メッセージ - さばかれた過酷な支配者(創世記31:36-42)
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ヤコブは、自分や妻たちの天幕に次から次へと入り、持ち物を物色しているラバン達に、ついに怒りが爆発した。
怒りのきっかけは、我が物顔で物色したからだったが(36-37節)、そのうち、ラバンから20年間受けてきた不当な扱いに対する責めへと変わって行く。(38-42節)
「この二十年間というもの、わたしはあなたのもとにいましたが、あなたの雌羊や雌山羊が子を産み損ねたことはありません。わたしは、あなたの群れの雄羊を食べたこともありません。」(38節)
20年間、ヤコブが面倒見た家畜に流産が無かったのは奇跡的だが、それは主に祝福されていたからである。
なお、主人に雇われている羊飼いであるなら、遠方まで羊を導いて食料が無くなってしまった場合、特権として、羊の群れの中から食べても良い事になっていたが、ヤコブは、その特権を用いなかった。
パウロはコリントで伝道していた時、御言葉の奉仕者として当然受けるべき報酬を受け取らず、自らの手で働いて収入を得ていた(2コリント12:13)が、同じように、ヤコブもまた、ラバンの所有から羊を食べる事はしなかった。
それは、少しでも主人ラバンに躓きとならないように、という心遣からであろうが、ところがラバンはその尊い思い遣りを踏みにじり、もっとヤコブからふんだくろう、という方向性になって、その良心を利用した。
「野獣にかみ裂かれたものがあっても、あなたのところへ持って行かないで自分で償いました。昼であろうと夜であろうと、盗まれたものはみな弁償するようにあなたは要求しました。」(39節)
そこ、メソポタミアの法律・ハンムラビ法典では、野獣や病気、天災など、羊飼いの過失でない理由で羊が失われた場合、それは羊飼いの責ではなく、所有者の損失であるとされていた。
それなのにラバンは、それらも全て、自分の損失ではなくヤコブの損失とし、弁償するようにさせていたのだ。
「しかも、わたしはしばしば、昼は猛暑に夜は極寒に悩まされ、眠ることもできませんでした。」(40節)
砂漠気候のこの地方は、一日の温度差が非常に大きいため、羊の夜番をする時はかなり辛かっただろう。
そのような所で、眠ることもままならない程の過酷な労働条件を、ラバンは20年もヤコブに強要し続けて来たわけである。
しかも、ヤコブにとって不利になるように、報酬を十度も変えたのである。
「もし、わたしの父の神、アブラハムの神、イサクの畏れ敬う方がわたしの味方でなかったなら、あなたはきっと何も持たせずにわたしを追い出したことでしょう。」(42節)
まさしく、その通りだったろう。
神が守って下っていなければ、過労死やうつ病になってもおかしくない。
しかし主は、不当な労働条件で働かされている者の叫び声を聞かれる。
「御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。」(ヤコブ5:4)
そして、そのような人々の祈りに主は耳を傾け、その劣悪な状態から開放し、乳と蜜の流れる所へと導いて下さる。(出エジプト3:7-12)
「神は私の悩みとこの手の苦労とを顧みられて、昨夜さばきをなさったのです。」(42節)
過酷な支配者・ラバンは、さばかれたのだ。
同じように、イスラエルを奴隷にし過酷に支配したエジプトもさばかれ、そして、この世の支配者・サタンも、裁かれる。
たとい自分の力や権威、知恵がその者よりも劣っていても、主に拠り頼むのであれば、主が、その者を裁いて下さり、その者に自分の罪深さを認めさせるのである。
『その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。』(ヨハネ16:8-11)