メッセージ - 皆が見落としていた良きサマリヤ人(ルカ10:25-37)한국어예배 礼拝説教メッセージ音声
皆が見落としていた良きサマリヤ人(ルカ10:25-37)한국어예배 礼拝説教メッセージ音声
- カテゴリ :
- 礼拝メッセージ説教音声配信 » 講解説教(新約)
- 執筆 :
- pastor 2010-11-22 6:11
礼拝説教メッセージ音声:皆が見落としていた良きサマリヤ人(ルカ10:25-37)한국어예배 (右クリックで保存)
良きサマリヤ人のたとえと言えば「このサマリヤ人のように困っている人は見て見ぬ振りをせず助けてやりなさい」「助ける側になりなさい」という解釈で有名だが、今回よく文章を読んでみたい。
律法にあるのは「隣人を愛しなさい」であって「困っている人の隣人になりなさい」ではない。
当初の律法学者の質問「隣人とはだれか」の答えは、強盗に襲われた者ではなくサマリヤ人であり、しかもこのサマリヤ人は一方的に良き隣人になってくれた。
私達が愛すべき隣人、このサマリヤ人とはイエスキリストであり、祭司やレビ人のように汚れたら務めができなくなってしまうような宗教者ではない。
この世の旅路の途中、強盗に襲われ、何もかも奪われ、身動きできなくなっている私達に宗教者は何もできなかったが、イエスは近づいてきて油(聖霊)で覆い、ぶどう酒(イエスの血)で洗い清め、包帯をして恥ずかしい傷を覆って下さり、イエスの乗り物であるろばから降りて私達を乗せ、安全な宿屋(教会)へ運んでくださり、しかも宿屋がその人を解放できるように必要な費用まで払って下さった。
私達こそ、強盗に襲われた、一方的な助けを必要としている者達である。
「行ってあなたも同じようにしなさい」という言葉は、まことの隣人であるイエスを愛しなさい、という事である。