メッセージ - 不利な契約さえ祝福のチャンスに(創世記30:25-34)
礼拝説教メッセージ音声:不利な契約さえ祝福のチャンスに(創世記30:25-34):右クリックで保存
ヤコブがラバンの所で働いて14年、ラバンとの契約期間は満了したので、もうヤコブは妻子を連れて出ていっても良いはずなのに、ラバンはヤコブ達が出ていく事を渋った。
『「もし、お前さえ良ければ、もっといてほしいのだが。実は占いで、わたしはお前のお陰で、主から祝福をいただいていることが分かったのだ」とラバンは言い、更に続けて、「お前の望む報酬をはっきり言いなさい。必ず支払うから」と言った。』(創世記30:27-28)
ラバンは、全能者なる主を知ったにもかかわらず、相変わらず占いを止めていない。
ラバンがヤコブを引き止めたいのは、ヤコブの主を知りたいからではなく、その聖なる交わりに加わりたいからでもなく、ヤコブについて来る祝福と富が欲しいからに他ならない。
世の中の雇用者も、配下のキリスト者にラバンと似たような手口を仕掛けてくる事は、多くある。
主に忠実なキリスト者であるならば、その手の技は祝福されるし、謙虚で誠実であるし、騙しても搾取されても文句を言わない事が多いので、彼らを都合よく利用したいがために、手放したくないのだ。
『「何をお前に支払えばよいのか」とラバンが尋ねると、ヤコブは答えた。「何もくださるには及びません。』(創世記30:31)
ラバンのように、貪欲で悪企みをするような人間からは、何か、報酬を受け取ろうとしてはならない。
ヤコブは、ラバンから何かを受け取ってしまったら、後に恩着せがましく執着され、剥ぎ取られてしまう事を、経験的によく知っていた。
アブラハムもまた、ソドムの王から財産を取るようにと持ちかけられた時、決して受け取らなかった。
それはソドムの王が『アブラムを富ませたのは私のおかげだ。』と言わせないためだ。(創世記14:21-24)
そこでヤコブは、自分にとって非常に不利な条件の報酬を申し出る。
『ただこういう条件なら、もう一度あなたの群れを飼い、世話をいたしましょう。 今日、わたしはあなたの群れを全部見回って、その中から、ぶちとまだらの羊をすべてと羊の中で黒みがかったものをすべて、それからまだらとぶちの山羊を取り出しておきますから、それをわたしの報酬にしてください。
明日、あなたが来てわたしの報酬をよく調べれば、わたしの正しいことは証明されるでしょう。山羊の中にぶちとまだらでないものや、羊の中に黒みがかっていないものがあったら、わたしが盗んだものと見なして結構です。」』(創世記30:31-33)
彼は、この地方では生まれにくい「ぶち」や「まだら」の家畜を、自分の報酬として申し出た。
この条件はラバンにとって、メリットはあってもデメリットは皆無に見えるし、自分のものかどうかの区別も、外見で明瞭に判るし、その結果に関しては、決して文句は言えない。
『ラバンは言った。「よろしい。お前の言うとおりにしよう。」』(創世記30:34)
ヤコブはなぜそんな、自分に不利な条件を申し出たのだろうか。
そこまでの「大丈夫だ」という自信は、どこから来たのだろう。
その自信の源は、彼が一人、杖一本でこの土地に向かっていた時に、ベテルで現れた、アブラハム・イサクの神・主の「祝福の約束」であり、そしてまた、彼がこの14年間、何をしても主が共におられ、栄えさせて下さったという「経験」からである。
ラバンがヤコブをだまし、搾取したように、世の権力者は、私達キリスト者をだまし、搾取し、計略ではめようとする。
しかし、最終的にラバンはしぼみ、ヤコブは祝福され増え広がったのと同じように、私達も、キリストの御言葉に信頼するなら、富は広がり、いのちは増え、自由になり、主が定めて下さった地へと帰り、平安と祝福の生涯を歩む事が出来るのだ。