メッセージ - 牢獄に入れられた時には(創世記39:11-23)
礼拝説教メッセージ音声:牢獄に入れられた時には(創世記39:11-23):右クリックで保存
ヨセフは奴隷として売られた後は、無実の罪で監獄へ入れられてしまう。
『主人はその妻が「あなたのしもべは、わたしにこんな事をした」と告げる言葉を聞いて、激しく怒った。そしてヨセフの主人は彼を捕えて、王の囚人をつなぐ獄屋に投げ入れた。』(創世記39:19-20)
人は時に、「なぜ正しい事をしているのに、どんどん不利になって行くのか」「神がいるのに、なぜ悪人は栄え善人は虐げられっぱなしなのか」と、不条理な世の理不尽さにあえぐ。
人は、未来は分からない。一年後どうなっているのかも、明日起こる事さえ見る事はできない。
それ故、きょう目の前で起こっている事の現実が、あたかも、いつまでも続くかのように錯覚してしまう。それが自分に栄光であろうと、自分に災いであろうとも。
しかし、主の御思いは人の思いを超えてはるかに高く、主が求める者に計画しておられるご計画は将来と希望を与えるものであり、備えておられる道は最善の道だ。
『「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。―― 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。』(イザヤ55:8-11)
『こうしてヨセフは獄屋の中におったが、主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。』(創世記39:21)
主は牢屋の中でも、魚の腹の中であろうとも、共におられ、私達の祈りを聞き、恵み深く計らってくださる。
人は思うかもしれない。主がおられるなら、牢屋の中に共におられると言う以前に、初めからわたしを牢屋にぶち込まなかったほうが良かったのに、と。
しかし、主がなさる事には、必ず意味がある。
ヨセフがこの時代、この時、「王の囚人が入れられる獄屋」に彼が「いる」事が、後のイスラエル民族のためにとても重要で、どうしても外せない事だったのである。
同じように皆さんも、今この時この場所で、苦しい目に遭っている事は、実は将来の重要な事のための、主の布石だったりする。
『主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つのは良い。
人が、若い時に、くびきを負うのは良い。それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。
口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。
主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。』(哀歌哀歌3:25-33)
主は何のために、あえて人を辛く苦しい所を通らされるか。
それは、私達の心の内が、神と人との前に明らかにされるためであり、結局、物事は人の手で成し遂げられるのではなく一方的に主が成して下さるのであり、主こそ全ての全てだと、私達が知るためである。
『あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。
・・・
あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった。』(申命記8:2-16)
奴隷仕事の中でも、牢の中でも、主から来るマナ、すなわち主の慰めや必要の満たしは、必ずある。
そして主を頼りとしているならば、主はついには私達をしあわせにして下さる。
くびきを負わされ試練の中に入ったのであれば、一刻も早く自分を下ろし、主の御手の内に服従する事で、速やかにその試験をパスし、さらにさらに多くをまかされる皆さんでありますように!イエス様の名前によって祝福します!