メッセージ - 王族としての整え(創世記38:24-30)
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『ところが三月ほどたって、ひとりの人がユダに言った、「あなたの嫁タマルは姦淫しました。そのうえ、彼女は姦淫によってみごもりました」。ユダは言った、「彼女を引き出して焼いてしまえ」。』(創世記38:24)
この場面は一見、タマルのいのちの危機だが、実は、危機一髪だったのはユダのほうであった、というのは、前回見た通りである。
ユダ自身、3ヶ月前に密かに遊女を買い、その事を隠そうとしたが、主は、そうは行かせない。
いのちの光は、人が隠そうとしても隠せないし、いのちを殺そうとしても主は守り、また、人のいのちを粗末にする者は、主がその者のいのちを粗末にされる。
ユダは、自分も同じ罪を犯しておきながら、タマルに死刑判決を下したが、彼の子孫・ダビデも、同じ事をした。(2サムエル12章)
預言者ナタンがダビデの元を訪れた時、羊一匹しか持っていない貧しい者からそれを取り上げた金持ちの話をナタンが話したが、ダビデはその金持ちに死刑判決を下した。
しかし実は、その金持ちとは、ダビデ自身の事だったのである。
ダビデは隠れてバテシェバと姦通し、彼女の夫ウリヤを暗殺し、物事を闇に葬り去ろうとしたが、主は、それを白昼公然と晒す事を預言された。
ダビデはそれを聞いた時、「わたしは主に対して罪を犯した」と言って自分の非を認め、正しい判断をした故に、主はダビデの罪を見過ごして下さった。
もしこの時、ダビデがかたくなになり、あくまで自分のしたい事を強引に押し通そうとしていたら、サウルのように悲惨な死を遂げ、子孫は廃れていた事だろう。
『彼女は引き出された時、そのしゅうとに人をつかわして言った、「わたしはこれをもっている人によって、みごもりました」。彼女はまた言った、「どうか、この印と、紐と、つえとはだれのものか、見定めてください」。』(創世記38:25)
ユダは、自分が遊女を買うために一時手放してしまったその印形とひもと杖を見た時、恥じ入った事だろう。
彼もダビデのように自分のした事を闇に葬ろうとしたが、主はそれを白昼公然と晒した。
その時、彼は「彼女はわたしよりも正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである」と言って自分の罪を認め、もはやタマルと肉体関係を持とうとはしなかった。
もし頑固に怒り狂ってタマルを焼き殺し、3つのいのちを奪っていたとしたら、きっと彼も、オナンのようになっていただろう。
自分には罪がある事を正直に認め、主に立ち返り、正しい事をする事。
それこそ、王族の者の対応である。
ユダは父ヤコブの臨終の時、父から祝福の預言を受ける。
『つえはユダを離れず、/立法者のつえはその足の間を離れることなく、/シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。』(創世記49:8)
彼は肉欲のため、遊女を買うために、支配者の杖を一時手放してしまったが、もはや、支配の杖は彼から離れる事は無い。
ユダの家系は女性関係で失敗しやすいが、父祖の代で、このような失敗と恥を受けた事によって、逆に益となった。
彼らは、ことさら女性に対し、伴侶選びに対し、子孫を生み残す事に関して、特に気をつけるようにと、子孫達を教育して行った事だろう。
こうしてユダ族は、支配者として整えられたのだ。
『さて彼女の出産の時がきたが、胎内には、ふたごがあった。』(創世記38:27)
助産婦は、最初に生まれようとしていた赤子の手に、真っ赤な糸を結びつけたが、その子はお母さんのおなかのほうが居心地が良かったのか、戻ってしまい、もう一方のほうが、先に生まれ出てきた。
この、割り込んで先に生まれてきた子はペレツ(割り込む)、真っ赤なしるしをつけられながらも、後から出てきたほうの子は、ゼラフ(輝き)と名付けられた。
真っ赤な糸といえば、ヨシュア記2章の遊女ラハブを思い出す。
彼女はイスラエルの斥候に言われた通り、真っ赤な糸のしるしを窓に結びつけた事によって、家族もろとも救われ、後にはユダの家系へと嫁ぎ、王族の家系に加えられた。
しかしゼラフは、先に生まれかけて赤いしるしも付けられたのに、再びお母さんの胎内に戻ってしまった。
その故に長子の権利は奪われてしまい、王族はペレヅから出ることとなった。
いかに王族の赤い印がつけられても、再び生来の生き方に戻ってしまうなら、神の国の権利は、それを奪おうとする者によって奪われてしまうという事を、私達は忘れてはならない。
「もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。 ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。
モーセの律法を無視する者が、あわれみを受けることなしに、二、三の人の証言に基いて死刑に処せられるとすれば、神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。 」(ヘブル10:26-29)
ヤコブの兄・エサウのニックネームもエドム(赤い)であったが、彼も長子の権利を軽んじ、それを奪わんとする弟によって、長子の権利も祝福も奪われてしまった。
イエスの血潮という救いの赤い印が与えられたなら、それを決して離さず、神の国をさらに求め、さらに祝福が与えられていく皆さんでありますように。
イエス様の名前によって祝福します!