メッセージ - 総理大臣となる素養(創世記39:1-10)
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ヨセフは、イスラエルの12人の子の内で、最も数奇でドラマチックな運命をたどった人だ。
兄達の殺意のために奴隷に売られ、無実なのに監獄に入れられ、そこから一転し、エジプトの宰相(総理大臣に相当)とされ、その地位においてエジプトを栄えさせ、家族だけでなく、世界の多くの人の命を救った。
ヨセフのようになりたい、と、漠然と憧れるクリスチャンは多いが、私達はまず、ヨセフが若かりし頃に培った素養に、すなわち、兄に憎まれていた時期や奴隷の時期、監獄にいたそれぞれの時期に、彼は何を基準に考え、何を口で告白し、行動したのか、という事にこそ、目を留めるべきである。
まずヨセフの第一の特徴は、正直者である事。
世の中では「正直者はばかを見る」と言われているが、神の国の法則は「正直な人は地に住みつき、潔白な人は地に生き残る。」(箴言2:21)である。
多くの人は空気を読みすぎてしまい、権力者の前で正直である事を躊躇するが、彼は、権力者の顔色に物怖じする事なく、正直に、真実を告白した。
『ヨセフは連れられてエジプトに下ったが、パロの役人で侍衛長であったエジプトびとポテパルは、彼をそこに連れ下ったイシマエルびとらの手から買い取った。』(創世記39:1)
もし皆さんが、兄弟姉妹の陰謀によって、大好きな教会からある日いきなり遠く不法に満ちた所へと強制労働に売られ、一人ぼっちになってしまったら、どうするだろう。
自暴自棄になって汚れた価値観に染まってしまってもおかしくはないし、「自分は不当な目に遭っているのだから」と、仕事をだらだら手を抜いても、仕方ないと思うかもしれない。
しかしヨセフは自己憐憫に陥る事なく、奴隷仕事さえ忠実に行い、そこの主人に認められ、さらに大きな事を任されるようになったのだ。
『小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。
だから、もしあなたがたが不正の富について忠実でなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。また、もしほかの人のものについて忠実でなかったら、だれがあなたがたのものを与えてくれようか。』(ルカ16:10-12)
立てられている権威は全て、神から来たものである。
ヨセフは、不正な国エジプトの、不正な主人に仕える奴隷仕事にさえ、忠実であった。
それだから彼には多くのものが任され、主人の全財産を管理するまでになったのだ。
もし、神の国という大舞台で活躍したいのなら、まず、不正と思える世の中において、小さな社会常識を忠実に守る所から、である。
小さな事に忠実でない者が背伸びして大きな仕事を手繰ろうとしても、周囲から無理やり降ろされてしまうだけだ。
しかし、小さな事に忠実な者は、周囲が無理やりにでも大きな仕事を任せるようになる。
ヨセフが祝福されたのは、神が気まぐれにえこひいきしたからではなく、彼が小さな事に忠実で、正直であったからである。
ヨセフは忠実であった結果、主がその家全体を祝福され、そこの主人は、自分の食べる食物以外には、何も気を使わないまでになったように、主ご自身がその持ち場全体を祝福して下さり、そこの人達から尊敬されるようになるのだ。
そしてヨセフは、女性関係においてクリーンだった。
『これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」。』(創世記39:7)
エジプトの高官の妻であるからには、相当に美しく、女性としての魅力もあった事だろう。
ヨセフがこの誘惑を受けた時は20歳前後、男性として最も性欲盛んな時期である。
真の神を知らぬ、不品行のはびこる異邦の国であり、不倫など珍しくもない所である。
そのような状況で、ヨセフは誘惑を穏やかに拒否し、神の国のスタンダードを貫き通したのだ。
「どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」(9節)
異邦の女や人妻と寝る事には、死の罠が潜んでいる。(箴言2:16-19、箴言5章)
ヨセフには神への恐れがあり、霊的本能に導かれていた彼には、異邦人の人妻と寝るなど絶対にNGだったのである。
まったく、ユダとは大違いである。
こうしてヨセフは、エジプトに売られた当初から正直であり、小さな事に忠実であり、性的誘惑に妥協せず、清さを保ち、そのようにして宰相たる素養を培ったのである。
そのような性質は、世の人から見れば真面目過ぎる、固すぎて損する道に見えるかもしれない。
確かにヨセフは、その特徴ゆえに、13年奴隷にされ、牢獄にも入れられた。
しかし、後の80年という長い年月は総理大臣として誰よりも栄えた。
多くの人は、13年の奴隷や牢獄を避けたいが為に、空気を読んで正直さを控え、小さな事をぞんざいにし、世に流されて誘惑や異性関係に妥協してしまい、そうして、80年の長きの栄光を逃してしまうのだ。
思うように行かない時こそ訓練の時として、ヨセフのように正直に、忠実になり、誘惑に妥協せず、清さを保ちつつ過ごすなら、やがて大きな事が、神様から委ねられるようになるのである。