メッセージ - 良くなったら、どうするか?(ルカ17:11-19)

良くなったら、どうするか?(ルカ17:11-19)

カテゴリ : 
礼拝メッセージ説教音声配信 » 主日礼拝
執筆 : 
pastor 2012-9-9 21:06

良くなったら、どうするか?(ルカ17:11-19)
第一礼拝・礼拝全体音声:右クリックで保存
第二礼拝・説教音声:右クリックで保存
週報/メッセージ(説教)概要:右クリックで保存

イエス様がエルサレムに向かう途上のある村で、10人のらい病人が遠くに立ち、イエス様に叫んだ。「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」(ルカ17:13)
この病に罹ると、神経は麻痺し痛みや熱さなど感じないため、怪我しても正常な対応ができない事が多い。
らい病は律法では汚れているとされ、出歩ける所も制限され、家族にも会えず、隔離されて生きるしか無い。
当時は治療法の無い病として恐れられていたが、私達も霊的に、この病に罹っているようなものである。
私達は、罪という癒しようの無い病によって汚れ、霊の感覚が麻痺しているため、嘘をついたり、人を傷つけたりして、自分自身をどんどん罪のとげで刺しても、全く気付かず、やがて死に至ってしまう。
彼らはイスラエルの民から隔離されなくてはならなかったように、私達も、以前は救いから遠く離れ、空中に権威を持つ支配者・サタンに縛られ、肉欲の望むままを行い、滅びるべき者達だった。(エペソ2:1-8)
しかし、憐れみ豊かな神は、私達を愛して下さったその大きな愛の故に、罪の中に死んでいた私達をキリストと共に生かし、共に天の所に座らせて下さる恵みの道、救いの道を、私達に与えて下さった。
らい病人達がイエス様に「あわれんでください」と遠くから叫んだように、救いから遠い私達もイエス様に「あわれんでください」と叫ぶなら、救いの道は開かれるのだ。それはイスラエル人も異邦人にも、違いは無い。

イエス様は、彼らに手を置いて祈るなどはせず「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。
祭司の所に行って体を見せるのは、本来体が治癒を見せてからだが、まだ兆候も無いのに、そう指示した。
もし祭司から「きよめられた」という宣言が出たら、らい病人としての隔離生活は終わり、家族の元に戻ってイスラエルの民としての生活が出来、それまでしたくても出来なかったあの事この事も出来るようになる。
彼らはまだ癒しの兆候も無い内にイエス様の言葉を信じ、言われた通り実行したら、その最中に癒された。
しかし、自分を癒して下さったお方の所へ引き返し、感謝をささげたのは、たった一人だけだった。
主は「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」と言われ、悲しまれた。(ルカ17:17-18)
神を知らぬ人でも、大抵祈る。私を幸いにして下さい、病を癒して下さい、富ませて下さい、と。
しかし、自分が癒された後、富んだ後、自分をそのように幸いにして下さったお方に、何を感謝し、そのお方とどのように関わって生きて行くのか、という事が、すっぽりと抜けている人の何と多い事だろう。
癒された9人は、イエス様の所へ戻って神をほめたたえる事なく、祭司の所で清められた事のお墨付きをもらったら、それぞれ自分の好きな所へ行き、やりたかったあの事この事をしに、さっさと出かけてしまった。
主は、願い事を何でも叶えてくれる都合の良い四次元ポケットではないし、祈りは、癒しや富、幸いを引き出すためのキャッシュカードでもない。主は人格ある御方であり、祈りはその御方との麗しい交わりなのだ。
主が嘆き悲しみから開放し、病を追い出し、貧しさから解放して下さったのなら、すぐに感謝するために戻り、以前、悲しみや病、貧しさのあった隙間を、主への賛美や御言葉、奉仕で埋めなくてはならない。
癒されても感謝する気が無いなら、むしろ癒されない方が良いし、奇跡を見ても信じる気が無いなら、奇跡など起こらないほうが良い。なぜなら、癒されても、奇跡を見ても、なお主への方向転換(悔い改め)が無いまま、依然として罪を犯し続けるなら、前よりも、もっと悪い状態になってしまうからだ。
悪霊が出て行った時、そこを空き家の状態にしておくと、それは悪霊の好む飾り付け(コスメオー)となり、次に悪霊が帰って来た時、さらにたちの悪い悪霊を七つを連れ込み、前よりもっと悪くなってしまう。しるしや奇跡を見ても悔い改めず、主の元に来ない者は、そのようになってしまうのだ。(マタイ12:38-45)

主イエス様に癒され、良くしてもらったのなら、主の元に戻って感謝を捧げ、主の元に留まるべきである。
私達が「この事が解決したらあの事この事をしたい」という、主・不在の願望を持っている内は、解決は先延ばしになる可能性が大きい。なぜなら、自己中な動機を持っている限り、逆に災いになってしまうからだ。
天国とは、単に快適で気持ちの良いお花畑ではなく、神と共に住み、神と永遠に関わりを持つ所である。
全能であり完全な愛で愛して下さるお方・イエス様と、関わり続ける事。これこそ私達にとって全てである。
主に癒された後、幸いが与えられた後、富が与えられた後、主とどのように関わって行くつもりだろうか?
願いが聞かれ幸いになった暁にはしっかり感謝し、主といつまでも関わり続ける皆さんでありますように!

トラックバック

トラックバックpingアドレス トラックバックpin送信先urlを取得する
メインメニュー
礼拝ライブ中継

礼拝ライブ中継!

礼拝ライブ中継!

過去の礼拝映像も視聴できます

メッセージ
このページを紹介!

 
 
 
礼拝週報
メッセージ音声
携帯メールで毎日メッセージを購読!無料!

以下コードを読み込み、空メールを送信すれば登録できます。

パソコン/ウィルコム/スマートフォンで受信:以下にメールアドレスを入力下さい。

メルマガ購読・解除
日々のバイブルメッセージ
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
Podcast

以下画像をitunesへドラッグすれば、更新が自動的にPodcast配信されるようになります。

※2020/1/1より以前に登録された方は、再度、以下Podcast画像をitunesへドラッグする必要があります。

 主日礼拝ポッドキャスト

定期祈祷会ポッドキャスト

その他音声 ポッドキャスト

検索
Copyright ©Yokohama Voice of Christ Church 横浜天声キリスト教会
All Rights Reserved.
 〒231-0058 神奈川県横浜市中区弥生町2-17 ストークタワー大通公園?-201
TEL/FAX:045-326-6211

ephes_03-tensei@ yahoo.co.jp
© 2022 Powered by XOOPS Cube 2.1
Welcome Guest