パロの前に進み出た時、彼はパロにこう言った。
「わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」(創世記47:9)
ヨセフがエジプトの宰相となったのは、30歳の時である。(創世記41:46)
ちょうどその時に7年の豊作が始まり、その後に7年の凶作が続くのだが、この凶作の第2年目に、ヨセフは兄たちに自分がヨセフ本人である事を打ち明け、父ヤコブをエジプトへ呼び寄せた。(創世記45章)
その時、ヨセフは30+7+2=39で、39-40歳程という事になる。
その時、ヤコブが130歳だったという事は、ヤコブが90歳くらいの時にヨセフを生んだという事で、かなりの年寄り子(創世記37:3)だったわけである。
ヤコブがヨセフを生んだ時といえば、ヤコブはパダン・アラムでラバンの下、20年間働いている期間中だった。(創世記31:38)
ヨセフは当時、一番末の弟なので、20年という期間のかなり後半に生まれたであろうが、と言うことは、イサクがヤコブをパダン・アラムのラバンの元へ送り出した時、ヤコブは既に70歳は超えていた事になる。
つまり、ヤコブが70歳程の時、母のバックアップの元、策略を用いて長子の祝福を奪い、杖一つでパダン・アラムへと逃げ、美しい処女ラケルの歓心を買おうと、井戸の石を取り除けてキスし、ラケルを迎えるために7年、ラバンの元で働いたのである。
80歳くらいのヤコブが、新婚の朝目覚めると、なんとそれはレアであったり、この80歳以上のヤコブを巡って、2人の妻と2人の妾が骨肉の争いをし、結果、12人もの子供が生まれ、そしてヤコブが90歳くらいの時、彼は神の使いと相撲を取って、祝福を勝ち取ったのだ。
イサクが180歳で死んだ時、彼と60歳年の差のヤコブとエサウは、それぞれ120歳だった。(35章)
それは二人が平和な再会をして暫く経った後であり、ヤコブ達がエジプトに移住する10年前の事である。
それを考えると、ヤコブはとても強く、精力溢れる人だった事が分かる。
だからこそ、ただ主のみに信頼を置くようになるまで、その「強さ」が徹底的に砕かれたのだろう。
彼はパロに年齢を聞かれた時、しみじみ答えた。
「わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」(創世記47:9)
たとい130年という年月を生きても、自分の手練手管や狡猾さ、肉体的な強さを頼みにバタバタしてきた人生は、「短く」「苦しみ多い」のである。
彼は147歳まで生き、最後は12人の子を祝福し、自分の骨は神の約束された地へ埋めるよう指示し、杖に寄りかかって神を礼拝しつつ、息を引き取った。
足腰の力を奪われ、杖に頼ってしか生きられなくなったからこそ、主にのみ寄りかかり、頼りつつ生きるようになった。
だからこそ、このように威厳ある美しい最後を迎え、先祖の列に加えられたのだ。
狡猾さや、肉体的な強さを頼みにバタバタする人生は、「短く」「苦しみ多い」。
主に頼りつつ、天の故郷を仰ぎ見ながら、地上で与えられているいのちを生きる皆さんでありますように。イエス様の名前によって祝福します!